30話 妹たちがいる球技大会は落ち着かない。③
嫌な予感しかしなかった。
周囲のざわめきが、水面に落ちた雫みたいにじわじわ広がっていく。
『おい……佐々木だ……』
『番長じゃねぇか……』
『なんでこっち来てんの……?』
さっきまで祭りみたいに騒がしかったグラウンドの空気が、一瞬で冷え切った。
歓声は消え、代わりに妙な緊張感だけが残る。
冥夜はそんな周囲の反応なんて気にも留めず、真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
黒髪。鋭い目付き。無駄に整った顔。
立ってるだけで威圧感がおかしい。
その姿はまるで、獲物を見つけた大型肉食獣だった。
「……お兄ちゃん?」
月菜が不安そうに俺の方を見つめていた。
そして、ショージは俺の横で遠い目をしていた。
「タクロー……あばよ。短い付き合いだったな」
「勝手に殺すな。まだ遺言も書いてねーよ」
「安心しろ。お前のキャッチボール相手だった事は墓まで持っていく」
「重ぇよ」
だが冗談抜きで、周囲の空気は完全に“番長案件”だった。
すれ違う生徒たちも、冥夜が通るだけで無意識に道を開けていく。
お前はモーゼか。
そして、冥夜が俺の目の前で足を止めた。
――重い沈黙。
別にビビってるわけじゃない。
だが、こいつは立ってるだけで空気の圧力がおかしくなるのだ。
しかも目付きが怖い。
完全に獲物を狩ろうとしている目である。
「……タク」
『ひっ!?』
近くにいた男子が肩を跳ねさせた。
いやお前呼ばれてないだろ。
「……なんだよ」
俺がそう返すと、冥夜は静かに俺の右腕へ視線を向けた。
「君――」
一拍。
「……野球、できるんだね」
「いや、日本人なら大体できるだろ」
「僕は苦手でね」
「お前そういうタイプに見えないんだけど」
「球技は合理性に欠ける」
「学校行事に合理性求めるな」
冥夜は小さく息を吐く。
「今日は星菜の試合を見るために来ただけなんだが……たまたまタクが投げているのを見かけてね」
「それは光栄だな」
「……実に滑稽だった」
「勝手に他人の全力プレーを喜劇扱いするな」
鼻で笑われた。
地味に腹立つ。
すると隣でショージが震えた声を漏らす。
「タクロー……」
「なんだ」
「俺、今人生三回分くらいの走馬灯見えた……」
「大袈裟だな」
「いや一回本当に花畑見えたんだって!! あと川!!」
「それはもう死にかけてるだろ」
ショージが涙目で右手を押さえる。
ちなみにキャッチャーミットをはめたままだった。
執念がすごい。
冥夜はそんなショージを一瞥した後、再び俺を見る。
「あまり本気を出さない事だね」
「……は?」
「怪我人が出る」
その一言で、周囲が静まり返った。
確かにショージは何回か吹っ飛んでたけど。
「全校生徒を震え上がらせてるお前にだけは言われたくねぇよ」
ギロリ、と視線がぶつかる。
空気が張り詰めた。
一触即発。
その瞬間――。
「ちょ、ちょっと待ったぁぁぁ!!」
月菜がロケットみたいな勢いで俺たちの間へ飛び込んできた。
「お兄ちゃんは悪いことしてません!!」
「……誰もそんな話はしていない」
「じゃ、じゃあ何なんですか!?」
「ちょっと用があっただけだよ」
「気になるだけでそんな怖い顔しないでくださいよ! 寿命縮みますよ!?」
月菜の全力ツッコミで、周囲の空気が少しだけ和らぐ。
冥夜はそんな月菜を見て、わずかに目を細めた。
「……君は相変わらず騒がしいね」
「うぅ……なんかバカにされた気がする……」
「気のせいじゃないと思うぞ」
すると冥夜は再び俺へ視線を戻した。
「タク」
「なんだよ」
「次の試合も出るんでしょ?」
「……まぁ、その予定だけど」
「なら見せてもらうよ」
「何を?」
「君の活躍するところ」
一瞬、空気が変わった気がした。
だが次の瞬間には、冥夜はいつもの無表情に戻っている。
「星菜の試合まで暇だからね。退屈しのぎには丁度いい」
「暇つぶし見にくんな」
「何か言った?」
「別に」
そして冥夜は踵を返した。
ざわっ、と周囲が一斉に息を吐く。
『はぁぁぁ……』
『し、死ぬかと思った……』
『番長こえぇ……』
野次馬たちまでぐったりしていた。
いやお前ら関係ないだろ。
するとショージが真顔で俺の肩を掴む。
「タクロー」
「なんだよ」
「お前、絶対どっかの裏組織に追われてるだろ」
「なんでそうなる」
「普通、佐々木冥夜に目つけられねぇんだよ!!」
「失礼な。俺は善良な一般高校生だ」
「善良な一般高校生は豪速球投げねぇ!」
その真っ当すぎるツッコミと同時にーー
「お兄ちゃぁぁん!!」
再び月菜が勢いよく抱きついてきた。
「うおっ!? 汗つく!」
「いいもん! 勝利の汗だもん!」
「お前ほんと距離感近いな!?」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる月菜。
完全に大型犬である。
陽菜はそんな様子を見ながら、小さく苦笑していた。
「……仲良いね」
「いや、こいつが距離感おかしいだけだからな?」
「お兄ちゃん分不足は命に関わるもん」
「初めて聞いたぞその病気」
ミアは呆れたように肩をすくめる。
「はぁ……。ほんと騒がしい連中ね」




