32話 孤高の星は、夜を越えられない⑩/エピローグ
「ほら、これを羽織りなよ」
冥夜はどこから持って来たのか、手際よく取り出した大判の毛布を星菜たちに手渡した。
戦闘の衝撃で魔装を引き裂かれ、恥辱に震えていた月菜と陽菜は、慌ててその温もりに縋るようにして身体を包み込む。
「あ、ありがとう……」
月菜が顔を赤らめながらお礼を言うと、冥夜は小さく頷き、それから視線をゆっくりと移動させた。
「さて、どこから話そうかな……」
その冷徹な視線が、拘束を解かれ、はだけた胸元を押さえながら地面に座り込むエヴァたちを捉える。
魔術師。
かつて佐々木家を、日の国の破魔士を崩壊へと追いやった、憎むべき宿敵の魔術師。
その存在を前に、張り詰めた沈黙が戦場を支配した。
エヴァは覚悟を決めたように強く唇を噛み、冥夜を真っ直ぐに見据える。
「これは――すべて私の責任です。佐々木家の長たるあなたに、言い訳をするつもりはありません。……やるなら、私一人をやってください」
「エヴァさんっ!?」
月菜が悲鳴のような声を上げる。
エヴァにしてみれば、ササキを滅ぼした【魔術師】の身でありながら、その生き残りである星菜を怪異の危険に巻き込み、傷つけてしまったのだ。破魔士の現頭領である冥夜から、一族の仇として凄惨な報復を受ける覚悟はとうにできていた。
しかし、そんな重苦しい悲壮感を前にして、冥夜はただ困ったように眉を下げただけだった。
「……何をそんな物騒な事を言っているんだい? 君たちが命懸けで星菜を守ってくれたことには感謝こそすれ、責任追及をするつもりなんて最初から無いんだけど」
そう言って、冥夜はそっと星菜の頭に優しく手を置いた。
「少し前から、星菜が魔術関連の事に関わっているんじゃないかとは思っていたんだ。だけど……それを止められず、結果として星菜にこんなに痛い思いをさせてしまった。僕の方こそ、ごめんね」
「―――気づいていたの?」
星菜は驚きに目を見開いた。兄には絶対に隠し通せていたと思っていたのだ。
「勿論。僕は星菜のお兄ちゃんだからね。妹の変化くらい、すぐに分かるさ」
「でも、あたし……破魔士の、ササキの子なのに……魔術に頼っちゃったんだよ……?」
俯き、涙をボロボロとこぼしながら胸中を吐露する星菜。
両親を殺した魔術という力に頼ってしまった自分を、兄はきっと軽蔑する。
そう怯える妹の頭を、冥夜は愛おしそうに何度も撫でた。
「そんなの関係ないよ。破魔士とか魔術師とか、そんな古い因縁に縛られる必要はどこにもない。星菜は星菜だ。君が何を選ぼうと、僕の可愛い妹であることに変わりはないさ」
そう言って、冥夜はまるで世界で一番大切な宝物を愛でるような、至高の笑みを星菜に微笑んだ。
「……信じられない。普段からは想像できないくらい、佐々木先輩が穏やかだ……」
学校では常に周囲を寄せ付けない冷徹な壁を築き、近づいたら怪我をするような鋭利な雰囲気を放っている冥夜。
そんな彼が、妹に対してだけ見せるあまりにも甘く温かい空気に、月菜は驚きのあまり目を丸くしていた。
「……お兄ちゃん、か……」
毛布に包まりながら、陽菜がどこか上の空であった。
「これで少しは僕たちの仲も元に戻ればいいだけどね」
冥夜が苦笑しながら星菜に視線を戻すと、星菜はまだ少し赤い目をしながらも、ぷいっと気まずそうに顔を背けた。長年のすれ違いは、そう簡単には完全には解けないらしい。
けれど、その表情は確かには以前とは違って照れているようである。
「佐々木さん、本当に……よろしいのですか? 私は、エテルナの魔術師です。あなたのご両親の件、私たちがどれだけ謝罪しようとも――」
