32話 孤高の星は、夜を越えられない⑤
「守れるか、ですか?――愚問ですね」
エヴァの背後に渦巻く魔術光が、一対の巨大な純白の光の翼となって爆発的に広がった。
はだけた衣服の隙間、白い肌に刻まれた魔術回路が、眩いほどの黄金色の輝きを放ち、夜の倉庫街の空気を文字通り『浄化』していく。
それは、どこまでも美しく清らかな、けれど同時に息をすることすら許さないほどに絶対的な、神聖なるプレッシャー。
「私の弟子ーーいえ、お友達たちをこれ以上傷つけさせるとでも?」
『あはは! 口先だけなら何とでも言えるよねぇっ!!』
少年が恐怖をかき消すように叫ぶと同時に、彼の背後から数え切れないほどの巨大な黒い触手が、地響きを立てて殺到した。
だが、その大半はエヴァではなく、背後にいる陽菜と月菜、そして昏睡する星菜の頭上へと、容赦ない質量の雨となって降り注ぐ。
「――《エーテル・アイギス》」
しかし、少年が触手を放つよりも一瞬早く、エヴァは手にした白銀のカードを虚空へ一閃させていた。
カードの紋章から溢れ出た聖なる魔力が、陽菜たち三人を取り囲むように、強固な半球状の光の結界を展開する。
ドゴォォォン!! と激しい衝撃音が響き渡り、狂暴な触手の群れが結界に衝突したが、光の壁はひび一つ入ることなく、その禍々しい暴力を完全に弾き返した。
『なっ――3人まとめて守りながら戦うっていうのっ!?』
「当然です。私は彼女たちの師匠でもありお友達ですからね」
結界の維持に魔力を割きながらも、エヴァのステップは微塵も揺るがない。
少年はちっと舌打ちをし、今度はエヴァ自身と、結界の隙間を同時に狙うように、多方向から時間差で触手をうねらせた。
右からエヴァを襲う一撃、そして左からは陽菜たちの結界をすり抜けようとする、死角からの嫌らしい突き。
「《セラフィック・ゲート――オープン》」
エヴァは二本の指で挟んだカードを美しく翻し、自身の左右の空間へ同時に滑らせた。
その軌跡をなぞるように、エヴァの身を護るゲートと、陽菜たちの結界の前に配置されるゲートの二つが、まばゆい光の紋章を描いて出現する。
「消えなさい」
カードから放たれた波動がゲートと共鳴し、夜空の雲を割って、幾条もの圧倒的な聖なる光のレーザー――《セラフィック・レイ》が同時に降り注いだ。
エヴァに迫っていた触手も、陽菜たちを狙っていた触手も、その神聖な光に触れた瞬間、肉を焼く音すら立てず、一瞬で白い塵へと昇華されていく。
『あ、ぎゃああああっ!? 熱い、熱いぃぃっ!! 防げない、結界に近づくことすら……っ!』
神聖な光の毒に焼かれ、少年が激痛に顔を歪めて悲鳴を上げた。
どれだけ卑劣に人質を狙おうとも、エヴァがカードを振るうたびに、完璧な光の盾と矛が三人への接近を完全に遮断してしまうのだ。
「次です。これでもう、逃げ道はありませんよ」
エヴァは指先に挟んだカードを少年に向け、さらにその魔力を引き出す。
カードを空間に鋭く突き刺すような仕草をすると、カードの紋章から無数の光の矢が撃ち出された。
それは光の翼から放たれる羽根と融け合い、一本一本が精密な光の矢と化して、音速を超えて少年の身体を貫いていく。
少年は血を吐きながら必死に空間を歪めて軌道をそらそうとするが、制限を解除され、カードの魔力によって完全に陽菜たちを保護した状態のエヴァから放たれる、神の領域に近い魔力密度の前には、そんな小細工は通用しなかった。
空間の歪みごと光の矢に射抜かれ、少年の身体から黒い霧のような血が派手に噴き出す。
『ハァ、ハァ……っ! 何なんだよこれ、眩しすぎて……前が見えない……っ! アイツらを引き裂いて、もっと負の感情を貪るはずだったのに……っ!』
衣服を泥に汚し、コンテナの壁まで吹き飛んだ少年が、圧倒的な光に目を血走らせてエヴァを睨みつける。
エヴァははだけた胸元を隠すことすら怠り、まるで罪人を裁く天使のような冷徹な瞳で、手元で静かに発光するカードを構え直しながら、完璧に三人から怪異を遠ざけたまま、静かに少年を追い詰めていく。
その、神聖な魔力の残光が倉庫街を昼間のように照らし出す中で――。
「……う、ん……」
戦場の片隅、エヴァの光の結界に優しく包まれた安全な空間の中で、小さな呻き声が上がった。
「星菜……ちゃん……?」
衣服を破かれ、地面に這いつくばったままエヴァの戦いを見守っていた月菜が、ハッとそちらを振り返る。
ずっと昏睡していたはずの星菜がゆっくりと瞳を開いたのだ。
「え、え……? 今どうなってるの?」
星菜は、自分が生み出してしまった負の感情の塊――ニブラの少年によって魔力を吸われ、心身ともに限界を迎えていた。
まだ焦点の定まらない瞳で周囲を見回す星菜。その目に飛び込んできたのは、ボロボロに衣服を引き裂かれ、恥辱と疲労に震えながらも、エヴァの光の盾の中で自分を必死に抱きしめてくれている月菜と陽菜の姿。
そして、神々しいまでの光の翼を背中に纏い、傷だらけの身体のまま、自分たちに指一本触れさせまいと怪物を圧倒しているエヴァの頼もしい背中だった。
「みんな……あたしの、せいで……っ」
自分の心の弱さが、大切なーー友達をこんな目に遭わせてしまった。
衣服の隙間から覗く月菜たちの痛々しい傷跡を見るたび、星菜の胸に激しい後悔と、それ以上の感情が突き刺さる。
「ちがう、よ……星菜ちゃん……!」
月菜は涙を浮かべながら、エヴァの結界の中で、動かない身体を必死に引きずって星菜の手を握った。
「星菜ちゃんは、悪くない……っ。だから……!」
その時、エヴァの猛攻によって完全に追いつめられていた少年が、結界の奥で星菜が覚醒したことに気づき、狂気に満ちた目をギラつかせた。
「あはは……星菜! 目が覚めたんだね! だったら、もっと頂戴よ、キミのその美味しくてドロドロした『負の感情』をさぁ!!」
少年は自らの肉体が光に焼かれるのも厭わず、最後の力を振り絞ってエヴァの前に肉壁を展開し、その隙を突いて、残された全ての触手を一筋の槍のように尖らせて、結界の星菜を目がけて一点突破で突き出した。
「させません!!」
エヴァの鋭い声とともに、手元で閃くカードから、さらに幾重もの光の障壁が触手の軌道上に一瞬で展開される。
『ちっ、やっかいだなぁ。それ』
「褒め言葉として受け取りますが、あまり嬉しくはありませんね。それにあまり時間はかけたくないので」
久しぶりの制限解除にエヴァの体は悲鳴をあげていた。
そして、何よりもこの騒ぎを聞きつけて【アレ】がくるのを恐れている。
「……また、同じだ。あたし、また守られてばかり……」
星菜の脳裏にあの日の出来事が頭をよぎっていた。




