Episode4:何のつもり?
夕日を背にした影が、一歩近づくごとに伸びていく。
やがてその人は、私の前でぴたりと足を止めた。
白い肌。それを際立たせるように、腰まで流れる長い赤みがかった黒髪。切れ長の瞳は、冷たく澄んでいる。
ただ立っているだけで、目を引く美しさだった。背筋は凛と伸び、制服の着こなしひとつにも気品がある。それなのに、近づく者をすべて拒むような、張り詰めた空気をまとっていた。
周囲の生徒たちは、息を殺して遠巻きに見ている。
間違いない。
彼女こそ、乙女ゲーム『ロザリアの誓約』に登場する悪役令嬢――ヴァレリア=クライゼル。
ゲームではヒロインの恋路を邪魔し、最後には国外追放される運命の令嬢。
彼女が現れるのは、ゲームの序盤。ヒロインを一瞥して、そのまま立ち去るだけのイベントだったはず。
案の定、ヴァレリアは私を一瞥しただけで、何も言わずにすれ違っていく。
つまり、ここで何もしなければ原作どおり。
あとは、私が王子様との好感度を上げる選択をし続ければ良いだけ。
そして、悪役令嬢は国外に追放されて、めでたしめでたし。
(でも、待って……)
国外追放される彼女のことを思う。
攻略対象の王子様たちと恋愛するのもいいけれど、どうせなら、彼女とも仲良くなりたい。
(みんなハッピーになる道はないのかな……)
私は意を決して、遠ざかる背中に声をかけた。
「あ、あのー……!」
ヴァレリアが足を止め、こちらを振り返る。
「……何?」
それは低く、落ち着いた声だった。
(ひゃ、すみません!)
鋭い視線に、思わず心の中で謝ってしまう。
(いやいや、ここで怯んでどうする。私はこの世界の恋愛マスター、そしてゲームの全ルートをやり込んだ女!)
「よかったら、私とお茶とかしませんか?」
「……は?」
「私、あなたと、その……お友達になりたくて……」
「サトリナ様!?」
隣にいたシオンが、驚いた声を上げた。
周囲の生徒たちも、何事かとこちらを振り返る。
「えっ、サトリナ様……?」
「クライゼル様と?」
「一体、どういうこと……?」
そんなに驚くことだろうか。
ただ友達になりたいと言っただけなのに。
ヴァレリアは私をじっと見つめたあと、冷ややかに口を開いた。
「何のつもり? 王女様の戯れに付き合うほど、暇ではないわ」
(うっ、厳しい!)
さすが悪役令嬢。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「いえ、だからその、あなたとお友達になりたいの!」
「……!」
ヴァレリアの目が、わずかに見開かれた。
けれど、すぐに元の鋭い眼差しに戻る。
「……そう。でも、私はあなたとお友達にはなりたくない。失礼する」
彼女はそう言い残し、今度こそ足早に去っていった。
私はその背中を見送る。
(うーん、難易度が高い……)
シオンが呆れたように私を見た。
「サトリナ様。一体どういうおつもりですか!? ヴァレリア様には、良くない噂も聞いております。あまり近づかないほうがよろしいかと……」
「いいの、いいの!」
シオンの忠告を聞き流しながら、私は先ほどのヴァレリアの表情を思い返していた。
美しいのに、どこか悲しげな顔。
ゲームの中の彼女は、ただの悪役として描かれる。
どうして人を遠ざけるのか、その理由は最後まで語られない。けれど、画面の向こうにいたはずの彼女が、目の前にいる。
(この未来は、変えられないの?)
変えたい。そう思った。
なら、まずは私が動くしかない。
「明日のお昼、彼女と過ごすから」
「……何をなさるおつもりですか?」
「お友達を作るの! いつも彼女がいる場所とか知ってたら教えて!」
シオンは、信じられないといった顔をしていた。それでも、ヴァレリアがいつもお昼を過ごしている場所は、渋々教えてくれた。
悪役令嬢と友達になることは、ゲームにはない展開。
だけど私には勝算があった。例の「悪魔祓い」の一件だ。
元々のストーリーや設定にはなかった出来事。あれは私が調子に乗って、はしゃいだ結果だった。
でも、私の行動で、他の人たちの行動がたしかに変わった。
それなら――
(お友達になることくらい、朝飯前でしょ?)
* * *
翌日の昼休み。
シオンに教えてもらった食堂の隅へ向かうと――
(……いた)
彼女は一人で、簡素なパンを口に運んでいた。
見回すと、周囲の席はがら空きだった。混み合う食堂の中で、彼女の周りだけ、ぽっかりと誰もいない。
私は迷わず、その向かいの席に腰を下ろした。
「ヴァレリアー!」
「……なっ!?」
彼女が勢いよく顔を上げる。
「あなた、どうしてここが……!」
「知ってるよ。あなたのことは、よーく知ってるから!」
「……っ」
(しまった……)
昨日少し話しただけの相手に言う台詞じゃなかったかもしれない。
「昨日、お話したでしょ? お友達になりたいって」
「私は、約束など……」
ヴァレリアは言葉に詰まり、やがて警戒するように目を細めた。
「……施しのつもり?」
「へ?」
「一人で食べている私を哀れんで、わざわざ付き合ってくださる、と?」
(ああ、そういうこと……)
誰も近づかない席で、一人でパンをかじる彼女に、手を差し伸べる人なんていなかったのかもしれない。
「違うよ。私が一緒に食べたいから来たの」
「……何を企んでいる?」
「何も?」
「……」
「それより、そのパンおいしい?」
「話を聞いてるの!?」
思わず笑ってしまった。
ヴァレリアは不機嫌そうに眉を寄せたけれど、追い払おうとはしなかった。
(よし、まずは第一歩!)
* * *
その後も、私は何度か彼女と昼食を共にした。
もちろん、王子様たちとの交流も忘れていない。
レオンとは校内で顔を合わせるたび、爽やかな笑顔を向けられた。シャルルは相変わらず穏やかで、アーベルは何かと私の様子を観察している。ルカは見かけるたびに、子犬のように元気よく手を振ってくる。
次の好感度イベントまでは、まだ日数があったはずだ。
今はヴァレリアと仲良くなるのが先だ。
そうして何日かが過ぎた頃。
私は、ふと疑問に思った。
「ねえ、ヴァレリア」
「何?」
「どうして、みんなヴァレリアのことを怖がってるんだろう?」
彼女は一瞬だけ手を止めた。
「……さあ。悪い噂、とやらのせいでしょう」
「悪い噂?」
「その中身までは知らないわ」
「……そう、じゃあ私は信じない」
「好きにすればいい」
ヴァレリアはそう言って、視線をそらした。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
席を立つと、背中に声が届いた。
「……明日も、来るの?」
振り返ると、ヴァレリアは手元のパンに目を落としたままだった。
「うん、来るよ!」
「……物好きな王女様」
「じゃあ、約束ね!」
「約束は、しない……」
そう言って顔をそむけた彼女の口元が、ほんの少しだけゆるんでいる気がした。
このときの私は、まだ知らなかった。
私の差し出した手が、王子様たちまで巻き込む大騒動になるなんて。




