32話 孤高の星は、夜を越えられない②
「――あはは! いいね、その顔! もっと僕を楽しませてよ!」
コンテナの頂から、ニブラの少年が弾かれたように飛び降りてくる。
その背後から伸びる黒い触手たちが、鋭利な槍と化して月菜たちへ容赦なく降り注いだ。
「――ッ、シッ!」
先陣を切ったのは陽菜だった。
超高速の踏み込みから魔装の剣を振るい、迫り来る触手の先端を次々と火花とともに叩き落としていく。
だが、一本一本の質量が、先日の戦闘とは比べ物にならない。
星菜の負の感情を喰らった少年は、確実に強化されていた。受け止めた陽菜の細い腕が、その衝撃に激しく痺れる。
「陽菜ちゃん、そのまま!! 《ルミナス・チェーン》っ!!」
すぐさまエヴァが、陽菜の影から飛び出した。
カードをかざし、幾重にも重なる魔力光の鎖を展開する。
触手の猛攻をその鎖が強引に絡めとり、少年の動きを一瞬だけ硬直させた。
「今です、月菜さん!」
「いっけぇぇぇーーーっ!! 《ムーンライト・カノン》っ!!」
エヴァの背をジャンプ台代わりに、月菜が夜空へ高く舞い上がり、月光の砲撃を放った。
『おっと、危ないなぁ』
少年は不気味なほど冷静だった。
ニヤリと下品な笑みを浮かべると、背後の触手をバネのように使って横へ移動し、月菜の砲撃を紙一重で回避する。
月菜の砲撃は地面のコンクリートを砕き、クレーターが出来ていた。
「――チッ、ちょこまかと!」
隙を狙おうとした少年の死角から、再び陽菜が目にも留まらぬ連続突きが少年の身体を捉えにかかるが、少年は自身の周囲の空間を「負の魔力」で歪ませ、その軌道を無理やり曲げてみせた。
キィィン、と硬質な金属音が響き、陽菜の剣が虚空を滑る。
『ねぇ、知ってる? 君たちが必死になればなるほど、僕の周りの【負】が濃くなって、僕の力が強くなるんだよ?』
少年が全方位に向けて、赤黒い魔力の衝撃波を放つ。
「くっ……あぁっ!」
「しまっ――」
あまりの密度の魔力に、月菜と陽菜の身体が容赦なく弾き飛ばされ、ひび割れたコンクリートの上を激しく転がった。
「月菜さん! 陽菜ちゃん!」
エヴァが叫び、すかさず二人の前に躍り出て広域の防御結界を張る。
そこへ、少年の巨大化した触手が狂暴な質量兵器となって、ドォン!! と鼓膜をぶち破るような音を立てて激突した。
「が、はっ……!」
結界越しであるにもかかわらず、エヴァの口から苦悶の息が漏れる。ミシミシと音を立てて結界に亀裂が走る。
強い。圧倒的につじつまが合わない強さだ。
三人での連携は確実に決まっている。
陽菜が切り込み、エヴァがそれを援護。
そして、月菜が最大火力を叩き込む。
間違いなく完璧な接戦を繰り広げているはずなのに、こちらの攻撃が届く直前で、少年の底知れない魔力に押し返されてしまう。
呼吸が荒くなり、三人の身体に確実に疲労と傷が蓄積していく。
「ハァ、ハァ……っ。強い……っ、でも、絶対に……!」
月菜は口元の血を手の甲で拭い、再び杖を強く握り直した。
一歩も引く気はない。
ここで自分たちが倒れれば、倒れている星菜も、そして明日を誕生日を祝ってくれりタクローの身に何が起こるのか分からない。
「陽菜、エヴァさん……もう一回、行くよ……!」
「ええ、勿論。まだ、限界には程遠いですよ」
「……当然。あのふざけた顔、絶対に叩き切る」
満身創痍の三人が、再び同時に魔力を爆発させる。
陽菜の放つ斬撃が少年の死角を執拗に攻め立て、エヴァの展開する光の鎖がその退路を狭めていく。
二人が作り出した一瞬の隙を見逃さず、月菜が杖に全魔力を込めて、漆黒の闇を切り裂くような波状攻撃を仕掛けた。
完璧な連携――しかし、ニブラの少年は不気味なほど楽しげに口元を歪めた。
