第八十四話「仮面の向こう側」
天照は思考を連鎖させていた。
まひるとあの救けた精霊が既知だったのは予想外だったが、あの仮面を外せばああなると、あの精霊も知っていたはず。
なのに、まひるは外したがり、外したら案の定精霊も弱りだした。全て分かっていたことだ。
更には仮面を冷気で凍結させようとし、逆にエネルギーは増幅し逆流し始めた。これは想定外のこと。
だが、ひとつだけ不可解なことがある。
このまひるが感情で動く度に事態は悪化しているということだ。
今度は風待が今にも凍りつきそうになっている……。
なんて、不合理――
『…………』
そう思いながらも、目の前で繰り広げられる人間たちの喜劇に、天照は固唾を呑んで見入っていた。
『超次元電神ダイタニア』
第八十四話「仮面の向こう側」
「何を馬鹿なこと言っているのです!」
その声色には珍しく怒気が込められていた。声がする方を見ると必死の形相で駆けつけるシルフィがいた。
「何を、馬鹿な……ッ!」
脚がもつれ転びそうになるも、彼女はそれでも堪え、更に脚を前に出そうとする。
彼女の顔には怒りより悲しみの色がより濃く浮かんで見えた。
シルフィはあたしを通り越して風待さんの前まで行こうとした。
「馬鹿っ! 俺に近寄るんじゃないッ!」
風待さんから制止の声がかかる。
「……馬鹿はあなたです。そうやってまた、自分の命を軽んじて……」
シルフィがその場で足を止めて風待さんに手を向ける。
「《風の衣》、彼を包みなさい」
風の防御スキルが風待さんを包み込み、仮面の冷気から守る。
あたしは、何を突っ立って見てる……。今動かなきゃ、今やらなきゃ――
「シルフィ!」
彼女の隣まで駆けつけ、あたしも両手を風待さんにかざす。
「《防御力増強》、《生命力増強》、《四属性全耐性》、《魔法障壁》……ッ!」
思い付く限りの防御系バフスキルを彼に掛けていく。
シルフィとお互い歯を食いしばり、二人の想いがどうか届けと、願いを込めて――
「……二人とも済まない。今掛けてもらったバフでよく解った……」
風待さんが何故か申し訳なさそうな顔をあたしたちに向ける。
「この天照のエネルギー、少しも衰える気配がない……。ゲームと同世界なら、スキルが効かない訳がないんだ……」
こんな時に風待さんがまた何か難しいことを言い始めた。なんでそんなに落ち着いてッ!?
「この『ダイタニア』が変わり始めてきている。大丈夫、見えて来た……」
何をブツブツと……!
なんで風待さんは抵抗しないの!?
「おい、天照ッ! 今も観ているんだろ!? 俺を“データ化”しろッ!」
「なッ!?」
風待さんが突然宙に向かって叫んだ言葉にあたしとシルフィは絶句した。
「ヒトを救いたいんだろ? このままじゃ俺は死ぬ。だからデータ化でも何でもして助けりゃいい!」
これは、風待さんが見出した彼なりの攻略法? ……本当に?
宙は無言のまま、仮面の冷気は更に辺りを無慈悲に凍らし続ける。もう、彼の腰の辺りまで凍結してきている!
風待さんの決死の策も空振りに終わるのかと思われたその時、この世の終焉を拒絶してくれたかのような声が宙に響いた。
『……命乞い、かしら?』
天照! 救けてくれるッ!?
「ああそうだ。どうやらこの仮面はお前の言う通り失敗作だ。俺の手でも止められん。降参だ」
風待さんは仮面を抱えたまま、片手を降参の合図のように挙げた。
『あなたにしては、殊勝ね』
天照の低い声が一瞬の気も抜けないことを伝えてくる。あたしもシルフィも風待さんに防御スキルを上掛けしながらその声に耳を傾けていた。
「ここまで力の差を見せつけられれば、な。今なら、お前がしたがってた“データ”になってもいい……」
風待さんの顔は口元は綻んではいたが、その目の奥には光るものが、在る。
あたしもシルフィも黙ってそれに賭けた。
天照からの返答が遅い。
どうしたの?
