31話 負を喰らう少年。③
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「ど、どどどうしようっ、お兄ちゃんたちがあの少年のことを調べる感じだよ……!」
オカ研の部室の外。
薄暗い廊下の壁へぴったり張り付くように身を寄せながら、月菜は今にも泣き出しそうな顔で小声を漏らしていた。
古い木製の扉越しに聞こえてくるのは、聞き慣れた兄たちの声だ。
『――黒いフードを被った少年が目撃されているんだ』
『そりゃ、笑えねぇな』
ガラガラと騒がしく椅子が動く音。
ホワイトボードに何かを書くマーカーの音。
そして、ユウゲンの妙に芝居がかった大袈裟な声。
どうやら本格的にオカ研のメンバーは、あのニブラの少年について調査を進めるつもりらしい。
「うぅぅ……嫌な予感しかしないよぉ……」
月菜はガシガシと自分の頭を抱えた。
兄のタクローは厄介ごとには首を突っ込みたくないタイプの男である。
だが、一度でもこれは放っておけないと判断すると、なんだかんだ理由をつけて首を突っ込み、気付けば一番危険なド真ん中に立っている――そういう悪癖があった。
「タクローさんたちが、あのニブラを調べるのは危険すぎるわ」
隣で陽菜が低く真面目な声を漏らす。
いつもの冷徹な表情。けれど、その切れ上がった瞳には、僅かな警戒の色が遮るものなく浮かんでいた。
「あのニブラって、そんなに危ないの……?」
「ある程度の知能を持ったニブラなら、今までにも存在していた。けれど、あの少年は別格」
陽菜は静かに、淡々と続ける。
「ニブラは、怒りや不安、憎悪に焦燥……そういう人間の負の感情を生命の糧にしている。けあの少年はうまく人間社会に溶け込みながら、意図的にそれを培養して得ようとしているわ」
「うわぁぁぁ……」
月菜の顔が引きつった。
昼休みに聞いた、クラスメイトたちの噂話が脳裏を過る。
『その男の子と喋った後、急に元気がなくなっちゃうらしいよ』
『最近なんか、みんなピリピリして喧嘩増えてない?』
今までは局所的な怪異で済んでいたはずなのに、今や学校へ、そして街全体へと、確実に実害が出始めている。
「しかも、あのニブラは人混みの中に完全に紛れ込んでいる可能性が高いわ」
「え?」
「普通、ニブラは人間社会に溶け込めない。けれど今回は違う。隣を歩くクラスメイトのように自然に溶け込みながら、少しずつ、確実に人間の負を広げている」
陽菜の声音が、すっと温度を落とす。
「このまま放置すれば、被害はもっと大きくなる」
「で、でも……」
月菜は不安そうに部室の扉を見つめた。
中からは、相変わらずタクローたちの緊張感の欠片もない会話が漏れ聞こえてくる。
『つまりだ! この少年は現代社会の闇が生み出した、新時代のハイブリッド怪異――』
『お前は毎回毎回、話を盛りすぎなんだよ』
『何だと!?』
『というかさ、ショタって情報、本当に必要だったか?』
『重要だろう!? 怪異の属性として不可欠だ!』
……いつも通りだった。
街の危機に関わるような、恐ろしい話をしているはずなのに、緊張感があるんだかないんだかさっぱり分からない。
だが、それでも。タクローたちが本気で動く気であることだけは、妹の月菜にも痛いほど分かってしまった。
「これ、絶対そのうち遭遇しちゃう流れじゃん……」
「可能性は極めて高い」
陽菜は容赦なく即答した。
「タクローさん、こういう時の無駄な行動力と嗅覚だけはおかしいから」
「あー……うん。一ミリも否定できない……」
月菜は遠い目になった。
タクローはこういう厄介事の匂いだけは妙に敏感に察知するのだ。
「すぐに辞めさせるべき」
陽菜は短くそう告げると、おもむろに部室のドアノブへ手をかけた。
「ちょっ、陽菜!?」
月菜が慌ててその制服の袖を掴む。
「ま、まさか今から部室に乗り込むの!?」
「危険を放置する方が問題だから」
「いやでも、この空気の中に突撃するの入りづらくない!?」
「問題ない」
「第一、お兄ちゃんたちをどうやって止めるのさ!?」
ギィ……。
建付けの悪い古いドアが、僅かに隙間を開ける。
――その瞬間だった。
『でもまぁ、実際に怪我人まで出てるってんなら、放っとくのも寝覚めが悪ぃな』
中から聞こえてきたのは、タクローの、どこかぶっきらぼうな声だった。
ピタッ、と陽菜の動きが完全に止まる。
『おぉ! 流石はタクロー! その胸に熱き正義の心を秘めし男!』
『別にそんな大層なもんじゃねぇよ。ただ、身近でそういうのが起きんのは胸糞悪ぃってだけだ』
『フッ、つまりそれを正義と呼ぶのでは?』
『うるせぇよ。黙ってろ」
月菜は思わず苦笑した。
本当に、いかにもタクローらしい。
格好つけるわけでもなく、高尚な正義感を振りかざすわけでもない。ただなんか気分が悪いから放っておけない、それだけの理由でタクローは平然と危険の渦中へ首を突っ込むのだ。
「……やっぱり、止まらなそう」
陽菜が小さく、諦めたように呟く。
「うん……」
「多分、いま力技で止めても、あの人たちは裏で勝手に動くわ」
「あー……それも、すっごくよく分かる……」
月菜はガックリと肩を落とした。
兄としてはこれ以上なく頼もしいが、妹としては心配と頭痛しか種がない。
「どうしよう……」
「止めるだけじゃ駄目」
陽菜は静かにドアノブから手を離した。
「こちらも、先手を打って動く必要があるわ」
「へ?」
「エヴァに報告する」
その名前に、月菜の表情がキュッと引き締まる。
「あのニブラの危険度は、私たちの想定を超えている。エヴァに報告して、早急に対策を立てるよ」
「……うん、そうだね」
もしこのまま被害が広がれば、街全体が取り返しのつかない事事態になる。それは当然、タクローたちにとっても同じことだ。
「急ぐよ、月菜」
「う、うんっ!」
二人は小さく頷き合うと、足音を極力殺しながら、夕闇の迫る廊下を足早に駆け出した。
一方その頃。静まり返ったオカ研の部室内では――
『なぁ、ユウゲン』
『何だ?』
『さっきから廊下の方、妙にガサガサと音がしてなかったか?』
『ふむ……もしや、我らの噂を聞きつけた新たな怪異の可能性も――』
『絶対違うだろ。お前の聞き耳の性能を疑うわ』
タクローは呆れたようにツッコミを入れながら、何となく部室の古い扉へと視線を向ける。
だが結局、風の悪戯か気のせいだろうと判断し、それ以上深く考えることはなかった。
その頃にはもう、月菜と陽菜の姿は、とっくに廊下の向こうへと消え去っていた。




