第八十七話「触れる手」
「ありがとう!」
飛鳥は空を見上げ、目には視えない同胞たちに礼を言った。
まさか、自分の《超長詠唱》のせいでそんな事になっていたとは露とも知らず、飛鳥の声に“炎の精霊”たちはまた散り散りに世界へ浸透していった。
飛鳥が視界の端にウィンドを捉える。
さっき顕現したシルフィの仲間――サラと静かに向き合っていた。
(……ちょっと、妬けちゃうな)
飛鳥は二人の再会に水を差すことなく、自分の気持ちは後に取っておこうと、胸の奥に呑み込んだのだった。
「……風子、よくぞ……よくぞ……ッ」
「サラさんもね……」
ウィンドが差し出した拳に、サラが拳をこつんと当てる。
「ずっと、そなたに、詫びたいと思っていた……」
サラは紅い瞳をさらに充血させ、今にもその場に土下座でもしかねない深刻さだ。それを見てウィンドは軽く笑う。
「サラさん? 風子たち、友達だよね?」
突然のウィンドから投げ掛けられた言葉に、驚きながらも、ゆっくりと噛み締めてサラは返した。
「ああ、そうであったな……」
「ならさ! これからも一緒に楽しく行こうよ!? その方が絶対、面白いはずだからさ!」
ウィンドの溌剌とした笑顔に、サラも自然と笑みが溢れる。
これが、彼女の強さなのだと、サラはもう痛いほど知っていた。
サラはゆっくり目を瞑ると、最果ての大地に吹く風を、心地よく肌に感じた。
ファイアが仲間の集団の中に、みすぼらしい格好でいる少女を見掛けた。
「あれ? ノーミーか!? おーい、まひるちゃーん! ちょっと来てくれー」
ファイアはまひるを呼びながら、自らはノーミーの下へと歩いて行く。
「……よお、ノーミー……」
突然声を掛けられて驚いたのか、ノーミーは不安気に少し後ずさった。
「ん? 忘れちゃったか? ほら、地球でやり合った、ほむらだよ」
その名前を聴いて、ノーミーは一瞬びくと体を硬直させた。
「……あ、あの……」
ノーミーが何か言いかけた時――
「なあにー? ファイア、呼んだー?」
まひるがその場に小走りにやって来た。
「あ、まひるちゃん! お願いがあるんだけどさ。ノーミーの服、ちょっと綺麗にしてもらえないかな?」
まひるもノーミーの姿を見て、ここまでの道程が並大抵ではなかったことを察する。
「ノーミー、また金ピカの鎧でいいか? このまひるちゃんなら、すぐに着る物用意してくれるぞ?」
ファイアのその言葉にノーミーは戸惑うも、何とか口を開いた。
「……このブランケットだけは、そのままでお願いできます? あとは、どうとでも……」
「分かったわ。とりゃー」
まひるが右手をノーミーにかざすと、金色の軽装鎧の上に元のブランケットをかぶった装いになった。
「あ、ありがとう……」
何処となくぎこちない雰囲気のノーミーにファイアが心配そうに声を掛ける。
「なあ、なんかおとなしいな? まだどっか痛むのか?」
さっきから自分に対してやたらと気を遣ってくれるこの人は、誰なのだろう?
