地獄のストーカー・ドライブ、出発進行!
「なんでお前が馬車を運転してんだよォォォォォッ!?」
馬車の御者台から聞こえてきたのは、仕立ての良い黒のタキシードにシルクハットをかぶった、最高に気障で軽薄な【影のマネージャー姿】の混沌神の声だった
「ひゃははは! 僕からは逃れられないって言ったでしょ? 三年間の長い長いハネムーン(馬車の旅)、たっぷり僕と楽しもうねぇ、ステラちゃん♪」
普段の俺なら、あまりのパニックに「ひ、ひぃぃ!」と白目を剥いて卒倒するところだった。だが、この一年間、エルミナ先生のもとで血の滲むような魔法修行と
(ハート型エフェクトとの戦い)を続けてきた俺は、ただのヘタレおっさん自衛官のままではなかった。魔力の流れを感知する訓練の副産物として、
俺は【混沌神が本気を出していない普段の軽薄な変身】であれば、ある程度その邪悪な神気を見破れるようになっていたのだ。
(……チッ、馬車に乗る直前から、御者台から妙にドス黒くて生温かい神気がダダ漏れだと思ってたんだよ。やっぱりお前かクソ邪神!)俺は漆黒の防風ベールをガチガチに押さえながら、御者台の混沌神をベールの隙間からキッと睨みつけた。
「おい、混沌神! お前、神のくせに暇人すぎるだろ! よろず達の前であんなに格好良く『ステラは僕だけのものさ』とかヤンデレ全開で言ってたクセに、やってることがただのストーカーの付き人じゃねえか!」
「おや、バレちゃった? さすが僕のステラちゃん、一年の修行で僕の気配が分かるようになるなんて愛の力だねぇ! でもストーカーなんて人聞きが悪いなぁ。僕は君が心配で、甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いてあげる優秀な『マネージャー兼御者』だよ?」混沌神はシルクハットのハットの縁を人差し指でクイッと持ち上げ、糸目の奥で最高に楽しそうにウインクを飛ばしてきた。
本気で神気を出されたら俺の知覚など一瞬でパッシブ無効化されるのだろうが、今は奴自身が「ステラちゃんに突っ込まれて遊ぶこと」を全力でエンジョイしているため、わざと変身のガードを緩めているのだ。本当に質の悪い神様である。
「はぁ……。もういい、勝手にしろ。ただし、移動中に俺に一歩でも近づいたらグロックと手榴弾を叩き込むからな」
「ひゃはは、手厳しいねぇ! それじゃ、出発進行ー!」パシィン! と混沌神が手綱を引くと、シャルロット姉さまが用意してくれた立派な二頭立ての馬車が、ゆっくりと動き出した。こうして、行くまでに馬車で二ヶ月という、気が遠くなるような『深淵の監視者』ダンジョンへの長い旅路が始まった。移動中の混沌神のウザ絡みは、文字通りミリタリースペックの耐久テストのようだった。
「ねえねえステラちゃん、お腹空かない? 僕が天界の最高級の果実で作った、絶対に三杯ルールに引っかからない特製ジュースがあるんだけど、ベールの下からあーんってしてあげようか?」
「いらん! アイテムボックスに自衛隊のレーションが山ほど入ってる!」
「冷たいなぁ。じゃあ退屈だし、僕が君のために作った『混沌のラブソング』でも歌ってあげよう。はい、ミュージック、スタート♪」
「歌うな! 音痴じゃないけど神の魔力が音波に乗ってて頭がガンガンするわ!」遮るもののない一本道、馬車のキャビンの中で、俺は二枚縛りのウォッカスキットルを握りしめながら、ただただ耐え続けた。
一口、ゴクリ。
……ヨシ、耐えろ。
二口、ゴクリ。
……これで後がない。
三口目を飲んだら、御者台の邪神に寝顔をどんなハレンチなポーズにスケッチされるか分かったもんじゃない。
「死にたい。二ヶ月のドライブデート(片方は邪神)とか、どんな罰ゲームだよ……」
ベールの下で涙を流しながら、俺を乗せた馬車は最初の宿場町へと滑り込んでいくのだった。
馬車に揺られること数日、俺たちは最初の大きな宿場町へと到着した。夕暮れ時、街の壁に埋め込まれた『発光プレート』の明かりが、外の夕日と連動してじんわりと橙色に染まっていく。
「さあ着いたよ、ステラちゃん! 今夜のお宿の交渉は、この優秀なマネージャーに全て任せておくれ!」
馬車が止まるなり、御者台から飛び降りたタキシード姿の混沌神が、恭しく馬車のドアを開けて俺の手を取ろうとしてきた。俺はその手をパシィンと叩き落とし、自力で地面に降り立つ。頭の防風ベールは突風に備えてガッチリと両手でホールドしたままだ。混沌神が俺を案内したのは、宿場町の中で最も大きくて豪華な、貴族御用達の一流ホテルだった。
「いらっしゃいませ。……おや、そちらのベールのお客様は……?」
フロントの受付係が不審そうな目を向けた瞬間、
混沌神がスマートに前に出た。
彼女は我が主、高貴な令嬢のステラ様だ。最高級のスイートルームを一部屋、今すぐ用意したまえ。
ああ、代金ならこれで足りるかな?
