35話 魔法使い③
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日文研の部室を後にした頃には、街はすっかり綺麗な夕焼けに包まれていた。
陽菜や星菜とは途中の交差点で「じゃあねー」「また明日ー」といつも通りに別れ、月菜は一人、駅前へと向かう道をのんびり歩いていた。
(破魔士とか魔人とか、なんだかアニメみたいな話になっちゃったな。エヴァさんも大変だなぁ)
部室で聞いた物凄そうな単語の数々を思い出しつつも、月菜の頭のなかの大半は、別のことで占められていた。
「……あ、そういえば、お兄ちゃんにお土産のケーキ、ちゃんと持って帰らなきゃ」
自分のために今月の小遣いを犠牲にしてくれた優しい兄の顔を思い浮かべ、月菜は手に提げたケーキ屋の紙袋をそっと持ち直す。
早く帰って、お兄ちゃんが魂を吹き返したところで一緒に食べよう。
ちょうど、駅前の大きなスクランブル交差点の信号待ちで立ち止まった、その時のことだった。
「――おや? その紙袋、もしかして駅前の【ラ・メゾン】のケーキかい?」
すぐ隣から、ひどく上品で、けれどどこか親しみやすい鈴を転がしたような麗しい声が降ってきた。
「え? あ、はい、そうですけど……」
話しかけられて、月菜は何気なく隣を振り向いた。
そして、思わず「うわぁ……」と声を漏らしそうになる。
そこに立っていたのは、モデルも裸足で逃げ出しそうな、息を呑むほどに美しい大人の女性だった。
月光をそのまま紡いだかのような、サラサラと風に揺れる白銀の長髪。
服装はカジュアルな私服なのだが、スタイルの良さも相まって、どこか特別に洗練されたオーラが隠しきれていない。ハーフか外国人だろうか、吸い込まれそうな極彩色の瞳が、月菜の持つ紙袋をじーっと見つめている。
「やっぱりそうだ! あそこのチョコレートケーキは絶品だよね。昨日、私がお店にあった分を全部買い占めて食べてしまったのだけど、本当に素晴らしい出来栄えだったよ」
「えっ……!?」
そのセリフを聞いた瞬間、月菜の動きがピキッと凍りついた。
昨日、大好物を目の前で根こそぎ持って行った、あの「銀髪の外国人」。
よく見れば、すらりと背が高い抜群のプロポーションも、綺麗な髪の色も、昨日ケーキ屋のガラス越しに見たあの後ろ姿と完全に一致する。
「あ、あの時の……! 私が買おうとした直前で、全部大人買いしていったお姉さんですか!?」
「おや、君はあの時、私の後ろに並んでいたお嬢さんかい? これは奇遇だね。いやあ、日本のケーキのクオリティを確かめたくてね、ついたくさん買ってしまったんだ。悪気はなかったのだけど、君の分まで奪ってしまったなら申し訳ないことをしたね」
その麗人の女性は悪びれる様子もなく、ふふっと悪戯っぽく、お茶目に笑った。
「うう、本当にショックだったんですからね! でも、お兄ちゃんが代わりにモンブランとアップルパイと、チーズケーキを三個も買ってくれたので許します!」
「おや、それは優しいお兄さんだ。あそこのモンブランも栗の風味が濃厚で素晴らしいからね、良い選択だ。……おっと、申し遅れたね。私はエルンスト・グリエル。遠い北欧の国から、ちょっとした仕事と観光でこの街にやってきたんだ。よろしくね、可愛いお嬢さん」
エルンスト・グリエルと名乗った白銀の美女は、優雅にスカートの裾を少し持ち上げるようにして、完璧に美しい一礼をして見せた。
その立ち振る舞いは、どこか本物の貴族の令嬢のような気品に満ちている。
「私は月菜っていいます。エルンストさん、今日はチョコレートケーキ買いに来たんですか?」
「いや、今日はこれからこの街の友人に会いに行く予定なんだけど……日本の地理には少し疎くてね。もしよければ、駅の反対側にある大きな図書館への道を教えてくれないかい?」
「あ、図書館ならすぐそこですよ! 信号を渡って、あのビルの角を曲がれば――」
身振りを交えて親切に道を教える月菜に、エルンストは「ありがとう、助かったよ。月菜ちゃん」と優しく目を細めた。
「親切な月菜ちゃん。今度はチョコレートケーキが買えるといいね。お兄さんと仲良くケーキを楽しんで」
そう言ってひらひらと白い手を振りながら、彼女は雑踏の中へと軽やかに消えていった。
「ふふ、なんかすごく綺麗で面白い人だったなぁ。……よし、お兄ちゃん待ってるし、私も急ごう!」
昨日のおちびな恨みをすっかり水に流した月菜は、ケーキの袋を大切に抱え直すと、青に変わった信号を元気よく渡り始めるのだった。




