35話 魔法使い②
「魔法使いって……確か前に、どこかで聞いたことあるような……」
月菜は人差し指を顎に当て、首を斜めに傾げながら記憶の引き出しをひっくり返そうとしていた。
「魔法使いと呼ばれている人間は、現在この世界に三人しかいない」
月菜の呟きに答えるように、陽菜が淡々としたトーンのまま、けれど明確な重みを持った声で解説を挟む。
「それは、全ての魔術師の最高峰に位置する者だけに与えられる絶対的な称号。エテルナの理事長はその一人」
「ほぇー……。そんな偉人伝に出てきそうな凄い人が、そのエテルナ魔術学院のトップなんだね」
「そうですね。私なんて、その足元にすら及びもしない実力を持っている方です」
首席の魔術師であるはずのエヴァが、自嘲気味に、けれど深い敬意を込めて肩をすくめた。
「何よりそのお方は、あの【魔人】たちに単独で対抗できる、人類でも数少ない極めて貴重な戦力の一人ですから」
「……あ、また新しい単語が出てきちゃったよ。ねぇ、次は【魔人】って何なの!?」
次から次へとファンタジー小説のようなワードが飛び出してくることに、月菜のキャパシティは完全に限界を迎えたらしく、頭を抱えて混乱の声を上げた。
そんな月菜の様子に、エヴァは苦笑いしつつも、その瞳の奥には冷静な様子を伺えた。
「……魔人につきましては、私としてもあまり深くは語りたくないのですが、ここまでお話ししてしまった以上、避けては通れませんね」
エヴァは一度言葉を区切ると、部室の窓の外、夕闇に染まりつつある街並みへと視線を向けた。
「魔人とは、その強大すぎる力ゆえに、存在するだけでこの世界に良くも悪くも多大な影響を与えてしまう『規格外の怪物』たちの総称です。現在、世界で魔人と呼ばれている存在は三人。……そしてその中の一人が、今まさにエストファミリアに所属している、【ミシマ】という男です」
「ミシマ……」
その名がエヴァの口から紡がれた瞬間、星菜の表情が明確に揺らいだ。ポテトチップスを掴んでいた手が、ぴたりと止まる。
「ミシマは魔術師ではなく、本来なら星菜さんたちと同じ破魔士の家系です。しかも、十年前のあの大戦――魔術師と破魔士の戦いにおいて、A級戦犯として恐れられた【西の破魔士】を束ねている最凶の一族の生き残りでもあります。もっとも、当時の当主は先の戦いで命を落としているのですが……」
「じゃあ、そのミシマって人は?」
月菜が恐る恐る尋ねると、エヴァは神妙な顔で頷いた。
「ええ。その当主のご子息が、現在はなぜかエストファミリアに身を置いている。それが現・魔人の一人であるミシマです」
「え、ええっ!? そんな歴史の教科書の裏ページに出てくるようなマズイ人が、この街にいるの!?」
「ですね。だからこそエテルナとしても、今回のエストファミリアの動きには極めて慎重にならざるを得ないわけです。何せ、一歩間違えれば十年前の戦争の再来……いえ、世界そのものがひっくり返りかねませんから」
エヴァの真剣な言葉に、部室は水を打ったように静まり返った。
世界の頂点に立つ【魔法使い】と、世界を滅ぼしかねない【魔人】。
その二つの巨大な質量が、自分たちの住むこの極東の街に集まろうとしている。
その事実に、月菜はただただ圧倒されるしかなかった。
「……ねぇ、エヴァ」
重苦しい沈黙を破ったのは、ずっと静観していた陽菜だった。
彼女は文庫本を机に置くと、心なしかいつもより少しだけ尖った視線をエヴァに向ける。
「魔人は、世界に三人いると言った。一人はエストファミリアのミシマ。なら……残りの二人は、今どこで何をしてるの?」
「それに関しては、エテルナの最高機密に指定されているので詳細を伝える事は出来ません。一つ言えるのはい、残り二人も魔法使いと同等の実力を有している」
「そんな人たちがこの世界にはいるんだ…」
月菜がその言葉をなぞるように呟く。
その時、月菜は気づかなかった。
陽菜が、スカートの布地が破れんばかりの力で、自らの膝の上で拳をぎゅっと握りしめていたことに。
「……陽菜ちゃんの気持ちは重々に承知しています。けど、そう簡単に知る事の出来ない情報なのです」
「??? どういう事?」
陽菜とエヴァの意味深な会話に月菜は首を傾げた。
「ところで、何でうちのクソ兄が魔人認定されてないの? あいつの実力なら魔法使いにも匹敵するでしょ?」
どうやら冥夜が魔人として認識されていない事に不服のようである。
「あー、恐らく冥夜さんは確かに規格外の怪物であるのですが、世界に危害を加えるつもりはないので認定されてないですよ」
エヴァは思わず言葉を付け加えた。
「――まぁ、私たちのやるべきことは変わりません。どんな大物が来ようとも、この街の日常を守る。それだけです」
エヴァがパンと手を叩き、部室の空気を無理やり明るいものへと引き戻す。
しかし、一度放たれた世界の緊張感は、少女たちの胸に深く突き刺さったまま、静かに次の波乱の時を待っていた。




