Episode3:この恋愛は合法です
ベッド上での高笑い事件により、危うく悪魔祓いされそうになるも、なんとか誤解を解くことができた。
翌朝。
学園へ向かう馬車の窓に、長い金髪の少女が映っていた。青い瞳に、紺色の制服。これが今の私、サトリナ。まだ見慣れない姿に戸惑っていた。
向かいの席では、シオンが背筋を伸ばして座っている。美しい黒髪に、きっちり着こなした執事服。凛とした横顔は、少年のようにも見える。
昨日うっかり心の声を漏らした件が、まだ尾を引いているのか、目が合うとすっと視線をそらされた。
「サトリナ様、少しよろしいですか?」
「うん?」
「念のため、状況をおさらいしますね。サトリナ様の記憶もおぼつかないようですし」
「うっ……」
(記憶はしっかりしてるんだけどなぁ……)
「サトリナ様は、ローゼンフェルト王国の王女でいらっしゃいます。そして、王国の学園に向かっている最中です。今日から学年は二年生です」
そうだ。これは新学期の朝にシオンが状況を教えてくれる、ゲーム内の説明。要するに、チュートリアル部分だ。
「我が国は永世中立国。学問と研究の水準が高い国家として名を馳せています。その中心にあるのが、『ロザリア学園』です」
窓の外を、屋根に観測器を載せた研究塔が流れていく。本を抱えて駆ける学生たち。街ごと学校みたいな国だ。
「ロザリア学園には、各国の王子や貴族のご子息が集っています。優れた教育を受けるためです。ただし、この国、こと学園においては一切の政治的争いは持ち込めません。国同士の不戦の協定が結ばれています。そして学園の中では、皆が等しく一人の学生として扱われます」
全部、頭に入っていた。私の視界の下に、あのテキストウィンドウが重なって見える気がした。
「それと、王女であるサトリナ様は、学園でも一目置かれる存在です。他の皆さんも注目していますので、振る舞いにはお気をつけください。くれぐれも昨日のようなことは避けてくださいね」
「う、うん」
「それと、王子たちの一部の方とは、幼い頃から外交の場でお会いされていますね。学園内でお声掛けされる機会もあることでしょう」
そうだ、攻略対象の4人の王子たちだ。
昨日の目覚めがゲームの冒頭なら、今日はいよいよ「顔合わせ」のイベント。
(なんか緊張してきた……)
恋愛マスターを自称していたが、なんだかドキドキしてきた。
窓の向こうに白亜の校舎が見えてきた。
* * *
校門の前に、朝日を浴びた人だかりができていた。
「レオン様、今日も素敵……」
「文武両道で、あのお人柄。大国の第一王子が、朝から門前でご挨拶だなんて……」
そのささやき声の中心に、背の高い青年が立っていた。
陽に透ける明るい金髪、澄んだ空色の瞳。制服をきっちり着こなした姿は、どこから見ても王子様だった。
彼の名は――レオン=エヴァンス。
ゲームのパッケージでは、中央近くでヒロインの隣に立っている。
その瞳が私を見つけて、ぱっと明るくなる。
「おはよう、サトリナ! 今年も同じクラスだな」
「あっ、ええ。おはよう、レオン」
よく通る、太陽みたいな声だった。
呼ばれた名前に一瞬戸惑ったものの、すぐに返事をした。その間に、周囲がざわめき出した。
「見て! サトリナ様よ!」
「レオン様とサトリナ様が、ご一緒だわ!」
歓声とともに、人垣が左右へ割れていく。降り注ぐ視線。
(そうだ、私、王女設定だった……)
「頭を打って倒れたって聞いたぞ。もう大丈夫なのか?」
「うん、平気だよ」
「ほら、鞄貸して」
断る間もなく、鞄は彼の手の中にあった。押しつけがましさはゼロ。
レオンは歩きながら、挨拶してくる生徒たちに笑顔で応え、すれ違う教師にも爽やかに返している。その間も私の歩幅に合わせ続け、気遣ってくれていた。何ひとつ、ぬかりがない。
「レディーファーストってね。荷物持ちくらいさせてくれよ。じゃあまたな」
冗談めかして笑う。その笑顔が眩しかった。
* * *
昼休みになる。
(えーと……たしか次のイベントは……)
中庭の掲示板の前で、足を止めた。
新学期恒例の学力試験の成績表だ。研究と学問の国らしく、順位の掲示にまで気合が入っている。
1位の欄に「シャルル=リュネール」と記載されていた。
「シャルル……」
思わずつぶやく。
「おや、そんなに珍しいかい? 僕の名前が」
背後から、低く穏やかな声が降ってきた。
振り向くと、見上げるほど背の高い青年が、木漏れ日の下で穏やかに微笑んでいた。月光を溶かしたような長い銀髪を、うなじで緩く結んでいる。淡い金色の瞳が、やわらかく細められた。
「シャルル、先輩……」
「久しぶりだね、サトリナ。倒れたと聞いて心配したよ」
穏やかで優しい声。何もかも包み込むような、そんな響きがした。学年は一つ上。彼もまた、攻略対象の王子だった。
「1位なんですね」