そして、風待さんはこの後どう乗り切るつもりなの?
考えろ……思考を停めるな……!
あたしにも出来ることがきっと在るはずだ!
『……最近、妙なノイズが走るのよ』
「ッ!?」
天照、どう動く!?
あたしは、どう動けば正解ッ!?
「……ノイズ、だと?」
風待さんが彼女に問い返した。彼自身、その言葉に違和感を覚えたような声色で――
『そう。あなたたちと知り合ってから、特に、ね。不可解な現象が起こっているわ』
天照が言う“不可解な現象”。
風待さんが言った“変わってきてるダイタニア”――
プログラムされた“物”が、変わることって……。
「そうか。なら俺を――」
風待さんが言いかけた言葉に天照がキッパリと言葉を被せて言った。
『やめておくわ。今のあなたからは、そのノイズと同じ響きがある』
「ッ!」
風待さんが端から見て分かるほど驚いている。この天照の言葉は彼にとっても予想外のノイズとなってしまったのか――
『聡いあなたのこと、“データ化”で世界の中に取り入れられ、そこからプログラムを書き換えられないか、とか考えてるんじゃないの?』
「……ッ」
風待さんが敵意を隠さず奥歯を噛む。
『ほらね、その顔。人間って自分の身に危険が迫ると何をしてくるか解らないんですもの。あなたたちの仲間が沢山見せてくれたしね』
天照は勝ち誇った様子もなく、ただ冷静に自らの思う所を述べているように聞こえた。
風待さんの顔に動揺の色が走る。それはあたしにも解った。そして、彼の恐怖の対象が何なのかも、天照は彼に代わり言語化していく――
『あなたは、自分たちが手掛けたこの世界が、他人を不幸にすることを何よりも恐れている。なぜなら、彼女、浅岡陽子が望んだ“悲しみのない世界”に反してしまうから』
天照が出してきた名前――浅岡陽子さん。
この中でその名に一番過敏に反応したのは多分あたしだったろう。
風待さんもシルフィも、その人の存在は常に側に居ただろうから……。
今の二人がどんな顔をして天照の言葉を聴いているのか、あたしは見たくなかった。
それと同時に、このまま天照にこの話を続けさせてもいいものか悩んだ。
多分、二人を傷つける。
でも、二人が乗り越えなければいけない事でもあるような気がする。
そして、あたしがそこに土足で踏み込むには、あたしが二人のことを余りにも知らな過ぎるということも、解っていた……。
『……あなたたち、ヒトは――』
張り詰めた静寂を破るように、天照の一段低くなった声が響いた。
『“死”が悲しみの全てじゃないと言うけど、今まさに目の前で風待が凍結寸前で死のうとしてるわね? これは悲しくないわけ?』
「ッ……!?」
何という問いだろう。いや、聞き方の問題じゃない。心の在り処の問題だ。
何かがやはり、あたしたちとは根本的に違う。
「…………」
隣りのシルフィも何やら神妙な顔で思い詰めているようだった。
あたしたちは天照のその問いには返さなかった。
『“死”は悲しいことよね。個の消滅、想いの終着……それが恋人、家族、関係性が近ければ近いほど、悲しみはより深くなる。そうよね、風待?』
天照は涼しい声で彼を名指しする。風待さんはシルフィの掛け続ける《回復》でなんとか意識を保てていた。
そして、その口元がハッキリと弧を描いた。
「ふっ、それは大間違いだ、天照……」
天照も彼の予想外の表情と声に驚いたのか、空間にノイズ音のような音が鳴った。
「恐らく今ここで延々と“死”について語ったところで、お前は理解出来ないだろう」
『……なんですって?』
「…………違う」
突如、二人の会話にシルフィの呟きともとれる小さな声が割って入り、二人の言葉を止めた。
シルフィは不思議な感覚に見舞われていた。
どうして自分は風待の言葉にあれほど心を乱されたのだろう……。
彼の自分の命を軽んじる行為は目に余るし、いい加減やめてほしい。やめて欲しいのは、そうしないと彼は死んでしまいそうだから。
死んで欲しくないのは天照が言うようにやはり悲しいから?