エヴァが未だに信じられないという様子で、消え入りそうな声で問いかける。
冥夜はゆっくりと立ち上がると、懐から真珠色のカードを拾い上げ、エヴァの手元へと静かに差し戻した。
「先代のササキ――僕の父の遺言は『争うべからず、対話せよ』。僕はその意志を継いでいるに過ぎない。それに、妹を守ってくれた人……友人を害するほど、僕は盲目じゃない」
その言葉に、エヴァは息を呑み、己の狭量さを恥じるように頭を垂れた。
破魔士ササキの器の大きさを、まざまざと見せつけられた瞬間だった。
「さて。話がひと段落ついたところで、この場を引き揚げよう――と言いたいところだけど、君たちの頭に入れておいてもらわなきゃいけないことが一つあるんだ」
ふっと、冥夜のまとう空気が一変する。
「彼らが――【エストファミリア】が、君たちの行動を監視しているみたいだよ。最近結構派手に暴れていたから、仕方のないことだとは思うけどね」
「「――――っっっ!!!!」」
その名前が冥夜の口から告げられた瞬間、エヴァと陽菜の顔から、完全に血の気が引いた。
ーーーーー
――ガサッ。
静まり返った倉庫街のさらに奥、深い闇の底で、肉塊が蠢くような不気味な音が響いた。
『ちくしょーっ……! ササキは没落して、とっくに弱くなったんじゃなかったのかよぉ……っ!』
ニブラの少年は、まだ生きていた。
だが、冥夜の放った《倍加》の一撃を喰らったその肉体は、文字通り満身創痍。かろうじて人の形を保っているものの、全身の細胞から黒い霧がボロボロと崩れ落ち、消滅の一途を辿っている。
『こうなったら、一刻も早く別の場所に移動して……また人間の負の感情を貪り喰って、身体を再生させ――』
『前に会った時より、随分と弱々しくなったもんだな』
闇を切り裂くように、冷徹な声が降ってきた。
少年の行く手を遮るようにして、いつの間にかそこに一人の男が佇む。
『ひぃっ!? き、君は――っ!』
男の顔を見上げた瞬間、少年の顔がこの日一番の恐怖に歪んだ。
ガタガタと目に見えて震え出し、必死に地面を這って後退ろうとする。
『み、見逃してよぉ! もう僕は見ての通り、まともに戦える状態じゃないんだよ!? 次こそは……次こそはあのササキを完膚なきまでに叩き潰して、もっともっと美味い負の感情をいっぱい集めてみせるから……っ!!』
必死の命乞い。
しかし、見下ろす男の瞳には、虫ケラを見るような侮蔑の色しか浮かんでいなかった。
『……はぁ。お前、何か勘違いしてないか?』
男が呆れたようにため息をつき、すっと右手を持ち上げた。
その掌から、月の光を一切反射しない、
ドロリとした黒い靄が出現した。
『お前に『次』はない』
男の言葉と同時に、黒い靄を解き放った。
それは獣のように一瞬でニブラの少年へと喰らいつく。
抵抗する力すら残されていないニブラの少年にはなす術がなかった。
『やめろぉおおおおおっ!! 放せ、放せよぉっ!! 『ミシマ』ァァァァァァァァァッッッ!!!!』
絶叫は、一瞬で肉の爆ぜる音へと掻き消された。
少年だったモノは跡形もなく消え去った。
『ふぅ、やれやれ……。後処理させやがって』
少年を喰らい尽くし、自身の掌へと戻ってきた靄を、男は忌々しそうに消し去る。
そして、冥夜たちがいるであろう倉庫の方向を睨みつけ、低く吐き捨てた。
「やるならちゃんと後始末までやれよ――冥夜」
そう言い残し暗闇に姿と消えていった
東の【ササキ】と対をなす、西の破魔士の系譜――【ミシマ】。
新たな登場人物により、破魔士と魔術師を巡る運命の歯車は、さらに激しく狂い始める――。




