↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

時を越えて、君の隣へ

時を越えて、君の隣へ

もしも、私たちが最初から、何者かに監視されていたのだとしたら。


 もしも、自分の意志で選んできたはずの道さえ、見えない何かによって管理されていたのだとしたら――。


 あなたは、それを信じられるだろうか。


 私はかつて、その視線から逃れようとしていた。


 自分の存在を悟られないように。余計な注目を集めないように。できる限り目立たず、静かに振る舞い続けた。


 けれど、どれほど慎重に立ち回っても、視線が消えることはなかった。


 まるで、見えない誰かがずっと頭上から私を見下ろしているかのように。


 そして私は、いつしか考えるようになった。


 ――本当に、逃げることなどできるのだろうか、と。


     *


 一月六日、午前八時四十三分。


 私は城の書斎で目を覚ました。


「……少し寝過ごしたか」


 魔法時計を確認し、椅子から立ち上がる。


 今日は冠陽市へ向けて出発する日だ。準備そのものは昨日のうちに済ませてあるが、出発前に確認しておきたいことはいくつか残っている。


 その前に、一つ気がかりなことがあった。


 昨夜、徐敏芊を城に泊めたのだ。


 慣れない場所で、きちんと眠れただろうか。


 そう思い、私は彼女に割り当てた部屋へ向かった。


 扉を軽くノックする。


「芊芊、起きてる?」


 返事はなかった。


 もう一度ノックしてみたが、やはり反応がない。


 念のため扉を開けてみると、部屋の中は空っぽだった。ベッドの上にも、彼女の姿はない。


「……先に起きたのかな」


 それなら問題はない。


 そう判断して部屋を出ようとしたところで、昨夜のことを思い出した。


 そういえば、完成したばかりの紫晶龍盤を自分の寝室に置いたままだった。


 昨夜はその魔力の輝きを眺めていたせいで、収納空間にしまうのを忘れていたのだ。


 私は踵を返し、自分の寝室へ向かった。


 扉を開ける。


 そして、足が止まった。


 ベッドの上に、誰かがいる。


 桃色の長い髪を枕に広げ、布団を抱きしめるようにして丸くなっている、小柄な少女。


 見間違えるはずもない。


 徐敏芊だった。


「……どうして、ここに?」


 思わず呟いたものの、当然ながら返事はない。


 彼女は気持ちよさそうに眠り続けていた。


 昨夜、別々の部屋で休むことになったはずなのだが。


 私は寝室の扉を振り返り、それから彼女へ視線を戻した。


 ……まさか、寝ぼけて部屋を間違えたのだろうか。


 可能性としては十分にあり得る。


 ひとまず起こそうと、私はベッドのそばまで歩み寄った。


「芊芊。朝だよ」


 肩にそっと手を添え、軽く揺する。


 反応はない。


「芊芊、起きて。そろそろ出発する時間だ」


 もう一度呼びかけると、彼女のまつげがかすかに震えた。


 やがて、ゆっくりと目が開く。


 まだ眠気の残る青い瞳が、ぼんやりと私を映した。


「……ん……?」


「おはよう」


 私が声をかけた、その直後だった。


「えっ……?」


 彼女は勢いよく上半身を起こした。


 ゴツンッ!