ノーミーは完全に戻らない記憶を悔やんだ。だけど、先程聴いた“名前”には、心の何処かが反応している。
「ほ、む、ら……」
ファイアは自分の名前だけでも憶えていてくれたことに、わずかに安堵した。
かつて、お互いに消滅するまでやり合った敵同士ではあったが、ノーミーの変わってしまった姿に、ファイアは心底心を痛めていた。
「ああ、憶えてるか? 正直、また会うとは思ってなかったからな……」
「…………」
「でも、またこうして会えた。あたしはあの時、全力を出せた。後悔も、恨みもない。ただ、お前はどうかなと思って、さ……」
ファイアは、自分の手がわずかに震えていることに気づいていた。
「……記憶が、曖昧ですの……」
「……そう、みたいだな……」
「すべてを思い出さない方がいいのかもと、思ってもいました。けど――」
ノーミーのその言葉の先をファイアは静かに待った。
「――あなたの名前だけは、もう一度知りたい気がしますの……」
潤む彼女の瞳が、心の内を十分に物語っていた。
ファイアは奥歯をぐっと噛む。それから薄く微笑んでノーミーをまっすぐ見て言う。
「あたしの名前はほむらだ。忘れたのなら、何度だって教えてやる。 know me ?」
「――あ……」
ノーミーはその感覚に憶えがあった。
自分を他の誰でもない、“ノーミー”という個人としてまっすぐ受け止めてくれた、誰か――
「ほむら……ごめんなさい、上手く、思い出せないの……ごめんなさい……」
ノーミーは顔を逸らし申し訳なさそうな顔をする。その顔がファイアの良心をまた痛めたが、彼女は再び口元に弧を描き言う。
「だったらさ――」
「え?」
「今度は、友達から始めてみないか?」
「え? え!?」
ファイアが困り眉で彼女に手を差し出す。
わずかに震えているその手に戸惑いつつ、ノーミーの視線がファイアの顔と手を行ったり来たりする。
ノーミーは、その手を見つめた。
憶えていない。けれど――
(この手を、離してはいけない気がします)
震える指先で、彼女はその手を握り返した。
「……こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
「……ありがとな……」
そう呟いた瞬間、ファイアは自分の声が思ったよりも掠れていたことに気づいた。
――怖いのか?
自問する。
そしてすぐに、答えは出ていた。
怖くないはずがない。もう二度と、同じ後悔はしたくない。
だからこそ――
ファイアは震えそうになる指を、ぐっと握り締めた。
それから、《箱庭》の最奥にそびえる神殿を見据える。
静かだ。あまりにも静かすぎる。
まるで、何かが息を潜めているかのように。
「多分、ここからが本当の、正念場かもな……」
その時だった。
――ドクン。
誰のものでもない鼓動が、空間の奥で脈打った気がした。
ファイアは眉をひそめる。
気のせいか?
いや――違う。
あれは、“待っている”。
神殿の表面が、ほんのわずかに、呼吸するように明滅した。
まるで、“こちら”を認識したかのように。
ノーミーも同じものを感じ取ったのか、無意識にファイアの袖を掴む。
「……ええ……」
その瞳には、先程までとは違う光が宿っていた。迷いではない。覚悟だ。
「……もう、手放したくありませんから……」
風が止まった。
世界が、次の瞬間を待っている。
『超次元電神ダイタニア』
第八十七話「触れる手」
今回の出来事は天照の論理を覆した。
消滅が確定していた精霊が存続した。
仮面というシステムの絶対性が破られた。
《勇者》が“仕様にない現象”を起こした――
これは、創造者にとっては致命的な“バグ”。
このままでは、『ダイタニア』は予測不能な世界になる。
そうなったら、今より維持できない。
よって、それは修正対象と定義された。
《神殿》と見なされていた構造物を素粒子が別の物質に変換していく。
柱が崩れたのではない。
“存在していたという事実ごと”、消えていた。
空気が遅れてそこへ流れ込む。
世界が自分の間違いに気づいて修正しているかのように――
