『縁』
「姫様、そろそろです。飛竜が二度も舞い降りた場所というのは」
細い林道を先導する二つの背中の一つ、金髪の騎士ジャックの声に私は頷く。
「姫。町で聞き込みをしましたが、この先には長い間、王命により立ち入り禁止になった屋敷があるそうです」
伸びている木の枝を払いながら進むもう一人の騎士、赤毛のダニエルの言葉にも私は頷くだけだ。
私のそんな様子を気にかけたか、二人が心配げにも話しかけてくる。
「やはり飛竜が降り立った場所への偵察など危険では? 姫様が王より勇者位を賜っているとはいえ、ご自身が行うべきではないと愚考いたします」
ジャック。私が飛竜ごときに腰が引けているとでも?
「それに今日はとても無口でいらっしゃる。恋の予感より修羅場の予感が好物の姫にしては珍しいですね?」
ダニエル。今すぐお前の顔面をその髪と同じ色の修羅場にしてやってもいいぞ?
とは言え、私の気が重いのも事実。
こいつらのように、今向かっている場所の事を何も知らないというのは気楽なものだ。
いや、どうせ知る事になるなら、今すぐ教えてやった方が覚悟を決める時間ができるな?
「お前たち。良い事を教えてやろう」
「……何でしょうか?」
「うわ、悪寒がする」
さすが私の近衛として何度も死線をくぐった二人だ。私の機嫌に対する嗅覚が鋭い。だからといって意味はないが。
「今、向かっている屋敷は"業火の魔女"の生家だ。立ち入りを禁じたのは祖父と父。つまり帝国最大の公爵と現国王。理由は封印困難とされる危険な魔道具があるためと聞いている」
私ひとりで抱えていた秘密を二人と共有する。少し気が楽になった。
「……本当ですか」
「相棒。姫の慈愛溢れる笑顔を見ろ。まごうことなく真実だ」
淑女の微笑みを見て震える男ども。なんと失礼な輩だ。
「それでは姫様。我々は屋敷に入り、異常がないか確認するという事でよろしいですか?」
真面目な性格のジャックがとんでもない事を言い出した。
ダニエルを見ると、こいつもこいつで覚悟を決めた顔をしている。普段から軽口をたたく奴だが心の芯は騎士だと感心する。
もちろん私の返答はこうだ。
「命知らずなヤツらだ。私は遠慮する」
「は?」
「……つまり、どういう事で?」
「言っただろう。立ち入りを禁じられていると。たかだか飛竜が飛んできた程度で禁を犯す事はできん」
権限や許可のない我々にできる事は、屋敷に立ち入らず遠目から異常がないかの確認のみ。
万が一、危険な兆候があれば報告をする。すぐに本国から騎士団が派遣されて対処にあたるだろう。
我々ができる事は少ない、そう告げると二人は露骨に安堵の息を吐いた。
「というわけで、ちょっとした肝試し気分の散歩だ。そう緊張するな」
「とは言え、飛竜です」
「厄介事を運んでくる代表格ですからねぇ」
二人のいう通り飛竜の目撃情報というのは二つの意味で厄介だ。
裕福な貴族や敏腕商人が騎乗している事が多く、その立場の高さもあって面倒な秘密を持つ者が多い。時に政治や犯罪が絡む事も珍しくないが、そういった事を解決するのは私の役目ではない。
面倒なことになれば、私は自分の立場を明かし、逆らうなら捕縛。本国に連絡してお仕舞だ。
だが、ごくまれに飛竜が魔族の移動手段となっている場合がある。
戦闘力の高い魔族が魔界からはるばるやってきて、人知れずダンジョンを構築する。
それが巨大になるまで放置すると後が面倒だ。ダンジョンは成長する前の、浅い階層のうちに叩くのが最良の対処となる。
さらに魔族絡みでもう一つ。
「もし屋敷がサキュバスやインキュバスの隠れ家にでもされると厄介だ」
人の街に出没し、住処を転々とする淫魔と夢魔。
戦闘力は皆無だが、人と人の間の陰に潜むようにして、なかなか尻尾をつかませない。
「……例外もいるがな」
唯一、自分が遅れをとった淫魔の顔は忘れない。
掌の上で転がされ、剣も奪われ。あげく命を取られる事なく見逃された。
次に会ったら絶対に逃がさん。
「姫様、見えてまいりました」
「さすが業火の魔女のご実家。立派なものだ」
木の枝を払いながら前を進む二人の背の間から見える屋敷の姿。