私が彼を止めるのは彼が死んでしまった後、悲しみたくないから?
「…………違う。天照、それは違います……」
シルフィは宙空を見つめながら、視えない天照を見据えるように続ける。
「……死は、きっと……悲しいことだけじゃない、と思います」
そう言って、シルフィは一度、視線を伏せた。
「それでも、怖いし、寂しいです。でも……終わりだとは、思いたくありません」
『…………何を知った口を――』
「解ります。いえ、今解りました。陽子さんは、得られていたのだと、今なら、そう信じられます」
それは、いつもの静かなシルフィだったけど、少し違っていた。
今、彼女が紡いでいる言葉は、静かな祈り――
「彼女は、愛されていました。そして、愛していました。確かに彼女にとって“死”は思い掛けない不幸だったことでしょう。ですが、それだけです。彼女の人生は――」
『……浅岡陽子の想いを継ぐ者、その先は、言語化不要よ……』
天照の声に緊張と僅かな震えが感じ取られる。シルフィはそれを感じ取り、満足気に続きの言葉を紡いだ。
「幸せだったと思います」
『ッッッ!』
場の空気が一瞬で凍りつくかと思うほどのプレッシャーを天照は無言の中に落とし込んだ。
「叶うなら生きたかったはずです。添い遂げたかったはずです。でも、病がそれを許さなかった……何度も何度も挫けそうになりながら、家族や、その男の笑顔で最期まで生き抜いたのです」
『……そんなこと、知っている。だからこそ、生きていれば、誰も悲しまなかったッ!』
天照の声に、さっきまでの落ち着きが無くなり始めていた。
「でも、人はいずれ誰しも死ぬ。その最期の時まで、どう生きたかが、あなたの言う“悲しみのない世界”に繋がるのではないでしょうか……」
『ッ!?』
シルフィは言い切った。姿を見せない天照を前にして、自分だけでなく、陽子さんの人生までをもあたしや、風待さんの前で、言い切った……。
そして――
「私が彼に、生きていて欲しいと思うのは、そういうこと、だったのですね……」
風待さんに向き、最後に呟いた言葉は小さくて、風が誰にも聴かせないと言わんばかりにかき消してしまった。
「……」
風待さんは、そんなシルフィをただ無言で見つめていた。
でも、天照には恐らく――
『あなたに決め付けてもらいたくないわね』
やはり、届かないか……ッ!?
仮面から放出される冷気が増した気がした。胴体まで凍らされてしまった彼を早く助け出さなくては、凍傷だけでは済まないところまで来ている!
天照は人の感情には靡かない。でも、人の感情をノイズとしては感じているらしい。
あたしが出来ることは――最期まで人間であり続けることかも知れない!
『陽子が生きてさえいれば、進一くんは悲しまなかった! ずっと、笑っていられたはずなの。だから、“死”を無くした世界は、きっと優しい世界のはず……よねッ!?』
天照が陽子さんと風待さんの関係にだけは感情的になっている?
彼女は感情が無いわじゃなく、知らないだけ?