混沌神がポケットから取り出したのは、見たこともないほど巨大で純度の高い『最高級の魔鉱石』だった。一個で城が建つレベルの国宝級の代物である。
フロントの受付係は目玉が飛び出そうな顔になり、「は、ははっ! ただいま最上階の特等室をご用意いたします!!」と、狂ったように頭を下げて奥へと走っていった。
おい、混沌神。何が『一部屋』だ! お前と俺が同室なわけないだろ!
部屋は二つ取れ!
俺がベールの下から小声で怒鳴りつけると、混沌神はクスクスと肩を揺らして笑った。
何を言っているんだい、ステラちゃん。僕は君の『お世話係(御者)』だよ? 君に何かあったら大変だし、夜中にあの公爵令嬢みたいな肉食系のメスが忍び込んできたら困るだろ? だから、部屋の中で僕が甲斐甲斐しく、至れり尽くせりで看病……
じゃなくてお世話をしてあげるのが当然じゃないか
「看病って言ったな、お前! この前のよろずの新刊のシチュエーションをリアルで再現しようとしてるんじゃねえッ!!」
結局、宿の従業員たちは邪神の出した桁外れの資産(魔鉱石)に完全に目が眩んでおり、俺の抗議など「高貴な令嬢の可愛いワガママ」としてスルーされ、強制的に最上階の豪華な一部屋へと案内されてしまった。部屋に入ると、混沌神の「甲斐甲斐しい世話焼きハラスメントが本格的に大爆発した。
「さあステラちゃん、まずは旅の疲れを癒やすために、僕が最高のお湯の温度に調整したお風呂へどうぞ! もちろん、お望みなら僕が全身を隅々まで、あのよろずちゃん以上に優しく事務的に洗ってあげても――」
「入るかバカモノ! 風呂は夜中に一人で入る! お前はバルコニーから一歩も動くな!」
「おや、冷たいね。じゃあ夕食にしようか。ほら、この宿のシェフを神の力でちょっと脅して……じゃなくて、僕の魔力で最高に美味しく魔改造させた特製のフルコースだよ。ベールをちょっとだけめくって、僕がフォークで口元まで運んであげるからさ。はい、あーん♪」
「自分で食うわ! あと口元が見えたら宿の給仕が鼻血噴いて倒れるから、お前は後ろを向いてろ!」飯を食う時も、ベッドのシーツを整える時も、混沌神はいちいち距離感をゼロにして俺のパーソナルスペースに侵入してくる。
それも、あからさまに「ステラちゃんが怒ってパニックになる顔」を間近で観察して楽しむための、完璧な確信犯(ウザ絡み)だった。
「……ハハ、もうダメだ。旅が始まってまだ数日なのに、俺の精神ゲージが完全に限界突破してる……」
深夜、混沌神を(一応)バルコニーへ締め出し、俺はベッドの上でカーテンの切れ端を頭に巻き直しながら、深く、深くため息を吐いた。
アイテムボックスからウォッカのスキットルを取り出し、チビチビと舐める。これで今日二杯目。あと一杯で気絶する。だが、この部屋にはカーテン一枚を挟んだ向こう側に、あのヤンデレ邪神が待機しているのだ。絶対に三杯目を飲むわけにはいかない。「逃れられない運命って、こういうことか……」俺はベッドの中で小さく丸まり、明日からのさらなるウザ絡みドライブを想像して、早くも三年後の王宮帰還(※よろず達が待っている)が恋しくなるという、最悪の矛盾を抱えながら眠りにつくのだった。