「……む?」
私はすぐに違和感を覚える。
古い建物であり、長らく管理する者もいないはずのそれは、どうしてか美しく保たれていた。
錆一つない鉄柵で閉じられた正門の前で立ち止まり、中庭の様子をうかがう。
広い中庭の木々や花々は綺麗に整えられ、中央にある噴水はあろうことか澄んだ水が噴き出している。
「これは一体?」
「どういう事でしょうかねぇ?」
二人も異常に気付いたのだろう。そして原因に思い当たったのだ。
古城や古塔、朽ちた砦、地下墓地。そういった建築物が魔族の手によってダンジョンと化す事はままある。
そうして住処とした場所をダンジョンマスターとなった魔族が、魔力により修復や改造を行い管理する。
であれば、現状からこの屋敷がダンジョン化した可能性が高い。
だが、こんな屋敷では冒険者を迎撃できるとは思えない。
出入り口が一つしかない穴倉ダンジョンとは違い、徒党を組んだ冒険者たちがどこからでも侵入できる。
多勢をもって囲み、建物ごと火球の魔術や火矢で燃やし尽くす事もできる。
この屋敷であれば対侵入者用のダンジョンというより、隠れ家として使用されるような場所だ。
もしその予想通りなら、非戦闘系の魔族が住み着いた可能性が高い。
「戻るぞ。住み着いたのはおそらくは淫魔か夢魔の類だ。禁を破ってまで屋敷に立ち入るほどの相手でもない。許可を得て本国から騎士団を派遣させる」
「……それまで放置してよろしいのですか?」
ジャックの確認に私はうなずく。
「よろしくはないがな? 籠城もロクにできん屋敷をダンジョン化して、隠蔽するどころか噴水に水まで通す魔族だぞ。考えの足りん淫魔か、もしくは自信過剰な夢魔、そんなところだ。一匹二匹なら私達だけでも対処できるが、それより大勢だと取り逃がす。雑魚とは言え、散り散りになって隠れられるほうが面倒だ。ならば敵より多勢を持って一網打尽がもっとも良い対策だ」
下手に手を出して散り散りにするより、それなりの兵力で囲い込んで全滅させる方がいい。
私はこの件は終わりだ、とばかりに屋敷を見上げる。
"業火の魔女"の生家。
彼女の苛烈な半生は今も語り継がれ、国中の劇場で何度も演劇公演が行われている。
この生家も本で外観は知っていたが、こうして実物を目にすると少し感動する。
「では戻るか」
私が屋敷に背を向けると、二人もうなずきかけた所で……同時に目を大きく開けた。
「姫様」
「姫」
「なんだ?」
二人の尋常ではない様子に、私は何事かと再び屋敷へ振り返る。
「……む」
閉じていた屋敷の玄関は大きく開き、一人の女が立っていた。
短い銀髪を揺らし、黒いイブニングドレスをつまみあげ、我々に向かって貴族の礼をした。
あの顔。
見間違えるはずもない。
「……訂正だ。ここに住み着いたのは多勢の雑魚ではない。禁を破ってでも切り捨てるべき淫魔だ」
「ハッ」
「ハッ」
ドレスの女はそのまま陽光の下に出てくると、こちらへゆっくり歩いてくる。
私も目の前の鉄柵扉を押し開け、中庭に踏み込んだ。
立ち入りの禁などと言っている場合ではない。
屋敷の中には封印困難な危険物がある? アレより危険なモノがあるとは思えない。
今、私がすべき事は勇者としての責を果たすべく、脅威となる魔族を絶つ事だ。
私は歩を進める。
ドレスの女は歩調も変えず、まっすぐに歩いてくる。
庭の真ん中。ちょうど噴水のあたりで、私達は立ち止まった。
互いの距離は十歩ほど。すでに私の剣の間合いだ。
私はいつでも斬りかかれるように隙をうかがう。
淫魔の顔には表情がなく、整っているだけに酷薄な印象が強い。
その余裕ともとれる表情を少しでも崩してやろうと、私は言葉を投げかける。
「まさかこのような所で再び会えるとはな。あの時の借り、利子をつけてを返してやるぞ」
返事など期待していなかった。
この淫魔も私の恨みを買っている事ぐらいはわかっているだろう。
言葉は不要とばかりに戦闘に入ると思いきや。
「おや。どこかでお会いしていたかな? 失礼、お名前を失念してしまった。改めてうかがってもよろしいか?」
――私のことを覚えていない、だと?