『……わたしは、間違っていない……はず……』
「おい天照。当人を置いて勝手に話を進めるな。お前は誤解している……」
『……え?』
風待さんが、凍っていく中、口を開く。
「……確かに、当時陽子さんを喪った俺は悲しみに暮れたよ……割りと引きずった。SANYの研究方針に支障をきたすほどにはな……」
『……知ってるわ』
天照の声が心なしか沈んでいるように聴こえる。
「そうだった。お前はずっと俺たちの研究の直中にいたんだったな。それを観てきたお前なら、分かるはずだ」
風待さんの声は天照とは逆に熱を帯びていく。
「俺が泣いて悔やんで毎日死にたいと思っていたのは、最初だけだ。ドクたち仲間が、家族が支えてくれたから、俺は生きながらえた。そして――」
『…………』
天照からの言葉は無い。彼の言葉を反芻しているのか。それとも、過去を思い出しているのだろうか。
「何より、陽子さんの存在が、俺を生きさせた!」
『ッ……そう、なの……!?』
宙に走ったノイズ音を気にせず、風待さんは続ける。
「死は終わりじゃない。彼女から受け継いだ魂が、俺の中には息づいている……!」
『そんなの、オカルトよ……』
弱々しくなってしまった天照の声。このままなら、もしかして――
「オカルトなんてわけ解らないもんじゃない。それが、人間というもんなんだと思う。お前は俺のことを可哀想だと言ってくれたがな、生憎、俺はもうとっくに彼女の死から立ち直っている」
その言葉には多少の強がりもあるのだろう。本当にそうなら、彼は今ここにいない気がする……。
「そして、陽子さんなら笑顔でこう言うだろう」
風待さんは宙に向かって言った。
『え?』
天照の戸惑いの声と共に、彼の身体から白い冷気が引いていくのが見えた!
「“私の分まで生きてね”ってな」
『あ……』
微かに響いていたノイズ音が、止まった。
「……正直に言うと、今でも分からないことは多い……忘れたくないと思う一方で、思い出が薄れていくのが怖い時もある。それでも――」
『……』
「それでも、彼女が生きた時間まで否定したくはなかった」
風待さんの言葉は続く。まるでそれは、陽子さんからの言伝のようにも聴こえた……。
「もう十年以上前の出来事だ。人が人生やり直すには十分な時間がある。だから俺は『ダイタニア』を完成させることが出来たんだ……」
『…………』
「……多分、それを“受け継いでいる”って言うんだと思う」
『……いない……』
風待さんの言葉に混じって、天照の震えた声が乗る。
「ん?」
『間違っていない……』
風待さんから完全に冷気が遠退き、彼は自由の身になると咄嗟にその場から飛び退いた。
『……陽子は、間違っていなかった!』
空に響き渡った天照の叫び。
仮面が凍らせていた大気に一気にヒビが入る。
「風待さん! シルフィっ!」
仮面を中心に、白い床に細かな亀裂が走っていく。
それは世界の崩壊ではなく、“支えられていた前提”が剥がれていく音だった。
今度は天照が暴走している?
『優しくて、正しくて……なのに、消えた。残された方が、壊れるなんて……』
「ッ!?」
天照は感情を知らないんじゃない。“悲しみ”の感情だけは知っていたのかも!?
だから、あんなにも喪失に過敏になってしまっていたのだとしたら――
『……陽子が、生きられない世界なんて……』
天照は、そこで言葉を止めた。
それ以上、何を基準に“間違い”と呼べばいいのか、自分でも分からなくなってしまったかのように。
ヒビ割れる地面と大気の中、二人と合流したあたしは風待さんをシルフィに任せて、二人を庇うように前に立った。
今まで考えて考えて、何も思い浮かばなかったのが嘘のように、今あたしの頭の中には天照と話したいことで溢れていた。
「天照……あなたもしかして、愛されるより先に、“失うこと”を、知っちゃったの?」
あたしは何故か目の奥が熱くなり、口角が上がる。身に迫る世界の崩壊のせいで自分でもおかしくなってしまったのかと思うほど、さっきまでが嘘のように体が軽かった。
「……ねえ。あなたは、本当に……それしか知らなかっただけなの?」
【次回予告】
[まひる]
誰だって、最初は知らないし、分からない。
あたしは難しいことは分からないけど、
このままじゃいけないってことは
何となく、分かる気がする。
次回!『超次元電神ダイタニア』!
第八十五話「ハイエレメンタラー」
さて、あたしも踏ん張らないとね!




