28話 二学期始動。②
「やぁやぁやぁ、これは新学期早々、遅刻ギリギリで教室に入られたタクローさんではないですか」
ショージが、いつものムカつくニヤニヤ顔で近づいてくる。
結果的に遅刻はしなかった。
だが、朝礼が始まる寸前、全力疾走の余韻で肩を上下させながら教室に滑り込んだせいで、クラス中の視線を一身に浴びる羽目になったのは言うまでもない。
「……うるせぇ。間に合っただろ」
「ギリギリの時点でアウト寄りなんだよなぁ。青春してるねぇ」
肩を組んでくるな。暑苦しい。
「離れろ」
「冷たっ!? 新学期一発目の親友トークだぞ!?」
「親友じゃねーよ」
「否定が早いな!」
教室のあちこちから、くすくすと笑いが漏れる。
……完全に見世物だな、これ。
「で? どうだったよ、合宿後の夏休みは。なんか面白いことあったか?」
「普通だ。……驚くほどにな」
肩で息を整えながら答える。
「絶対嘘だろ、その顔。なんか隠してるだろ」
「気のせいだ」
普通じゃなかったのは事実だが、説明する気はない。
夏休み最後の一週間を、妹の宿題介護に捧げていたなんて、口が裂けても言えるか。
「ちなみに私は見たわよ」
横からミアがさらっと割り込んできた。
……嫌な予感しかしない。
「何をだよ」
「今朝の登校シーン。なかなか見事なテンプレだったわね」
やっぱりそれか。
「トースト咥えて走ってたでしょ?」
「……っ! 見るな!」
「しかも『バターが垂れるぅー!』って月菜が叫んでたし。あんなに必死なあの子、初めて見たわ」
「言うなぁ!?」
教室に笑いが広がる。
……終わった。俺の二学期、開始五分で社会的に死んだ。
「いやぁ、青春してるねぇタクローくん」
「してねぇよ!」
ショージが満足げに頷いているのが、最高に腹立つ。
「月菜、元気そうだったわね。中等部の方に走っていったけど、あの子もギリギリって感じだったわ」
「……見てたのかよ」
「ええ。まあ、あの様子なら大丈夫でしょ」
ミアが肩をすくめる。
「……だといいけどな」
小さく呟く。
鳴り響く予鈴。それを合図に、ショージが「また後でな、青春野郎」と捨て台詞を残し、自分の席へ戻っていった。
窓の外には、入道雲。
まだ夏が終わっていないことを主張するように、高く、白く、そびえ立っていた。
―――――
一方、その頃――中等部。
そこでもまた、似たような視線の洗礼を受けている少女がいた。
「……月菜。一秒遅ければ、アウトだったね」
教室に滑り込み、机に突っ伏して荒い呼吸を繰り返す月菜へ、淡々とした声が降ってくる。
顔を上げるまでもない。
この声は――陽菜だ。
「うぅ……だって、昨日遅くまで宿題やってたんだもん……」
机に頬を押し付けたまま、情けない声を出す。
「お兄ちゃんがいなかったら、今頃まだ家で寝てたよ……」
「でしょうね」
即答だった。
「だから言ったはず。計画的にやれって。……学習能力、あまり高くないよね」
「正論は時に人を深く傷つけるんだよ、陽菜ちゃん……」
「傷ついてる暇があるなら、手を動かせばいいだけでしょ」
冷たい。だが、間違ってはいない。
陽菜はふと視線を巡らせ、周囲の空気を一瞬で読み取ると――
小さく、声を落とした。
「……それと。声、少し抑えて」
「え?」
「周り、ちゃんと見て」
その一言で、月菜の表情が引き締まる。
クラスメイトたちは夏休み明けの再会に浮かれている。
だが――それに紛れる形で、別の時間が始まっていた。
陽菜は何も言わず、ノートの端を指で軽く叩いた。
――合図。
月菜は小さく頷き、ペンを握る。
「そういえば……今日、日文研ってあるの?」
わざとらしいくらい明るい声で、世間話を装う。
「今日はないよ。由香里は外せない用事だって」
陽菜は淡々と返しながら――同時に、シャープペンを走らせる。
さらさら、と音もなく。
そこに書かれていくのは、日常とはかけ離れた単語だった。
【現状報告:ニブラの少年の動向】
【および《テラ・コア》の対応について学院と協議する】
それを見た瞬間、月菜の背筋に冷たいものが走る。
さっきまでの、トーストを咥えて走っていた朝が――遠い。
【それって……星菜ちゃんのこと?】
震える手で書き込む。
陽菜は一瞬だけ目を細め、すぐに返した。
【断定はできない。でも、無関係とも思えない】
さらに一行、書き足す。
【それと――もう一つ】
ペン先が止まる。
ほんのわずかな間。
それから。
【このまま何もしないって選択は、多分ない】
その言葉は、短いのに重かった。
月菜の喉が、無意識に鳴る。
【それって……星菜ちゃんと戦うってこと?】
書いた文字が、少し歪む。
陽菜はそれを見て――ほんの少しだけ、視線を和らげた。
だが、返答は変わらない。
【まだ決まってない】
一拍。
【でも、準備はしておいた方がいい】
窓の外では、まだセミが鳴いている。
けれど、二人の間に流れる空気だけは――
まるで、冬みたいに冷え切っていた