ブチンと私の頭の中で何かがきれた。
私の体が勝手に走り出した。
一瞬で間合いを詰め、振り上げた手の中へ魔剣を出現させ、淫魔の肩口めがけて振り下ろす。
渾身の一撃だった。
だが淫魔は後ろに軽くステップを踏んだだけで、私の剣をかわす。
その長いドレスの裾すらとらえきれず、私は次の踏み込みを躊躇して立ち止まる。
「聞こえなかったかな、お嬢さん。もう一度お名前をうかがっても?」
「あいにく名乗った覚えはない。だが私の名が知りたければ、先に貴様が名乗るべきだろう? 魔族に礼儀があるならばな!」
「なるほど、道理だ」
わずか数歩の先で寸鉄も帯びず、ドレスのみをまとった淫魔は私をまったく恐れる事なく笑った。
「我が名はマリ……」
淫魔が名乗りかけた唇を閉じ、代わりにニヤリと笑った。
「――我が名はリーデル。大魔王の四天王が一人。淫魔リーデルだ」
「なっ……?」
魔界を統べる大魔王の四天王だと!?
「それでお嬢さんの名は?」
「むっ」
本当に名乗りをあげるとは思わなかったが、魔族が名乗ったというのにこちらが名乗らなければ魔族以下の礼儀知らずとなる。
「……私の名はアリエステル=シーザニティ。帝国皇女、そして勇者として! 魔族を討つ者! 貴様らの天敵だ!」
「ほう? ほうほう?」
淫魔リーデルが面白そうに笑った。
「当代の皇女様とはな。私は運がいい。であれば一つ尋ねたい。ブレンデッド公爵家について何かご存じないか?」
「なに? 今、なんと言った?」
「ブレンデッド公爵家だ。田舎伯爵の一人娘を無理やり嫁に寄越せと言った公爵家。その令息も愚鈍で有名だろう?」
なぜ魔族が"あの"ブレンデッド公爵家の事を? と私は疑問の目を向ける。
「お前のような魔族が何を知っている? いや、何を企んでいる?」
「そんな大げさな話ではないよ、皇女様。嫁いだ哀れな田舎娘は幸せだったのか、と気になってな」
私はどう答えたものか悩む。
魔族の問いなどに答える必要はないが、会話を続けることで少しでも淫魔リーデルの事を知る事ができるかもしれない。
「……ブレンデッド公爵家はすでに無い。様々な罪科により四十年前、当時の公爵は処刑されている。貴様の言う田舎娘の手によってな」
「四十年も昔か……しかし――そうか。為したのだな、私は」
淫魔リーデルはどこか遠い目で空を見上げた後。
満足そうに笑った。
「さて、退屈な話に付き合わせてしまった礼だ。どれ、一つ稽古をつけてやろう。見たところ皇女様は剣と魔法を使うのだろう?」
「戦いの場にドレス姿の女がよく言った!」
私は再び剣を振りかざす。
今、手にしているのは吸魔の剣。
触れた相手の魔力を奪い取る魔剣。
淫魔や夢魔に対して、特に有効な力を持つ。
私は背後を一瞥し、すでに抜剣している二人に囲むように合図する。
それに対し淫魔リーデルはその場から一歩も動く事なく、むしろ迎えるように両手を広げた。
「皇女アリエステル殿。美女というものは常に着飾る義務を負うものだ。戦いの場とて鎧姿よりもドレスの方が殿方は喜ぶだろう。お付きの騎士たちもそう思わないかな?」
二人が動き出したと同時に、リーデルは広げていた両手のそれぞれに小さな火球を浮かべてジャックとダニエルへと放った。
「はぁっ!」
「なんの!」
二人がそれを切り裂いた。
「ほう。お嬢様の御用聞きにしては、なかなか棒振りが上手いな」
拍手をする淫魔リーデル。
魔術の攻撃をかわせる者、防げる者はそれなりにいる。
