35話 魔法使い
「ねぇねぇ、二人とも聞いてよ!」
放課後の日文研の部室。
パイプ椅子を勢いよく引いて席についた月菜が、机に身を乗り出しながら、いつも以上の熱量で声を上げた。
部室にいるのは、月菜、陽菜、星菜の三人。
エヴァの姿は、まだそこにはなかった。
「どしたの、月菜ちゃん? そんな鼻息荒くして」
お菓子の袋をつまみながら、星菜が不思議そうに首を傾げる。
「昨日さ、学校の帰りに、お兄ちゃんにケーキ屋さんに連れてってもらったんだよ。……そしたらね! 私が一番楽しみにしてた大好物のチョコレートケーキが、直前で外国人の人に全部買い占められてたの!」
「あはは、それはまた見事な災難に遭ったねぇ」
星菜が気の毒そうに笑う。月菜は不満げに両頬を膨らませてみせた。
「うう、本当にショックだったんだから。でもね、可哀想に思ったお兄ちゃんが、代わりにモンブランとアップルパイと、あとチーズケーキも買ってくれたんだよ♪」
「……ちょっと待って。代わりに三個も買ってもらったの? タクロー先輩の財布、それ大丈夫だったのかな?」
「あ、それは、お兄ちゃんが『俺の今月の小遣いが……』って言いながら、魂が口から抜けかけた顔で財布を閉じてたかも」
「やっぱり。タクロー先輩、どんまい……」
星菜が遠い目をしながら、心の中でタクローに深く同情を捧げていた。
お小遣いの危機に瀕している本人の胃の痛みを余所に、当の妹は「どれも美味しかったよー」とすでに上機嫌なのだから、兄という生き物はつくづく報われない。
「それにしても、エヴァさん遅いね。いつもならもう来てる時間なのに、何してるんだろ?」
月菜が部室の時計を見上げながら呟く。
すると、それまで静かに文庫本をめくっていた陽菜が、視線を本に落としたまま、クールで感情の起伏を感じさせない声で口を開いた。
「エヴァなら、今日は【エテルナ学院】と連絡を取ってからここに来るって言ってた。少し遅くなるみたい」
「そっかぁ。……ねぇ、ところでさ」
月菜は少しだけ声を潜め、ずっと気になっていた疑問を陽菜に投げかけた。
「前からたまに名前が出るけど、【エテルナ学院】って、本当はなんなの?」
陽菜はパタンと文庫本を閉じると、いつものように淡々とした無表情で二人を見つめた。
「エテルナ魔術学院。……北欧の僻地に存在する、世界で唯一、本物の【魔術師】を養成するための教育機関。もちろん、表の歴史や一般社会からは秘匿されている存在。エヴァは、そこに現役で在学している首席の魔術師」
「あ、因みにね。うちら破魔士を滅ぼしたのも、そのエテルナの息がかかった関係者だから」
星菜がポテトチップスを咀嚼しながら、まるで「明日の天気は雨」とでも言うような軽さで、とんでもない物属な歴史を付け加えた。
けれど、その表情は以前よりも、魔術師に対する鋭い憎悪がどこか柔らかくなっているようにも見える。
そのあまりのギャップに、月菜はごくりと唾を飲み込んだ。
「……エテルナは、単なる学校であると同時に、世界唯一の【魔術師の協会】でもある」
陽菜は星菜の言葉を否定せず、ただ冷徹に事実だけを重ねていく。
「だから、この世界で魔術を使うということは、自動的にエテルナの管理下に置かれているか、あるいはその所属であるということを意味する。――エヴァが連絡を取っているのも、その上層部」
「へぇ、唯一の協会……。それじゃあ、エヴァさんはやっぱり凄い人なんだね」
月菜が感心したように息を吐いた、その時だった。
がちゃり、と部室の重いドアが開き、長い金髪を揺らしながらエヴァが姿を現した。
「ふぅ……。お待たせしました、皆さん。少し通信の調子が悪くて遅くなってしまいましたね」
「あ、エヴァさん! お疲れ様です!」
いつも通りの穏やかな微笑みを湛えて入ってきたエヴァだったが、その整った眉は、心なしか少しだけ神経質そうに潜められているように見えた。
敏感にその不穏な空気を察した陽菜が、椅子から立ち上がる。
「エヴァ。本国からの定時連絡で、何かあった?」
「ええ……。実は、あまり良くない報せです」
エヴァは持っていた鞄を机に置くと、腕を組んで深い溜息をついた。
「どうやら、エストファミリアの方々が破魔士を集めて、エテルナへの攻撃を企てているみたいです」
「目的は?」
陽菜の問いに、エヴァは静かに首を振る。
「詳細は不明です。ただ、破魔士の復権が目的でしょうね。それをエストファミリアが協力する、という形のようです」
「――クソ兄の言葉を無視しやがって」
その言葉を聞いた瞬間、星菜はギリ、と奥歯を噛み締めていた。
「そして、それに対抗すべく、エテルナの理事長がこの国に来るとのことでした」
エヴァの言葉が重く響き、部室の温度が一段と下がったような錯覚を覚える。
世界最高峰の魔術組織のトップ。
その君臨が意味するものは、あまりにも大きすぎる。
「――最強の魔術師である、【魔法使い】の称号を持つ方が」