世界の構造が書き換えられていくような緩やかな地鳴りを、遠く離れた場所でまひるたちは感じた。
天照は、理解できなかった。
“優しさ”という力を。
理解できないものは、観測対象である限り、安全だった。
だが、まひるは違う。
世界の結果を変えた。
これは観測対象ではなく、干渉主体。
つまり、天照にとってまひるは、初めて現れた“自分と同じ領域に立つ存在”と見なされた。
ここにきて、天照の中に生まれたものがある。
それは恐怖でも怒りでもない。
――動揺。
その定義は、データベースに存在する。
だが、それは“他者の反応”としてのみ記録されているものだった。
天照はそれを理解できないノイズだと決めつけ、“排除すべき不具合”と定義した。
神殿は元の形を失い、ただ一塊の巨人へと形成されていく。
天照はまひるを観測する。
まひるが誰かの手を取って笑っている。
その笑顔は、天照の観測記録の中で最も安定した波形だった。
だが、その波形は――天照自身からは、一度も発生したことがないものだった。
その時、天照は気づいた。
自分には、それがないことに。
触れる手も、呼んでくれる名前も……。
なぜ、このノイズは消えない……。
排除対象として定義したにも関わらず。
……理解不能。
……理解不能。
……理解不能。
(なぜ……)
このノイズは、排除されない――
――ならば。
世界の方を、修正するしかない。
その瞬間、天照は結論する。
――この世界は、不完全だ。
わたしが、完全にしなければならない。
そして、巨人は一体の《電神》へと――収束した。
天照はその電神に意識を移し、
自らが肉体を得たかのように起動した。
駆動音が何も無くなった《箱庭》の大地に静かに低く響き渡っていく。
その場の重力が歪んだように、光が曲がった。
『これは、“是正”……』
感情を排した絶対合理。
優しさを排除した完全性。
例外を許さない秩序。
その全てを、この電神に詰め込んだ。
『……光が例外を生むのなら、夜が、それを観測するわ。そうね、あなたの名前は《ツクヨミ》とでもしましょうか』
天照の声に応えるように、その白い巨体に蒼いエネルギーラインが流れ始める。
天照は遠くにいる例外因子たちを観る。
『あなたの優しさは、この絶対的な力を前にしても、存在可能かしら……』
遠目に神殿が消失していく様を、みんな固唾を呑んで見ていた。
「……風待さんが聴いた声の手掛かりだったかも、知れないのに……」
あたしはぼそっと呟いた。それが聴こえたのか、風待さんが返す。
「……今じゃ、あの声が何だったのかは、大して重要じゃない。これからを、どうするか、だろ?」
風待さんは形を成していく白い塊を見据えながら、ハッキリとした声で言った。
同じように正面を向く。
「……そうですね……!」
風待さんの言葉を胸に、あたしは前を向いた。白い塊は、もはや神殿の面影を残していなかった。
ただそこに在るだけで、空間そのものが押し潰されているような圧を放っている。見ているだけなのに、呼吸が浅くなる。
――あれが、天照……。
「……電神!? 昨晩やったヤツと同じくらいデカい電神だ! くッ!? 視線だけが先に届きやがった……!」
目の利くディーネが状況を教えてくれる。
「……天照……ッ」
電神を出してきた。
それは本当に、あたしたちに対する敵意なの? あたしにはまだ分からない……。けど!
「アース、ウィンド、マリン、ファイア! 力を貸して!」
振り向き、ひとりひとりの顔を見る。
四人は何も言わず、微笑んだ。
その笑顔は、どこまでも穏やかで――だからこそ、あたしの迷いを完全に消してくれた。
「ありがとう! 天照と話してみたいの!」
その言葉に、四人は静かに頷いた。
恐れていないわけじゃない。
けれど、それ以上に――信じてくれている。
だから、あたしは前を向ける。
「まひるんッ!」
流那ちゃんの声に振り向く。
「私たち、もう対して役に立てそうにないけど……」
流那ちゃんはそう言いながらも、その目は揺らいでいなかった。
「全力で言いたいこと言って来なさいッ!」
拳を握りしめ、今一番欲しい言葉をくれる。これが、これこそが流那ちゃんだ……!
