36話 強く
ピンポーン。
まだ朝のトーストが香ばしく焼き上がる前の時間、家のインターホンが小気味よく鳴り響いた。
「はーい……って、陽菜!? どうしたの、こんな朝早くに」
眠い目をこすりながらパジャマ姿でドアを開けると、そこにはいつもの制服に身を包んだ陽菜が、崩さないクールな無表情のまま佇んでいた。
「……おはよう、月菜。今日は朝の特訓の日」
「ええっ!? ま、まだ集合時間じゃないよ……?」
「月菜のことだから、放っておくと寝坊して遅刻する可能性がある。だから迎えにきた」
相変わらずのクールな口調。
けれど、その不器用な気遣いに月菜が内心で苦笑していると、キッチンの奥からトントンと小気味いい音を響かせていたタクローが、のんきに顔を出した。
「おい月菜ー、朝早くから誰か来たのか……って、お、陽菜ちゃん。こんな早い時間にどうしたの?」
「……おはようございます、タクローさん。学校の課題で、月菜に少し確認したいことがあって」
「そっかそっか。朝ごはんは食べたの? 食べてないなら用意するけど」
「……すみません、お手数をおかけします」
流れるような言い訳を通すと、陽菜は促されるままにリビングへと足を踏み入れた。
―――――
「ご馳走様っ! お兄ちゃん、先に行ってるね!」
「タクローさん、ご馳走様でした」
朝食をかき込むようにして平らげた月菜は、早々に鞄を背負って玄関に立っていた。陽菜もいつの間にか、完璧な身支度でその隣に並んでいる。
いつもなら「あと五分……」と布団の中で毛虫のようになっていることが多い月菜が、これほど早く自発的に動くなんて。今日は槍でも降るんじゃないか?
「早いな。学校になんか用事があるのか?」
「朝練っ!」
「おー、そうか。頑張れよーー」
元気よく答える月菜を見送る。
――ん? 日文研で、一体何を朝練するんだ?
俺がそんな疑問を喉の奥に引っ込めている間に、月菜たちは嵐のように家を飛び出して行った。
バタン、と勢いよくドアが閉まる。
「あらあら。月菜にしては珍しいわね」
ふわぁ、と大きなあくびをしながら、階段から母さんが降りてきた。
「あ、母さん。おはよ。……だろ? あいつ、なんか朝練があるとか言って、陽菜ちゃんと一緒に猛スピードで出て行ったよ」
「まぁ、あの子が部活ねえ。……ふふ、でも良いことじゃない。あの子が、あんな風に毎日楽しそうに何かに打ち込んでる姿が見られるなんてね」
「まぁな。無茶しなきゃいいんだけども」
……まあ、おそらく日文研の活動なんかじゃない。その裏にある、例の魔法少女絡みの何かなのだろうということは、薄々察している。
俺は妹の奮闘に内心でエールを送りつつ、残ったトーストを口に放り込んだ。
―――――
家を飛び出した月菜と陽菜が向かったのは、いつもの通学路とは完全に真逆の方向――街外れの山の中だった。
あらかじめ所有者の人と交渉し、カモフラージュの魔術を施して訓練の場として利用している、日文研の秘密基地のような場所だ。
「まずは準備運動から。急に体を動かすと、魔術の反動で体を壊す」
「といっても、ここまで結構な斜面の山道を登ってきたから、すでに十分に準備運動になったような気がするんだけど……っ」
木々に囲まれた開けた場所で、月菜は膝に手を置いて息を整える。対する陽菜は、呼吸一つ乱さず、衣服を整えていた。
「――しっかり、訓練に励んでいるかな? 若人たち」
突如、鬱蒼と茂る木々の頭上から、軽薄で、けれど背筋が震えるほど麗しい声が降ってきた。
二人がハッとして同時に視線を向けた、その先。
朝の木漏れ日を浴びながら、まるで童話の絵本から飛び出してきたかのように一本の箒に跨る美女――エテルナの理事長、エルンスト・グリエルが、いたずらっぽく微笑みながら宙に浮かんでいた。
「エ、エルンストさん!? なんでこんなところに……っ」
「二人が【星核リリック】をどれだけ使いこなせているのか、ちょっと気になってね。エヴァに無理を言って、今日は私が特別に君たちの訓練を受け持つことにしたよ」
エルンストはひらりと箒から飛び降りると、重力を無視したような無音の動作で二人の目の前に着地した。
長い白銀の髪が揺れ、その極彩色の瞳が楽しげに細められる。
「エヴァの教え方も悪くないけれど、星核リリックの扱い方は、普通の魔術師のやり方じゃ百年かかっても身につかないよ。だって、それは【星の力】そのものなんだから。……というわけで、学校に行く前に臨時の特別レッスンだ」
「ええっ!? い、今からですか!? 学校、絶対に遅刻しちゃいます!」
月菜が慌てて時計を指差すが、エルンストは「何を小っぽけなことを」と言わんばかりにクスリと笑った。
「大丈夫、私が許可する。私はエテルナのトップだからね。――ものすごーく偉いんだよ?」
「……っ」
当然のように言い放たれた不敵な言葉と、同時に放たれた圧倒的なプレッシャー。
その瞬間、陽菜のクールな瞳の奥に、限界まで張り詰められた鋭い光が宿った。
一瞬にして迎撃の態勢へと移行し、体内の魔力を爆発的に高める。
世界最高峰の【魔法使い】による、あまりにも贅沢で、そしてあまりにも規格外なスパルタの朝練が、今、幕を開けた。