「痛っ……!」


 額と額が、見事に衝突した。


 私は反射的に額を押さえ、彼女もまた両手で頭を抱える。


「い、いたた……!」


「……大丈夫?」


「ご、ごめんなさい! 私、どうしてここに……!?」


 完全に目が覚めたらしい。


 彼女は自分が寝ていた場所を確認し、私を見て、再び周囲を見回した。


 その頬が、みるみる赤くなっていく。


「昨夜はちゃんと自分の部屋に戻ったはずなのに……」


「もしかすると、夜中に寝ぼけて来たのかもしれないね」


「そ、そんなこと……!」


 否定しようとして、彼女は言葉に詰まった。


 どうやら、本人にも心当たりがないわけではないらしい。


 私は小さく笑い、彼女の頭をそっと撫でた。


「まあ、気にしなくていいよ。まずは顔を洗っておいで。準備ができたら下で待ってるから」


「……うぅ。ごめんなさい、天木」


「本当に大丈夫だから」


 そう言い残し、私は寝室を出た。


 扉を閉めてから、ふと自分の手を見下ろす。


 先ほど、彼女の頭を撫でた手だ。


 別に、特別なことをしたつもりはない。


 それなのに、なぜか少しだけ、胸の奥が温かかった。


「……さて」


 私は小さく息を吐き、頭を切り替えた。


 今は感傷に浸っている場合ではない。


 冠陽市までの道のりは長い。出発前に確認すべきことも、まだ残っているのだから。


     *


 城の一階へ降りると、雷葛と佐天千代がすでに待っていた。


 外には馬車が停められ、そのそばでは一角獣が出発を待っている。


 荷物の積み込みも、馬車の点検も、すべて終わっていた。


「おはよう、二人とも。待たせたかな?」


「いや、こっちは問題ねえよ」


 雷葛が御者台から答える。


「私も大丈夫です!」


 佐天千代も、いつもの明るい笑顔を向けてきた。


 今日から冠陽市までの旅が始まる。


 道中にはいくつかの町や集落があるものの、目的地までは三日ほどかかる予定だった。


 馬車には車体を補強する付与魔法が施されているほか、風属性の魔法による加速機構も組み込まれている。


 それでも、三日間の移動は決して短くない。


 車内の収納スペースには、冠陽市で取引するための綿花が大量に積まれていた。さらに、雷葛の鍛冶道具や、佐天千代が使う付与魔法の消耗品も運び込まれている。


 それらを確認しながら、私はふと御者台の雷葛に目を向けた。


 彼はどこか落ち着かない様子で、何度も遠くの景色を眺めている。


「雷葛さん、ずいぶん楽しそうですね」


「そりゃあな。こうして明夕城を離れて遠出するなんて、二十年ぶりだからよ」


 彼は照れくさそうに笑った。


 四十歳になった今、息子の雷恩も十八歳。鍛冶屋を任せても問題ないほどに成長している。


 雷葛はこれまで、家族のために長い時間を費やしてきた。


 妻とは別れ、男手一つで息子を育て上げたのだ。


 その苦労を思えば、今回の旅を楽しみにしているのも当然だろう。


 私は改めて、馬車の中にいる仲間たちを見回した。


 普段、私たちは迷宮の探索や戦闘、装備の強化に追われている。


 どのスキルが有効か。どの装備を揃えるべきか。どうすれば最小の損失で最大の成果を得られるか。


 そんなことばかり考えている。


 もちろん、それらは重要だ。


 だが、いつも一緒に行動している仲間たちについて、私はどれほど知っているのだろう。


 雷葛には、雷葛の人生がある。


 佐天千代にも、彼女自身の人生がある。


 そして、徐敏芊にも。


 彼らは私の計画を実行するためだけに存在しているわけではない。


 ならば、少しくらい互いのことを話す時間があってもいいはずだ。


「せっかく三日間も一緒に旅をするんです。どうせなら、互いのことをもっと知っておきませんか?」


 私は二人に提案した。


「これまでのことでも、昔の思い出でもいい。普段はなかなか話せないことを聞いてみたいんです」


「いいですね!」


 佐天千代が、待ってましたと言わんばかりに手を挙げた。


「それなら、私から話してもいいですか?」


「もちろん」


「やった!」


 彼女は嬉しそうに身を乗り出した。


 その反応を見て、私は少しだけ警戒心を抱いた。


 ……妙に食いつきがいいな。


 とはいえ、せっかく本人が話したがっているのだ。止める理由もない。


「実はですね、天木」


 佐天千代は、いたずらを企む子供のような笑みを浮かべた。


「私、ずっと前からあなたのことを知っていたんですよ」


「……ずっと前から?」


「はい。現実世界にいた頃からです」


 彼女は胸を張って答えた。


「あなたは、私がずっと憧れていたゲーム実況者だったんです。プレイの技術も、戦術の組み立て方も、ゲームの仕様に対する理解も、本当にすごくて……。私はずっと、あなたの配信を見ていました」


