Episode2:「お名前は?」って聞かれて、フルネームで答えるのは私だけですか?
「ところで――あなたのお名前は?」
「佐藤里奈です」
私はそう答えながら、視線を室内へとさまよわせていた。
さっきまでぼんやりしていた視界が、少しずつはっきりしてくる。
彫刻の施された天井。重厚な家具。歴史を感じる大きな窓。
その向こうには、まるで城のような建物まで見える。
(うーん、どこかで見たような……)
そんなことを考えているうちに、少し間が空いた。何やら話しかけられていたようだ。
「――お名前に、間違いございませんね?」
目の前の執事服をまとった人物が、確認するように尋ねてくる。
「はい、大丈夫です」
部屋の観察に気を取られていた私は、特に気にせず頷いた。
すると、その人物がほっとしたように小さく息を吐く。
「よかった……。お名前もきちんと覚えていらっしゃって」
「……?」
「サトリナ=ローゼンフェルト様」
「……ローゼンフェルト?」
その名前を聞いた瞬間、頭の奥が一気にざわついた。
私は、無意識に自分の髪へ手を伸ばした。
見ると、長く美しい金色の髪だった。色も感触も、昨日までのものとはまるで違う。
(……え?)
私は慌てて部屋を見回した。
「あ、サトリナ様!」
呼びかける声も置き去りにして、鏡を探す。
あった。
私は急いで鏡の前へ駆け寄った。
そこに映っていたのは――。
長く整った金色の髪。青い瞳。
見覚えのある、きらびやかなドレス。
そして、ゲームのパッケージで何度も見た顔。
(……間違いない)
そこにいたのは、乙女ゲーム『ロザリアの誓約』のヒロイン。
サブリナ=ローゼンフェルトだった。
(って、ここ……ゲームの世界じゃん!)
ヒロインが目を覚まし、名前を聞かれる。ゲームの冒頭にある、あのシーンだ。
(そういえば、ゲームのサブリナも、頭を打って気を失った後に目を覚ますところから始まるんだっけ……)
記憶が次々とよみがえってくる。
そして、もう一つの違和感に気づく。
『サトリナ様』
(なにそれ? サトリナって……)
そこで、会社での田中さんとの会話が頭をよぎった。
『短い母音と長い母音の区別って、難しいらしいんだって』
『おじさんとおじいさん』
『おばさんとおばあさん』
(もしかして……)
思わずつぶやいた。
「サトリナと、サトウリナ……」
(嘘!? え、ちょっと待って。日本語表示は日本のプレイヤー向けってだけで、本当はみんなこの世界の言葉を話してるはずでしょ!? なのに、なんで田中さんの言ってた現象が起きてるの? ……っていうか私、今、何語で喋ってるの!?)
考えれば考えるほど、訳が分からなくなってきた。
私は頭を抱えた。
そして、ふと先ほどの会話を思い出す。
『お名前に、間違いございませんね?』
(待って……あの確認って……)
ここで名前を設定して、そのまま確認される流れだったはず。
たしか、元のゲームのセリフ画面は――
『サブリナ様。お名前に、間違いございませんね?
(※今後、名前の変更はできません)』
(ああっ! あの注意書き、セリフじゃない! だから執事服の人は言わなかったんだ! ってことは……さっきの「間違いございませんね?」が最終確認!?)
押し寄せる絶望。
(最悪……! 私、ゲームでは絶対にデフォルトの名前でやりたい派なのに! サトリナって……!)
ここがゲームの世界である以上、もう名前の変更はできない。
私は肩を落とした。
そして、視線を感じて振り返る。
執事服の人物が、さっきからずっと、頭を抱える私のことを心配そうに見ていた。
……いや。
それよりも、この黒髪。
整いすぎた顔立ち。中性的な雰囲気。
低すぎず、高すぎもしない、不思議な響きを持つ声。
(あれ……?)
記憶の奥から、するりと名前が引き出された。
(シオン……。そう、あなたの名前は、シオン=アストレア!)
幼い頃からサブリナと一緒に育った、幼馴染。
そして、ゲームの中でプレイヤーを支えてくれるサポートキャラ。
一見すると、線の細い美少年。
けれど私は知っている。
シオンは――女の子だ。
「あなたは……シオン?」
「はい、サトリナ様」
シオンは、ふわりと微笑んだ。
その表情を見ていると、こちらまで少し安心する。
私は3次元のシオンをまじまじと見つめた。
短く整った黒髪。澄んだ瞳。長いまつ毛。すっと通った鼻筋。
(あぁ、綺麗だなぁ……)
「……シオンは、美しいねぇ」
「……え?」
「目も綺麗だし、まつ毛も長いよねぇ。羨ましいなぁ」
「サ、サトリナ様……?」
「あと、なんかいい匂いするし」
「――サトリナ様!」
「あ!」
そこでようやく気づいた。
心の声が、全部漏れていた。
訪れる沈黙。
シオンの頬が、みるみる赤くなっていく。
(やば……)
「あの、その、ちょっとまだ頭が混乱していて……」
「そ、そうでしたか。それなら仕方ないですね」
シオンは顔を赤くしたまま、視線をそらす。
そして、小さく咳払いをして言った。
「でも、少し心配ですので、すぐに先生をお呼びしますからね。サトリナ様は、ここで待っていてください」
そう言い残して、シオンは足早に部屋を出ていった。
「……やってしまった」
私は再び頭を抱えた。
でも、収穫もあった。ゲームにはなかった反応が見られた。
(ということは、原作にないセリフを言えば、キャラクターの反応も変わるってこと? つまり、ゲームにない展開も、私次第?)
よし。これは、覚えておこう。
(今日がゲーム開始の日だとしたら、次は王子様たちとの出会いだ)
そう、私はこのゲームをやり込んでいる。
誰がどんな性格で、どんなイベントがあって、どの選択肢を選べば好感度が上がるのか。全部知っている。
(名前の設定間違えて、正直ヘコんだけど、まあいい。この世界の流れなら、私はだいたいのことが分かる)
そう思うと、身体の内側から全能感が湧き上がってきた。
(未来を知っている! つまり王子様たちも、私の手の中……)
「フフフ……!」
思わず喜びの声が漏れる。
(そうだ……私はこの世界の、恋愛マスター!)
「ハハハハハハ!」
テンションが上がった私は、ベッドの上に立ち上がり、高笑いする。
――その声が部屋に響き渡った直後。
バタン、と勢いよく扉が開いた。
「先生! サトリナ様が……!」
慌てたシオンの声が響く。
その後ろから入ってきた白衣の老人が、私の姿を見て目を見開いた。
「なんと……!」
老人はしばらく私を見つめると、重々しく口を開いた。
「頭を打った影響か……いや、もしかすると……」
「先生!? サトリナ様に、いったい何が……?」
シオンが尋ねると、彼は少しためてから答えた。
「取り憑いておるかもしれん……悪魔が……」
彼は恐ろしいものを見るように、ベッドの上の私を凝視した。
(そんな設定、聞いてない……)
その後、私は先生から様々な検査を受けることになったのは言うまでもない。




