27.5話 エンドレスサマー(夏休みの宿題)③
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2階から降りるとリビングの明かりは少しだけ落とされていた。
オレンジ色の間接照明が、静かな室内をやわらかく照らしている。
昼間の喧騒が嘘みたいに、空気は落ち着いていた。
「……あがったよぉ……」
タオルで髪をわしゃわしゃと拭きながら、月菜が戻ってくる。
湯気と一緒に、石鹸の匂いがふわっと広がった。
「ちゃんと乾かせよ。夏風邪ひくぞ」
「夏に風はひかないよー」
「それがひくこともあるんだぞ」
「……えー、お兄ちゃん物知りー」
そのままソファにぽすん、と沈み込む。
本当に骨が抜けたみたいな動きだ。
湯上がりの頬はほんのり赤くて、湿った前髪の隙間から覗く目が妙に幼く見えた。
「ほら、ドライヤー。自分でやるか?」
「……お兄ちゃんがやって」
「はいはい。甘やかしすぎだな」
コンセントを差し込み、スイッチを入れる。
ぶおん、と低い音が静かな部屋に広がった。
ソファの後ろに回り、月菜の髪に手を入れる。
指先をすり抜ける、やわらかい感触。
温風に乗って、甘い匂いがふわりと漂った。
「お兄ちゃんの手、ちょうどよくて気持ちいい……」
「それ俺じゃなくてドライヤーの性能な。……動くなよ」
無防備に首を預けてくる。
昔から変わらない距離のはずなのに今日は妙に近く感じた。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「今日、ちょっとだけ頑張れた気がする」
手を動かしながら、短く答える。
「そうだな。ちゃんと自分で解けてた」
「えへへ」
嬉しそうに笑う声。
「でも、まだ終わり見えないんだよね……」
「現実見るの早いな」
「見ないと終わらないもん」
「まぁな」
髪が乾いたのを確認して、スイッチを切る。
音が止まると、部屋の静けさが一気に戻ってきた。
「はい、終わり」
「ありがと」
振り返った月菜が、少しだけ照れた顔で笑う。
そのまま、隣にすっと座り直した。
距離が、自然に近い。
「……なあ」
「ん?」
「明日もやるぞ。朝からな」
「えぇー……」
「嫌か?」
「……ちょっと嫌」
「正直だな」
小さく笑うと、月菜は少し俯いた。
「でも……一人じゃ無理だから」
ぽつりと続ける。
それから、俺の袖をそっと掴んだ。
「……お兄ちゃんが一緒なら、頑張る」
視線は逸らしたまま。
でも、その手はちゃんと力が入っている。
「……当たり前だろ」
できるだけ軽く返す。
「最初から、そのつもりだ」
「……そっか」
安心したみたいに、体の力が抜ける。
そのまま、月菜が肩に寄りかかってきた。
軽い。けど、ちゃんと温かい。
窓の外では、虫の音が静かに続いている。
終わらない宿題。
終わらない夏休み。
「……お兄ちゃん」
「なんだ」
「……ありがと。大好き」
一瞬、言葉が止まりかけた。
「……どういたしまして」
それだけ返して、背もたれに体を預ける。
明日もきっと、同じように騒がしくて、同じように進まない。
それでも――
こういう時間があるなら、悪くない。
「……寝るか」
「うん。おやすみ、お兄ちゃん」
立ち上がって、部屋の明かりを落とす。
ふと振り返ると、月菜はさっきよりずっと穏やかな顔で、自分の部屋へ向かっていた。
――まあ、なんとかなるだろ。
そんなふうに思える夜だった。