「まあね……それより、サトリナ。顔色がよくないんじゃないかい?」
にこにこしたまま、首を少し傾けて覗き込んでくる。
「困ったことがあれば、なんでも言ってね」
「は、はい……!」
実年齢25歳の私は、完全に彼の後輩になっていた。
* * *
放課後の図書館は、傾いた陽射しで茜色に染まっていた。
ゲームでは、このあと学園の図書館へ向かうイベントが発生する。借りた本の返却期限が今日であることを思い出す。そんな設定だった。
(これ、私が図書館に行くの忘れてたら、ゲームの展開どうなるんだろう……)
そんな疑問が浮かんだが、王子との貴重なイベントをつぶすわけにはいかない。雑念を振り払い、図書館へ足を運んだ。
そして、図書館の扉を開けると――窓際の席で、濃い藍色の髪の青年が、革表紙の分厚い本をめくっている。
前髪が目元にかかり、銀縁眼鏡の奥で、黒い瞳が静かに文字を追っていた。机には、難しそうな書物が積まれていた。
その人物こそ、王子の一人。アーベル=レグナードだった。
同じ二年生の、クールな知的男子。ルートによっては、彼が眼鏡を外すイベントなんかもある。
入口で足を止めた私に、足音で気づいたのか、彼がふと顔を上げた。眼鏡のブリッジを指で押し上げ、静かに立ち上がる。
「サトリナか」
低く、起伏の少ない乾いた声だった。
「頭を打ったと聞いたが、大丈夫か?」
「う、うん」
「そうか、安心した。頭を打ったあと、時間がたってから症状が出ることもある。頭痛、吐き気、物が二重に見える。どれか一つでもあれば、すぐ医師に診てもらった方がいい」
「ありがとう。大丈夫、もう平気だから」
「昔から君は、そそっかしいところがあるからな」
言いながら、向かいの椅子を引いてくれる。無愛想なのに、動作だけは妙に丁寧だ。
おずおずと腰を下ろすと、その瞳が、じっとこちらを観察してきた。
「物が二重に見えたりしていないか?」
「大丈夫だよ」
「俺の顔は、はっきり見えているか?」
「え……」
銀縁の眼鏡をした彼が、私の顔を覗き込む。
息ができなくなる。
(そうだ、こんなイベントあった……)
何周もしたはずなのに、冒頭のイベントはノーマーク。すっかり忘れていた。
「だ、大丈夫」
「そうか、何かあれば知らせてくれ」
アーベルとの会話を終えると、私は逃げるように図書館を出た。
(やばかった。えーと、この後の展開は……)
そのとき。
「サトリナーっ!」
廊下の向こうから、名前を呼ぶ声が弾んできた。
振り返ると、私と同じくらいの背丈の少年が、全力で駆けてくる。
若草色の髪は毛先がふわりと跳ね、大きな琥珀色の瞳がきらきらしている。制服の袖は少し余って、指先が半分隠れていた。見えない尻尾が、ぶんぶん振られている気がする。
「ルカ=フェリオス……」
「なんだよー、急に改まっちゃって。ルカっていつも呼んでるでしょ? てか、やっと見つけた! 昨日頭を打って倒れたって聞いて、授業中ずっと気が気じゃなかったんだよ!」
(私が転倒したこと、みんな知ってるな……)
ゲームをプレイしていたときは思わなかったが、いまさらながら王女の影響力を思い知る。
ルカは、私の目の前で急ブレーキをかけて、ほっと息をつく。笑うと八重歯がのぞいた。
「でも、元気そうでよかった。あっ、今日からは同じ学園の生徒だよ!」
「うん。入学おめでとう、ルカ」
「学園に入ったから、これからたくさん話せるね! 何かあったら絶対、飛んでいくから!」
屈託のない笑顔がまぶしい。弟系、いや子犬系の人懐っこいタイプ。
ルカは一年生で、サトリナから見ても年下。当然、私の実年齢から見ても年下のキャラ。
ふと冷静になる。
(25歳と16歳かぁ……)
頭の片隅で、ナントカ条例違反でパトカーに連行される映像が思い浮かんだ。
(やべーな……って、私は17歳の王女だからセーフ!)
私は脳内の映像を振り払って、手を振るルカを見つめた。
* * *
夕方。
茜色の光が差し込む廊下で、迎えに来たシオンと合流した。
「お疲れ様です。王子の皆さんとは、お会いできましたか?」
「うん、会えたよ」
「それは何よりです」
シオンは穏やかに微笑んだ。
(誰を攻略しようかなー、迷うなぁ……セーブとかできなさそうだし、うーん)
嬉しい悩みで、自然と笑みがこぼれる。
「なんだか楽しそうですね、サトリナ様」
「あ、その、学園生活が楽しいなぁって……」
「そうですか、それなら良かったです」
そのとき、廊下のざわめきが、ぴたりと止んだ。
生徒たちが壁際に身を寄せ、道をあけていく。聞こえるのは、一人分の靴音だけ。
「あの方が……」と、誰かが息をのんだ。
夕日を背に、長い影が廊下に伸びてくる。逆光で、髪の揺れるシルエットだけが見えた。
身構える私の前で、靴音が止まった。
ゲームを何周もした私には、その正体は分かっていた。




