35話 魔法使い④
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「ただいまー! お兄ちゃん、ケーキだよ!」
玄関のドアが勢いよく開く音と同時に、月菜の弾んだ声が廊下に響き渡る。
その足取りの軽さは、リビングにいても手に取るように分かった。まるで良いことのあった小学生がスキップでもしているかのようだ。
一方、そんな賑やかな妹を迎え入れるリビングでは、ちょうど今月の小遣い残高を計算し終えた俺が、絶望のあまり半分白目を剥きながら学習机に突っ伏していた。
昨日、月菜の機嫌を取るために予定外のケーキを三個も献上した結果、俺の財布のライフはすでに風前の灯火で完全に致命傷である。
「おう、おかえり……。今日はいつもよりずいぶん帰りが遅かったな? 部活で居残りでもしてたのか?」
机からずるずると顔を剥がしながら問いかける。
すると月菜は、そんな哀れな兄の姿を見て不敵な、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふふふーんだ。死にかけのお兄ちゃんに、なんと私からサプライズプレゼントを買ってきました!」
月菜は手にした【ラ・メゾン】の高級感漂う紙袋を掲げると、テーブルの上にコトッと箱を広げた。そして、慣れた手つきで食器棚からお気に入りの皿とフォークを嬉々として並べ始める。
促されるままに俺がその箱を開けると――そこには、昨日、あの謎の買い占め騒動のせいで拝むことが出来なかった特製チョコレートケーキが二つ、美しく並んでいた。
「えっ……これ、どうしたんだ? 人気で中々買えるもんじゃないだろ?」
「ふふん、今日ダメ元でお店を覗いてみたらね、この2個だけまだ残っていたの! 流石に昨日、私のせいで今月の小遣いがピンチになって、魂が口から抜けかけてたお兄ちゃんを見てたら可哀想になっちゃってね。――安心してください、今日は私の奢りだよ!」
「月菜……! お前、なんて出来た妹なんだ……!」
まさか妹の財布からケーキを恵まれる日が来るとは思わなかった。
なんて言うか……嬉しい!!
「それじゃあ、いただきます!」
二人生意気に両手を合わせ、さっそくフォークを突き立てる。
月菜は大きめの一口をぱくりと口に運ぶと、両頬を落とさんばかりに幸せそうな笑みを浮かべた。
「んん〜っ! やっぱりここのチョコレートケーキは最高! 濃厚なのに全然くどくない!」
「どれどれ……。……っ、美味い。これは確かに、男の俺でも並んで買いたくなるレベルだな」
口いっぱいに広がるカカオの豊かな香りと上品な甘さに、俺の荒んだ心がみるみるうちに浄化されていく。至福の時間を噛み締めながら、優雅にコーヒーを一口啜った。
「そういえばさ、お兄ちゃん」
月菜はもぐもぐと口を動かしながら、ふと思い出したようにフォークを止めて顔を上げた。
「さっき学校から帰っている途中でね、すっごく綺麗な外国人の女の人に話しかけられたんだよ」
「外国人の女の人? なんだそれ、新手のナンパか? 」
「違うってば、ただの道案内。でもね、本当にすごかったんだから! 白銀のすっごい綺麗な長い髪でさ、目がキラキラした極彩色で、モデルさんみたいに背が高くてスタイルが良い……とにかくお姫様みたいな人。エルンスト・グリエルさんって名乗ってたかな」
「エルンスト・グリエル……?」
「でねでね、そのエルンストさん、私の持ってるラ・メゾンの袋を見て、何て言ったと思う? 『昨日、あそこのチョコレートケーキが美味しそうだったから、お店の分を全部買い占めて食べちゃった』って言ってたの!」
「ぶふっ!?」
案の定、盛大にコーヒーを吹きそうになり、慌ててカップを机に置いた。危うくせっかくのチョコレートケーキがコーヒー塗れになるところだった。ゲホゲホと軽く咽せながら、俺は目を丸くして妹を凝視する。
「おい、じゃあ何か!? 昨日、お前が大騒ぎして怒ってた『チョコレートケーキを根こそぎ大人買いしていった不届きな銀髪の外国人』って、そのエルンストってお姉さんのことだったのか!?」
「そうなの! 最初は『うわ、まさかの犯人降臨!?』ってびっくりしたんだけど、話してみたらすっごくお茶目で面白い人だったんだよね。私が昨日買えなくて、代わりに『お兄ちゃんに別のケーキを三個も買ってもらったんだよ』って言ったらね、その人、何て言ったと思う? 『それはとっても優しくて素敵なお兄さんだね』って、すっごい綺麗な笑顔で褒めてくれたよ」
「……まぁ、そりゃあ。……コホン。まあ、妹の頼みだしな。ちょい照れるけど、そのお姉さん、なかなか見る目があるじゃないか」
海外の美女に「素敵なお兄さん」などと称賛されてしまい、内心嬉しいな。
現金なもので、昨日削られた財布の痛みなど、その一言で見事に消し飛んでしまう。
「あそこのケーキは本当に素晴らしい出来栄えだって、エルンストさんも大絶賛してたよ。日本のケーキのクオリティを自分の舌で確かめたくて、ついたくさん買っちゃったんだって。悪気はなかったみたい。それに、ちょっと日本の地理には疎いみたいで、道に迷ってたから駅の反対側にある大きな図書館への場所を教えてあげたら、お礼言ってくれたよ」
「へぇ……。まあ、爆買いの理由はただの食いしん坊ってことか。月菜、海外の人は俺たちの常識とは違う部分もあるし、いくら美人だからってあんまりホイホイついて行ったりするなよ? 兄貴は心配です」
「わかってるってば。子どもじゃないんだから。でも本当に、お姫様みたいに品があって、どこか浮世離れした素敵な人だったなぁ……」
月菜は楽しそうに笑いながら、名残惜しそうに最後の一口のチョコレートケーキをフォークでパクリと平らげた。