『あはは! 無駄無駄、必死だねぇ! でも、言ったでしょ? 焦れば焦るほど、僕の力になるんだって!』
少年の背後から噴き出した黒い触手が、意思を持つ巨大な壁のように膨れ上がる。
陽菜の剣撃をその圧倒的な質量で力任せに弾き飛ばし、絡みつこうとしたエヴァの鎖をパキパキと音を立てて引きちぎっていった。
「なっ――そんな、私の鎖がっ!?」
驚愕に目を見開いたエヴァの隙を、少年は見逃さなかった。
引きちぎられた鎖の破片を掻い潜り、影のように伸びた粘着質の黒い触手が、一瞬にしてエヴァの柔らかな四肢へと絡みつく。
「くっ……!? あ、あんっ……!?」
強固な粘着性と負の魔力を帯びた触手は、エヴァの自由を完全に奪い、衣服をじわじわと締め付けながら宙へと吊るし上げた。
太ももやウエストのラインを強調するようにギリギリと音を立てて食い込む触手に、エヴァの口から甘く苦悶混じりの悲鳴が漏れる。
魔力を練ろうとする先から触手に吸い尽くされ、魔法の発動すら封じ込められてしまう。
『まずは、一番厄介な司令塔のお姉さんをストップ、だね! うん、いい絶望だ!』
「エヴァさん!!」
「くっ……!」
エヴァが拘束されたことで、三人の連携は完全に崩壊した。
武器を弾かれ、体勢を崩した陽菜の懐に、少年の冷酷な視線が突き刺さる。
『次は、ちょこまかと生意気なキミだよ』
凄まじい速度でうねる別の触手が、無防備な陽菜の腹部を容赦なく打ち据えた。
「が、はっ……、ぁ……っ!?」
鈍い衝撃音とともに、陽菜の華奢な身体が木の葉のように宙を舞う。
コンテナの壁面に激しく叩きつけられ、ショックで魔装の衣装の一部が引き裂かれ、白い肌が露出する。
そのまま地面へと崩れ落ちた陽菜は、荒い呼吸で胸を上下させながら、カランと手元から転がり落ちた剣を見つめることしかできない。
「陽菜っ!!」
月菜が悲鳴を上げ、すぐさま陽菜のもとへ駆け寄ろうとした。だが、その一瞬の動揺こそが、少年が待ち望んでいた最大の好機だった。
『よそ見しちゃダメだよ、今夜の主役の月菜ちゃん!』
「月菜さん、逃げて……っ!!」
宙で生艶っぽく拘束されたままのエヴァが必死に声を張り上げるが、それよりも早く、月菜の頭上から禍々しい黒の質量が降り注ぐ。
「あ……っ」
回避は間に合わない。
ドゴォォォン!!! と、倉庫街の空気を震わせる狂暴な一撃が、月菜の小さな身体を容赦なく押し潰した。地面のアスファルトが派手に爆ぜ、猛烈な土煙が舞い上がる。
「キャァァァァァッーーー!!」
土煙の向こうから、月菜の痛切な悲鳴が響き渡る。
やがて、ゆっくりと煙が晴れていくと――そこには、ひび割れたクレーターの中心で、魔装を強制解除され、破れた私服から華奢な四肢をのぞかせて横たわる月菜の姿があった。
「お兄……ちゃん……っ……」
大切な日常を、明日の誕生日を一緒に祝ってくれるはずのタクローの顔を思い浮かべながら、月菜は潤んだ瞳で必死に地面へ手を伸ばそうとする。
しかし、指先ひとつまともに動かすことはできなかった。衣服が乱れ、無防備な姿のまま、《ルナ・コア》は離れたところへ転がりその輝きを完全に失っている。
星菜だけでなく、陽菜も、月菜も完全に戦闘不能。
エヴァは触手に淫らに囚われ、ただ絶望の特等席で見届けることしかできない。
『あはははは! やった、やったぁ! これで本当に、邪魔者は誰もいないや!』
コンテナの上で、ニブラの少年は狂ったように手を叩いて歓喜の声を上げる。
青白い月明かりに照らされた戦場には、ただ倒れ伏す無防備な魔法少女たちと、それを嬉々として見下ろす怪物の影だけが残されていた。圧倒的な、絶望の夜が倉庫街を静かに満たしていく――。




