36話 不穏③
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放課後。
紫苑学園・日本文化研究同好会の部室では、ストーブの穏やかな暖かさに包まれながら、部員たちが思い思いの時間を過ごしていた。
テーブルの上には、湯気の立つ紅茶とエヴァが焼いてきたクッキー。
窓の外では、十二月の冷たい風が木々を揺らし、灰色の空からは今にも雪が降り出しそうだった。
そんな中、紅茶を一口飲んだエヴァが、不思議そうに小首を傾げる。
「一つ、聞いてもいいですか」
「はい?」
月菜がクッキーを頬張りながら顔を上げた。
「何故、この国ではクリスマスを祝うのでしょうか」
部室が一瞬だけ静まり返る。
「え、えっと……」
月菜は困ったように視線を泳がせた。
「ケーキが食べられるから……とか?」
「月菜ちゃんらしい答えですね」
エヴァは口元を緩め、小さく笑う。
すると窓際で本を読んでいた陽菜が、栞を挟みながら静かに口を開いた。
「本来はキリスト教の行事。でも日本では宗教というより、季節のイベントとして定着してる」
「イベント?」
「家族で食事をしたり、恋人と出掛けたり……そういう日」
「なるほど」
エヴァは感心したように頷く。
「文化というものは、本来の意味から変化していくものなのですね」
「日本らしいよね」
月菜が笑顔で言う。
「みんな、お祭りみたいな感覚だし」
「ケーキも食べます」
「チキンも食べる」
「プレゼントも交換する」
「イルミネーションも!」
「……恋人もできる」
陽菜が淡々と付け加えた。
「うっ」
月菜が胸を押さえる。
「な、何その最後だけ妙に刺さる言い方!」
「事実」
「陽菜、容赦ないよぉ!」
そんなやり取りをしていると、
バァンッ!
勢いよく部室の扉が開いた。
「みんなー! 遊びに来たよー!」
元気いっぱいの声とともに飛び込んできたのは星菜だった。
藍色の長い髪を揺らしながら、いつものように満面の笑みを浮かべている。
「星菜ちゃん!」
「やっほー、月菜ちゃん!」
星菜はそのまま月菜の隣へ腰を下ろすと、テーブルのクッキーを一枚つまみ、そのまま口へ放り込んだ。
「ん〜っ! おいし!」
「勝手に食べるな」
陽菜が呆れたように言う。
「えー、減るもんじゃないし」
「減ってる」
「細かいことは気にしない!」
星菜はケラケラと笑う。
「最近いろいろあるからさぁ。体が糖分を欲してるんだよね〜」
「何かあったの?」
「うん、まぁ色々とね〜」
星菜は曖昧に笑って誤魔化した。
本当は毎朝、冥夜との地獄のような鍛錬を受けている。
だが、それを話すつもりはなかった。
――兄に鍛えられているなんて、何となく格好悪い。
ただ、それだけの理由である。
「クソ兄ってば、何でもやってくれるんだよね〜」
「それ、自慢になるの?」
陽菜が呆れ顔を向ける。
「もちろーん!」
星菜は胸を張る。
「料理も洗濯も掃除も全部やってくれるし!」
「……少しは手伝いなさい」
「えへへ〜。あたし家事できないから無理♪」
「胸を張って言うことじゃない」
陽菜の冷静なツッコミにも、星菜はどこ吹く風だ。
すでに二枚目、三枚目とクッキーへ手を伸ばしている。
そんな様子に月菜は思わず吹き出した。
「でも、冥夜さん優しいよね」
「えー? ただのシスコンだよ」
そう言いながらも、その頬は少しだけ緩んでいる。
兄のことを悪く言っているようでいて、本気ではないことは誰の目にも明らかだった。
「クリスマスケーキも予約してくれてるんだ!」
「いいなぁ……」
「月菜ちゃんは?」
「私は……お兄ちゃんと一緒に食べようかな」
自然と笑みがこぼれる。
タクローの作る料理は、どんな高級レストランにも負けない。
今年もきっと腕によりをかけて、ご馳走を作ってくれるはずだ。
「タク先輩、料理上手だもんね!」
「うん!」
「羨ましいなぁ」
「星菜ちゃんも冥夜さんと過ごすんじゃないの?」
「たぶんね。でも、お兄ちゃんって真面目だからさ。クリスマスまで気合い入れて祝おうとしそうなんだよね」
「……一緒に過ごせるだけでも良い」
陽菜がぽつりと呟く。
その一言だけで、部室の空気が少しだけ静かになった。
陽菜の兄は、今も魔人の一角――レグルスに囚われたままだ。
その事実を、この場にいる全員が知っており、月菜は何か言おうとして、結局言葉を飲み込む。
慰めは、今の陽菜が求めているものではないと分かっていたからだ。
重くなりかけた空気を変えるように、エヴァが静かにティーカップを置いた。
「……それなら、今年のクリスマスは日文研でパーティーをしましょう」
「パーティー?」
月菜が顔を輝かせる。
「はい。日本のクリスマス文化を学ぶのも、立派な研究です」
エヴァはさらりと言ったが、その口元には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「つまり、経費でケーキを買えるってこと?」
星菜が身を乗り出す。
「それは無理です」
「ちぇー」
「でも、料理はみんなで作りましょう」
「えっ!」
月菜の目が輝く。
「それなら私、何品か作ってみるよ!」
「月菜ちゃんは……私と一緒に作りましょうか」
聖夜のクリスマスにダークマターの生成を危惧したエヴァは堪らずフォローに入る。
「私は辛い料理担当」
陽菜が真顔で言う。
「クリスマスなのに激辛?」
「問題ない」
「いや、あるよ!」
月菜が慌てて止める。
「なら私はデザート担当!」
星菜が元気よく手を挙げた。
「……大丈夫?」
陽菜が疑いの眼差しを向ける。
「大丈夫大丈夫!」
星菜は自信満々に親指を立てる。
「食べる担当だから!」
「作れ」
陽菜の冷静な一言に、部室はどっと笑いに包まれた。




