自衛隊式お別れ挨拶(物理的ざまぁ)
混沌神が神域をグラグラと揺らして怒り狂っていることなど露知らず、俺――ステラ(中身30歳元自衛官)は、かつてないほど晴れやかな気持ちで遠征の準備を進めていた。
「よし、アイテムボックスに食料と水は入れた、手榴弾もグロックの予備弾倉もバッチリだ。……ところで、これから教えを乞いに行く『深淵の監視者』とやらにお土産って必要なんだろうか?」
エルミナ先生は何も言わなかった。というか、そもそも俺自身が吸血鬼のはずなのに、血の好みはおろか「血を吸いたい」という欲求すら一度も湧いたことがない。これもあのクソ邪神が裏で何か仕組んでいるのだろうか。まあ、出発前にこれまでお世話になった人たちに挨拶して回るついでに、そのへんの事情を聞いてみるか。
シャルロット姉さまに「しばらく行ってきます」と笑顔で挨拶を済ませた後、俺は一応、よろずとあのクソ邪神(混沌神)にも挨拶をしておくことにした。
……いや、絶対にいる。あいつら俺の部屋を完全に自分の部室か何かだと思っているから、絶対にいる。
案の定、自分の部屋のドアを開けると、そこには見慣れた地獄の光景が広がっていた。混沌神は当然のように俺の部屋の椅子にふんぞり返り、マイホームのごとく優雅にお茶を飲んでいる。その傍らでは、よろずが珍しく「ちゃんとした真面目なメイド」として甲斐甲斐しく給仕をしており、壁際ではロリ僕っ子のピノが背筋を伸ばして直立していた。
(ムカつく。俺がいる時より余程まともなメイドの仕事してんじゃねえか……)まぁいい。聞くことだけ聞いて、さっさとサヨナラの挨拶をしてお別れとしよう。
俺は一歩前に出ると、ひたすら真面目に、陸上自衛隊式に直立不動の姿勢を取った。そして、ビシッと45度の角度で折り目正しく頭を下げ、部屋中に響くような凛とした声で言い放った。
混沌神様。私、この度師匠より修行の旅に出るよう命じられました。これが最後になるかもしれませんので、お別れを言いに来ました。
混沌神様、今までの色々と迷惑をかけていただき、ありがとうございました
嫌味をこれでもかと込めた完璧な自衛官の挨拶。混沌神はグラスを持つ手を止め、非常に不機嫌そうに糸目を細めた。
「へぇ……お別れねぇ。僕に何か聞きたいことでもあるのかい? 内容によるけれどねぇ……」
「では、一つ目。私は吸血鬼属性が有りますが、混沌神様がこの加護(呪い)を下さったのでしょうか?」
「そうだ」
「二つ目。吸血鬼には様々な弱点が有りますが、私はこれまで一切不自由したことがございません。混沌神様が何らかの理由でこれらを無効化されているのでしょうか?」
「そうだ」
「理由は結構です。今後、この弱点が顕在化することはありますか?」
「……しないね」
不機嫌さのボルテージが上がっていく邪神に対し、俺はベールの下でニヤリと笑った。
「ありがとうございます。最後に、私はこれから『深淵の監視者』のダンジョンに潜りますが、その『監視者』にお土産物の一つでも持っていこうと思います。何か良いもの、あるいはあいつの好みに心当たりはありますか?」
その瞬間、部屋の中の空気が、文字通り『絶対零度』へと凍りついた。混沌神から漏れ出る不機嫌と怒りのオーラが、もはや物理的な質量となって部屋を押し潰そうとしている。
横にいるよろずとピノの顔色は、完全にインクを失った紙のように真っ白だ。
おいよろず、白目を剥くな、倒れるんじゃねえ!だが、俺の心は最高にスッキリしていた。
――あっ、もういいですかね? 答えてもらわなくても結構です
十分やり返した。
これまで俺を着せ替え人形にし、薄い本のネタにし、日替わりでセクハラツーショットを撮ってきたあの邪神が、自分の思い通りにならない俺の態度に本気でイラついている。
最高に「ざまぁ見ろ」である。
「十分な回答、ありがとうございました。では皆さん、サヨナラ!」
俺はもう一度、45度折り目正しく美しいお辞儀を決めると、振り返ってバタンとドアを閉めた。通路を歩きながら、自然と笑みが零れてくる。やった。あの邪神に一泡吹かせてやったぞ!
――その直後、部屋の中の混沌神は、言葉にできないほどの怒りで文字通り
「激昂」
していた。辛うじてその神威を外に漏らさなかったのは、せっかくのステラとの会話(?)
を台無しにしたくなかったからだが、もしあの怒りの波动がほんの少しでも外に噴き出していれば、王宮の北半分は跡形もなく消滅していただろう。よろずとピノの二人は、ドアが閉まった瞬間に腰が抜けて、その場で揃って失神していた。混沌神としては、ステラが「一人で寂しいよ、行きたくないよ」と甘えてくれば、ダンジョンごと手元に引き寄せるなり、何でも願いを叶えてやるつもりだったのだ。
それがあの、徹底的に事務的で冷たい自衛官お別れ挨拶! 許せん、絶対に許せん……!
そこまで僕から逃げたいなら……いいよ、とことん付きまとって、君が困り果てているところを特等席で指をさして大爆笑してやるからね……!
もし、気絶しているよろずがこのセリフを聞いていたなら、間違いなく心の中でこう突っ込んでいただろう。
(ヤンデレのストーカー神様……貴方、相手が困っていたら我慢できずに絶対に一番に助けに入りますよね? そろそろ現実を見なさい……)と。
邪神の歪みきった独占欲(ストーカー気質)など知る由もないステラは、上機嫌のまま、シャルロット姉さまが用意してくれた豪華な遠征用の馬車に乗り込んだ。
さて、出発進行! ……って、
あれ? よく考えたら『深淵の監視者』のダンジョンって、行くまでに馬車で二ヶ月、ダンジョン攻略に一年、そこでの修行に最低一年……戻るの、早くても三年後じゃねえか!?
今更ながらにとんでもない遠征期間に気づいたが、まあいい。あの王宮の精神的ディストピアに三年戻らなくて済むなら、むしろご褒美である。
「よし、御者さん! 出発してくれ!」
「はーい、御者だよ☆ 安全運転でダンジョンまで送っちゃうからね、ステラちゃん♪」
「……は?」
馬車の御者台から聞こえてきたのは、仕立ての良いタキシードに身を包み、シルクハットをかぶった、最高に気障で軽薄な【影のマネージャー姿(御者仕様)】の混沌神の声だった。
「なんでお前が馬車を運転してんだよォォォォォッ!?」
ひゃははは! 僕からは逃れられないって言ったでしょ? 三年間の長い長いハネムーン(馬車の旅)、たっぷり僕と楽しもうねぇ!
中身はおっさん、見た目は絶世の吸血鬼魔法少女。俺の平穏なダンジョン引きこもりライフは、出発の第一歩目から、邪神直々の
「強制付き添いストーカー馬車旅(二ヶ月間)」という、新たなる最悪の試練と共に幕を開けるのだった。
(第一部・完全完結)