だが剣で切り落とせるほどの者は滅多にいない。
そんな二人をして、御用聞きなどと軽口を叩く淫魔リーデル。
「邪を打ち払えるのであれば棒振りで結構! 上等な剣術など貴様にはもったいない!」
「お美しいご令嬢にお褒め頂き恐縮! であれば、もっと間近でご覧にいれましょう!」
私であれば我を忘れて斬りかかりそうな侮辱に対しても、二人は冷静に囲いを狭めていく。
「つまらん殿方たちだ。さて、多勢に無勢か。アリエステル殿の騎士道、誠に見事だな?」
挑発に乗らなかった二人相手に肩をすくめた淫魔リーデルは、今度は私を見てからかうように笑う。
「戯れ言を! 騎士道は魔族に説かれる道ではない!」
「ふむ。一対一で勝負つけたいという武人の誇りもない、と?」
「……ッ」
図星をつかれ、私は言葉に詰まる。
かつてこの淫魔から受けた屈辱を、己が剣だけで雪ぎたいという欲はある。
だが。
「私の誇りよりも民の安全が優先だ! どう罵られようと、貴様はここで討つ!」
「ふむ。いいな。いいぞ。それでこそ騎士、それでこそ貴族、まさに王族の極み。少しはまともになったのかな、この国は」
初めて淫魔リーデルが笑いを含まぬ言葉を発した。
「だがそれはそれとして。多勢に無勢を良しとするのであれば、こちらもそれに応えよう」
淫魔リーデルがドレスの胸元から大ぶりな宝石、いや魔石を取り出した。
「先に多勢を良しとしたのはそちらだ。卑怯とは言ってくれるなよ?」
その華奢な指先にどれほどの力が込められたのか。
つまんでいた魔石が砕けて周囲に散らばった。
「さて。ダンスの続きといこう」
パチンと淫魔リーデルが指を弾くと、砕け散った魔石が蒼く輝き、一瞬でスケルトンとなって私達を取り囲んでいた。
これは魔石を触媒にしての召喚術か!?
「貴様! 淫魔ではなく、リッチーか!?」
私はすぐに距離をとる。
アンデッドに触れられると魔力を吸い取られ、やがて命すら落としかねない。
スケルトンは足も遅く脅威ではないが、リーデルという強敵と対峙してなお周囲に気を配る余裕はない。
「姫様ッ! おさがりください!」
「スケルトンどもは我々が! 姫は淫魔を!」
「頼む!」
ジャックとダニエルがスケルトンたちに斬りかかる。
スケルトンたちは、大声を上げて剣を振る二人に誘われるように手を伸ばしていく。
「自ら囮になるとは健気な騎士たちだな。お望み通り私と一対一の舞台を作ってくれたぞ」
「……淫魔リーデル、貴様は本当にリッチーではないのか!? 死人でもないと!?」
私は敵であるリーデルへ愚直にたずねかけた。
死人というのはたいてい理性を失っている。
だが目の前のリーデルには知性どころか、優雅さすらあるのだ。リッチーとはとても思えない。
「私が死人かどうか? さてな。この身に血が通うと言った覚えもなし。さりとて死人かと問われれば、確かに生ある存在とは言い難い。だが美女には謎が多いほど良い。まだ若いアリエステル殿には少し難しい話かもしれんがな」
「……答える気が無いのは分かった。だが私も運がいい」
吸魔の魔剣の切っ先を向ける。
「今、私の手にあるのは吸魔の剣。アンデッドの魂を削る剣だ! 貴様の正体がなんであれ、ここで仕留めれば良い話だ!」
「ふふ。そうか、ふふふ」
しかしリーデルが浮かべるのは焦燥ではなく、やはり笑み。
「大魔王が配下、淫魔リーデル! 覚悟!」
私は吸魔の剣を強く握りしめ、三度、淫魔リーデルへと踊りかかった。




