28話 二学期始動。⑤
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『――エヴァンジェ。近況の報告をせよ』
低く、ノイズ混じりのくぐもった声が、静まり返った室内に響いた。
真昼だというのに、部屋は薄暗い。
厚手のカーテンで閉め切られたワンルームの中央で、エヴァは小さく肩をすくめた。
「開口一番それですか? もう少しくらい『暑い中ご苦労様』とか、労いの言葉があってもいいと思うんですけど」
テーブルの上に置かれているのは、一見すると古びた水晶。
だが、その内部では淡い青白い魔力光が、生き物のようにゆらゆらと揺らめいている。
北欧魔術学院製、《遠隔思念通信具》。
魔力回線を通じて、距離を無視した思考通信を可能とする高位魔導具だ。
『貴様は現在、極秘任務の最中だ。雑談に割く通信魔力など存在しない』
「相変わらず堅いですねぇ、学院長代理。そんなだから部下に煙たがられるんですよ?」
椅子へ深く腰掛けたまま、エヴァは指先で金髪をくるくると弄る。
その仕草は年相応の少女らしいものだ。
だが、青い瞳の奥には冷徹な観測者の光が宿っていた。
通信相手の名は、グレイス・ロマック。
北欧《エテルナ魔術学院》上層部に所属する高位魔道士であり、日本へ派遣されたエヴァの監督役でもある。
『……戯言はいい。それで、極東での調査状況はどうなっている』
「正直、予想以上に面倒ですね」
エヴァは退屈そうに天井を見上げた。
「《ニブラ》の活動頻度が増えています。それに、妙な個体も確認しました」
『妙な個体?』
「ええ。以前の木偶どもより、明らかに知性が高い。連携行動を取るタイプまで出始めています」
その瞬間だけ、エヴァの声から軽薄さが消える。
「特に最近接触した少年型は厄介でした。純粋な戦闘能力そのものは高くありませんが、撤退判断が異様に早い。……まるでこちらの戦力を測っているような動きでしたね」
『ふむ……』
水晶の向こうから、羽ペンが紙を走るような音が微かに響いた。
『……奴らとの関与は』
「現段階では断定できません。ただ、無関係とも思えませんね」
エヴァは足を組み替える。
「あと、現地協力者についてですが」
『――京田月菜、だったな』
「ええ。魔力量は事前予測を二段階以上上回っています。適性も高い。原石としては、かなりの上物ですね」
『精神面は』
「甘いです」
即答だった。
「優しすぎる。あの子にとって、“敵を倒す”という行為は、まだ単純な暴力でしかない。迷いがあるんです」
『未熟、ということか』
「ですが、それが弱さとは限りません」
エヴァはふっと笑う。
「むしろ、あの子の強みはそこです。自分を勘定に入れず、“誰かを助けたい”という感情だけで動けるタイプは、土壇場で驚くほどしぶとい」
『貴様にしては珍しい評価だな』
「私、弟子には割と甘いんですよ?」
『自覚がないのが恐ろしいな』
「ひどいですねぇ」
エヴァは頬を膨らませる。
だが次の瞬間、水晶越しの声色がわずかに低くなった。
『……では、もう一人の《因子》についてはどうだ』
空気が変わった。
エヴァの表情から、笑みが静かに消える。
「……佐々木星菜、ですか」
『報告によれば、《テラ・コア》の適合率が理論上の異常値を記録しているらしいな』
「ええ。正直、私でも驚いています」
エヴァは椅子の背もたれへ身体を預けた。
「あの年齢で、《テラ・コア》をほぼ完璧に扱っている。驚くべきは出力よりも器用さですね。まるで最初から自分の手足だったみたいに使いこなしている」
『危険性は』
「高いです」
再び即答。
「……ただし、“敵として”とは限りませんが」
短い沈黙。
水晶の向こう側で、グレイスが小さく息を吐いた気配がした。
『情が移ったか? エヴァンジェ』
「まさか」
エヴァは肩をすくめる。
「仕事と私情を混同するほど、子供じゃありませんよ」
そして、薄く笑った。
「ただ、“使えるか使えないか”で言えば、間違いなく前者。その筆頭候補ってだけです」
『……なるほど』
水晶の光がゆっくりと明滅を始める。
通信終了の合図だ。
『最後に確認する。任務継続に支障はあるか?』
「問題ありません」
エヴァは獰猛な笑みを浮かべた。
「むしろ――ここからが本番です」
青い瞳が、獲物を狙う獣のように細められる。
「最高の二学期にしてみせますよ」
九月。
二学期。
平穏という薄皮一枚の裏側で。
魔術師たちの思惑という名の歯車が、静かに動き始めていた。




