30話 妹たちがいる球技大会は落ち着かない。⑤
「えっ、なになに?……星菜ちゃん?」
校舎裏から飛び出してきた星菜を、最初に見つけたのは月菜だった。
ちょうど試合の合間だったのだろう。月菜はスポドリのペットボトルを片手にベンチから立ち上がり、弾けるような足取りで駆け寄ってくる。
「星菜ちゃん!? どうしたの、そんなに急いで……って、顔色悪いよ!?」
「……別に」
だが、星菜は頑なに顔を逸らした。
その目元は隠しようもなく赤い。どう見ても別にで済まされる状態ではなかった。
「え、ちょっ……泣いてるの!?」
「泣いてない。……泣いてないってば」
「いや絶対泣いてるって! 何があったの?!」
慌てて星菜の肩を掴む月菜。
すると、少し遅れて校舎裏の影からエヴァが姿を現した。
その見たこともないほど沈痛な表情を見た瞬間、月菜からいつもの明るさが消えた。
「……エヴァさん」
「…………」
「何があったんですか。……教えてください」
空気が、どろりと重く淀む。
さっきまで球技大会の熱気に包まれていたはずのグラウンドが、今はまるで別世界のように遠い。
エヴァはしばらく黙っていた。
だが、やがて観念したように小さく息を吐き、静かに口を開く。
「……隠し通せる段階は、とうに過ぎたようですね」
「え……?」
月菜がきょとんとする。エヴァは一度、周囲に聞き耳を立てる者がいないかを確認し、小さく息を吐いた。
「月菜ちゃん、【無銘化事件】――その名を聞いたことはありますか?」
「アンネームド……?」
聞き慣れない、不穏な響きの単語を耳にして月菜は怪訝そうに首を傾げた。
「知らないです……」
「でしょうね。一般社会では、徹底した情報統制が敷かれていますから」
エヴァの声は、地を這うように重かった。
「数年前、日本国内で活動していた破魔士一族が、国家規模の社会的抹消を受けた事件です」
月菜の表情が、一拍遅れて凍りついた。
「……社会的、抹消? それに破魔士って何?」
「破魔士は、本来この国で【魔】を討つ側の存在でした」
エヴァは淡々と語る。
「ニブラのような怪異を祓う。それが彼らの役割だった」
「…………」
「ですが、政府は魔術師側と契約を結びました。以後、【魔】の処理権限は魔術師組織へ移行したのです」
月菜は隣に立つ星菜を見た。
星菜は俯いたまま、きつく唇を噛んでいる。
「じゃあ、破魔士は……」
「役目を失いました」
静かな断言だった。
「えっ、じゃあ、役目をなくなったらどうなるの?」
エヴァは苦しそうに、薄い瞼を伏せた。
「しかも当時の一部の魔術師社会は、彼らを危険視しました」
エヴァの瞳がわずかに揺れる。
「特に東と西のとある一族を。その一つがササキの一族です。【無銘化事件】とは文字通り、破魔士という存在を無かったものとして歴史から消し去るための組織的な清算です。彼らの功績、家柄、そして社会的な立場……すべてを公式記録から抹消し、最初から存在しなかったことにしたのです」
「そんな……っ」
月菜の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「ひどすぎるよ……そんなの、あんまりだよ……!」
「結果、多くの一族が壊滅しました。自ら命を絶つ者、行方不明になる者が後を絶たなかった」
月菜は言葉を失った。
風に乗って聞こえてくる楽しげな歓声が、今は異様に遠く、現実味のないものに感じられた。
「……星菜ちゃんのお父様とお母様もその事件の犠牲者です」
月菜が息を呑んだ。
星菜は何も言わない。
ただ、小さな拳を白くなるほど握り締めている。
「勿論、全ての魔術師が賛成していた訳ではありません」
エヴァは苦しそうに続けた。
「過激派による暴走でした。後に関係者は処罰されています」
「でも……戻ってこないじゃん……!」
月菜の声が震える。
エヴァは答えない。
いや、答えられなかった。
「冥夜さんは、その崩壊した一族を一人で支え続けてきたんです。まだ、自分自身も守られるべき年齢だったにも関わらず」
「…………」
「学院側は、今でもササキを、その生き残りを恐れています」
エヴァの言葉は、一言ごとに重さを増していく。
「そして、《テラ・コア》が星菜ちゃんへ適合した。破魔士が、《星核リリック》を手にした事をーー学院側は破魔士による報復を恐れているのです」
月菜の唇が、怒りで小さく震えた。
「……だから、取り上げるって言うの? 星菜ちゃんから」
「はい。それが学院側の選んだ安全策です。今は星菜ちゃんを利用している程で誤魔化してはいますが、いずれは《テラ・コア》を回収しなければなりません」
「そんなの……っ!」
月菜はぎゅっと拳を握った。
「そんなの、絶対におかしいよ……!!」
怒りと悲しみが入り混じったになった叫びだった。
「何で……何でそんな酷いことができるのっ!」
エヴァは答えなかった。いや、答える資格がないと自覚していた。
重すぎる沈黙。
それだけで組織の非情さを語るには十分すぎた。
「……月菜ちゃん」
初めて、星菜が口を開いた。
その声は、ひび割れたガラスのように掠れている。
「あたしね」
一拍。
「もう、大事な人を……大事なものを奪われるのは、嫌なの」
月菜の目が、激しく揺れる。
「だから、《テラ・コア》は渡さない」
星菜はゆっくりと、顔を上げた。
涙で滲んでいても、その奥にある瞳だけは、何者にも屈しない鋼のような光を宿していた。
「絶対に。……誰が相手でも、これだけは譲らない。たとえ月菜ちゃんが敵になったとしても」