「そうだったのか」


 それは初耳だった。


 私は彼女の顔を見つめたが、記憶を探っても、すぐに思い当たることはなかった。


 佐天千代は少しだけ頬を膨らませる。


「……反応が薄いですね」


「いや、単純に知らなかったからね」


「そういうところですよ、天木」


 彼女は呆れたようにため息をついた。


「でも、私があなたを好きになったのは、迷宮で助けてもらったからだけじゃないんです」


 その言葉とともに、彼女の表情が少し変わった。


 いつもの明るさはそのままに、瞳には真剣な光が宿っている。


「あの出来事は、あなたに近づくきっかけになりました。でも、それよりずっと前から、私はあなたのことが好きだったんです」


 私はしばらく彼女を見つめた。


「……ごめん。まったく気づかなかった」


「でしょうね!」


 即答だった。


「あなた、自分に向けられている好意には、本当に鈍いんですから!」


「それは……否定できないな」


 少なくとも、彼女がこれほど長い間、自分に好意を寄せていたとは思ってもみなかった。


 しかし、佐天千代はそこで話を終えるつもりなどなかったらしい。


「それでですね。私はあなたのことをもっと知りたくて、いろいろ調べたんです」


「いろいろ?」


「はい。戸籍の情報を調べたり、住んでいる場所を探したり。それから、あなたの家の近くに引っ越して、同じ学校に転入しました」


「……待って」


 私は思わず彼女の言葉を遮った。


「今、家の近くに引っ越したって言った?」


「言いましたよ?」


 彼女はきょとんとした顔で頷いた。


 悪びれる様子は一切ない。


 私は一度、目を閉じた。


 ……情報量が多すぎる。


「でも、あなたって本当に外に出ないんですよね。たまに見かけても、スーパーでエナジードリンクとカップ麺を買って帰るくらいで」


「……」


「だから、何度も思ったんです。私がご飯を作ってあげたら、もっとまともな食生活になるんじゃないかなって」


 私は彼女を見つめた。


 そこで、記憶の片隅に引っかかっていた光景が、ようやく形を取り始めた。


「……そういえば」


「はい?」


「以前、スーパーでサングラスをかけた黒髪の女性を見たことがあるんだけど……あれも君だったのか?」


「正解です!」


 佐天千代は、満面の笑みで答えた。


「やっと気づいてくれましたね!」


「……ずっと、偶然見かけた人だと思っていたよ」


「ひどいです!」


 彼女は頬を膨らませたものの、その表情にはどこか嬉しそうな色があった。


 どうやら、本人にとっては長年の片想いを語る貴重な機会らしい。


 そして、私にとっては、自分の知らない過去を次々と突きつけられる時間でもあった。


「それに、私たち、昔は同じクラスだったんですよ」


「……そうなのか?」


「そうです! あなた、よく授業をサボっていたでしょう? あの頃から、ずっと覚えているんですからね」


 私は思わず視線を逸らした。


 否定できない。


 あの頃の私は、学校に対してあまり熱心ではなかった。


 しかし、佐天千代はそれだけでは満足しなかった。


「それから、家では特撮の変身ベルトをつけて、真剣に変身ポーズの練習をしていたことも――」


「待った」


 私は即座に手を伸ばし、彼女の口を塞いだ。


「……そこまでにしておこうか」


 できるだけ冷静に告げたつもりだった。


 だが、佐天千代の目が、これ以上ないほど楽しそうに細められている。


 完全に面白がられている。


 私はそっと手を離した。


 彼女は一度咳払いをしてから、何事もなかったかのように話を続ける。


「それに、昔はよくメッセージも送っていたんですよ。やっと友達申請を承認してくれたと思ったら、返事はいつもそっけないんですから!」


「……」


「せっかく勇気を出して送ったのに、短い返事だけで終わっちゃうことも多くて……」


 彼女は少しだけ頬を膨らませた。


 その表情には、昔の不満と、今だからこそ笑って話せる懐かしさが混ざっていた。


 私は小さく息を吐いた。


「……本当に、申し訳なかった」


「えっ?」


 思いがけない謝罪だったのか、彼女が目を丸くする。


「当時の僕は、他人との付き合い方がよくわかっていなかったんだ。君がそんなふうに思っていたとは、知らなかった」


 私は彼女の目を見て、続けた。


「今になって気づくことばかりだね」


 佐天千代は一瞬、何かを言いかけた。


 けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「……じゃあ、これからはちゃんと私のことを見ていてくださいね?」


「ああ。そうするよ」


 私が頷くと、彼女は満足そうに笑った。


 その笑顔を見て、私はようやく理解した。


 彼女が過去の話を次々と持ち出すのは、ただ私を困らせたいからではない。


 あの頃、自分がどれほど私を見つめていたのか。


 どれほど近づきたかったのか。


 そして今、どれほど嬉しいのか。


 そのすべてを、私に知ってほしいのだろう。


 そう考えると、少しくらい恥ずかしい過去を暴露されるのも、我慢するべきなのかもしれない。


 ……いや。


「ただし、変身ベルトの話は今後一切禁止だ」


「えーっ! どうしてですか!」


「それだけは譲れない」


「天木のけち!」


 佐天千代の抗議が、馬車の中に響き渡った。


 私は苦笑しながら、窓の外へ視線を向ける。


 冠陽市への道のりは、まだ始まったばかりだ。


 そして、どうやらこの三日間は、私が思っていた以上に賑やかな旅になりそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。