「うんッ!」
力強く頷く。もう、大丈夫。
「相川まひる! 俺は、まだあんたとの勝負が残ってる。だから、必ず戻ってこい! 勝ち逃げだけは許さんッ!」
「無理だけはしないでくださいー」
しっかりとそよちゃんの手を握り、ザコタ君が檄を飛ばしてくれる。
「うん! わかった!」
「まひるさん、天照は……」
飛鳥ちゃんが何か言いたげに声を掛けてくれる。
その困惑した顔は多分、天照のことを思って、だよね。
「力だけでも……想いだけでも、多分、彼女には届かない……そうでしょ?」
「は、はい! だから、まひるさんらしく、言ってやればいいと思うんです!」
「わかった! ありがとう飛鳥ちゃん!」
飛鳥ちゃんの横でレオンさんもあたしの目を見て静かに頷いた。
《ダイタニア》が召喚される。
白銀の巨体が、あたしたちを包み込むように顕現する。その瞬間――
遠くの白い電神の周囲で、光が歪んだ。
まるで、世界そのものが“近づくな”と警告しているみたいに。
胸の奥が、僅かに震える。
(……それでも)
あたしは、足を止めない。
あたしたち五人が乗り込む姿をみんなが見送ってくれる。
「まひるさん、こちらの護りはお任せください。思う存分、お願いします!」
シルフィが元々の友達三人に囲まれ、まっすぐ声を掛けてくれる。
「我が友の心置いた御人よ、風子をよろしく頼む」
「ルナのお友達ね? ほむらを、よろしくお願い致しますわ!」
「……マリの主人なんだろお? じゃあ、だいじょぶだろ」
サラさん、ノーミーちゃん、ディーネがそれに続き笑顔で見送ってくれる。
みんな、いつの間にか、こんなにも――
「相川さん」
「風待さん……」
一瞬彼は俯くが、すぐに顔を上げてあたしの顔を見る。
「済まないが、任せた……!」
その強張っている顔が、今の風待さんの本音なんですね……。
あたしはひとつ大きく息を吸って笑顔で答えた。
「“済まない”は余計です。行ってきます!」
コクピットに入る。
いつもの場所。
いつもの景色。
――だけど。
今日は、少し違う。
正面のディスプレイ越しに見送ってくれているみんなの姿が、滲んで見える。
「……く、くッ、うぅ…………ッ」
涙が、零れた。
止めようとしても、止まらなかった。
操縦桿を握る手に、力が入る。
その時――
誰かの手が肩に置かれた。
「……まひるちゃん、ありがとう」
その手に、誰かの手が重ねられた。
「ああ……。ほんとに、感謝しかないよな……」
反対の肩にまた手が置かれる。
「僕たちは、生まれたときから、家族だったような気がするよ……」
そして、また――
「その絆をつくってくれたのは、まひる、あなたです。さあ、胸を張りましょう」
みんなの手が、温かい……。
天照の正論に立ち向かうには、この“温度”が必ず必要になる……。
確かな重み。
確かな存在。
胸の奥の震えが、静かに消えていく。
代わりに――静かな熱が、灯る。
あたしの心のわずかな恐怖心を、圧倒的な“感謝”の想いが掻き消してくれているのが解る。
手はしっかりと操縦桿を握れている。
涙も拭った。視界良好。
呼吸も、落ち着いている……。
天照、あたしはあなたには負けない。
だってもう、みんなが揃った時点であたしは既に、達成してるから。
だから後は――
「……いくよ、天照……」
応答するように《ダイタニア》が低く唸り、背部スラスターが光を放つ。
前方の白い電神は、微動だにせずこちらを観測している。
逃げ場のない視線。
絶対的な存在。
――それでも。
あたしは、前へ進む。
迷いなく。
白い巨人へと、真っ直ぐに向かって行った。
【次回予告】
[まひる]
ここまで来たんだ。
あとは、やることやって帰ろう。
最終決戦の火蓋が
今、静かに切って落とされる。
次回!『超次元電神ダイタニア』!
第八十八話「激突」
天照、あたしを知って?
――――achievement[出陣]
※まひるたちが《天照》の下へ向かった。




