第97話 虚空
「カスパールさん……!」
エレナが叫び切るよりも早く、レオンはすでに地を蹴っていた。
一直線に、迷いなく、光の牢の中で暴れる魔族へと肉薄する。
「この拳で、全てを消す――」
レオンは左腕のガントレットに全ての意識を注ぎ込んだ。カリンが仕込んだ精密な術式が、普段なら暴走しかねないレオンの《虚無》の魔力を完璧に一点へと収束させていく。黒銀の装甲が限界を告げるように鳴動し、歪な無の力が爆発的に膨れ上がった。
「『虚空拳こくうけん』!!」
光の牢が弾け飛ぶと同時に、レオンの左拳が魔族の胸中へと叩き込まれた。
「――なっ!? が、は……っ、ぐおおおぉぉぉ!!?」
魔族の絶叫が夜の森に響き渡る。
レオンの拳が触れた瞬間、魔族の肉体を構成していた濃密な術式が、その魂ごと根底からバラバラに破壊されていく。再生を試みる隙すら与えず、中級魔族の巨体は一気に霧散し、光の塵となって夜空へと吹き飛んだ。
衝撃の余波が周囲の木々を激しく揺らし、静寂が戻る。
レオンは拳を突き出したままの姿勢で、しばらくの間「はぁ、はぁ……」と荒い呼吸を繰り返していた。流れ込む術式の残滓をガントレットが防ぎ止めている。
やがて呼吸を整えると、レオンはスッと背筋を伸ばし、何事もなかったかのようにその場に立ち上がった。新しい魔道具は、彼の力を完全に受け止めきってみせた。
「ご主人様! オーバーヒートの兆候は……!?」
魔族が完全に消滅したのを確認すると同時に、ルシフェリアが真っ先にレオンの元へと駆け寄った。その美しい顔には、いつにない焦燥と心配の色が浮かんでいる。
「……大丈夫だ」
レオンは左手を目の前に持ち上げ、じっと黒銀のガントレットを見つめた。
「いつもなら術式が流れ込んで頭が焼き切れそうになるが……今回はそれがない。こいつが、その衝撃をすべて受け止めてくれたみたいだ」
その言葉に、ルシフェリアはホッと胸を撫でおろし、自身の胸に手を当てた。
「すごいですわ……!」
「ちょっとレオン、今の何よ……!」
少し遅れて、クラリスとエレナも興奮した様子で駆け寄ってくる。クラリスは目を丸くして、レオンの左腕を覗き込んだ。
「今の一撃、今までのレオンの力と全然違ったじゃない! 触れて消すだけじゃなくて、なんかこう……衝撃そのものが叩き込まれたみたいだったわよ!?」
「ええ、私も見ていましたわ。カスパールさんの無の力が、あのガントレットを媒介にして一気に外へと放出されたように見えましたわ」
エレナが感嘆の声を漏らすと、レオンはガントレットの表面をそっと撫で、小さく口元を緩めた。
「ああ、お前たちの言う通りだ。ただ耐えるだけじゃない。こいつが俺の《虚無》を一点に収束させて、威力を底上げしてくれたみたいだ。……カリンの奴、とんでもないものを作ってくれたな」
まだ試作品だと言っていたカリンの顔を思い浮かべながら、レオンはその圧倒的な性能に、改めて深い信頼を寄せるのだった。
激しい戦闘が幕を閉じ、レオンたちが禍々しい城の跡地を後にして森を出る頃には、東の空が白み始めていた。夜の闇が引いていき、のどかな村の景色が朝日に照らされていく。
納屋の前にたどり着くと、そこには一睡もせずに待ち続けていた様子の村人たちが、不安そうな表情で集まっていた。
四人の姿が朝靄の向こうから現れた瞬間、先頭にいた村人が目を見開いて駆け寄ってきた。
「ア、アンタ達……! 無事だったのか!?」
「ああ、もう大丈夫だ。――魔族は倒した」
レオンがぶっきらぼうに、しかし確実な事実として告げると、村人たちの間に一瞬の静寂が訪れた。
「ほ、本当か……!? 本当に、あの化け物を倒してくれたのか!?」
「信じられねえ……俺たちの村は、救われたんだな……!」
次の瞬間、村人たちは一斉に歓声を上げ、レオンたちの周りに駆け寄って次々とその手を握りしめた。
「ありがとう! 本当にありがとう……!」
「アンタ達は村の恩人だ!」
涙を流して感謝する者、何度も頭を下げる者たちに囲まれ、クラリスは「でしょ? 任せなさいって!」と誇らしげに胸を張り、エレナはほっとしたように優しい微笑みを浮かべている。ルシフェリアはそっとレオンの半歩後ろに下がり、主人が受ける賞賛を静かに見守っていた。
朝日が昇る中、村中が温かい感謝の光に包まれていった。
村人たちはレオンたちを大歓迎し、村で唯一の小さな食堂へと案内した。テーブルの上には、村で採れたばかりの新鮮な野菜や肉を使った素朴ながらも温かい料理が、これでもかと並べられている。
「おいしいわ、これ! 戦いの後の体に染み渡る~!」
クラリスは昨日までの不満などすっかり忘れ、両手にスプーンとフォークを持って勢いよく料理を口に運んでいる。お礼をたっぷり、という約束をさっそく果たしてもらえて大満足のようだ。
その隣では、エレナが食事に手を付けつつも、真剣な表情で村長や村の男たちと話し合っていた。
「今回は私たちで対処できましたが、次にまた魔族が現れた時のために、王国騎士団に連絡を取ってみますわ。私の名義で要請を出せば、定期的な巡回ルートにこの村を組み込めるはずです」
「お、お貴族様直々の要請ですか……! ありがてえ、本当に助かります!」
エレナの凛とした、かつ現実的な提案に、村人たちは何度も深く頭を下げていた。
一方、ルシフェリアは運ばれてきた一皿をじっと見つめ、不思議そうに首を傾げている。
「見たことのない料理ですね……。これは、どういった味付けなのでしょうか」
珍しい郷土料理を前に少しだけ興味深そうに目を瞬かせていた。
そして、そんな仲間たちから少し離れた席では、レオンが大変なことになっていた。
「おい、魔術師の兄ちゃん! これも食ってくれ! 村一番の特製スープだ!」
「こっちの肉も遠慮するな! どんどん代わりはあるからな!」
「いや……そんなに食えんぞ。もう腹がいっぱいだ」
普段のクールな態度で断ろうとするものの、命の恩人を前にして興奮が収まらない村人たちに完全に囲まれ、席を立つことすらできない。次々と皿を差し出され、さすがのレオンも圧倒されたように引き気味で苦笑いを浮かべていた。
村人たちからの盛大な見送りを受け、お腹も心も満たされた四人は、活気を取り戻した村を後にした。街道を進みながら、レオンが歩みを少し緩めて口を開く。
「さて……次はどこに行けばいい。魔王や魔族の動きを探るにしても、何か手がかりが欲しいところだが」
レオンの問いかけに、歩きながら思案していたエレナが人差し指を顎に当てた。
「そうですね……やはり情報が集まる所と言えば、多くの人々や物資が行き交う、貿易が盛んな国……でしょうか」
そう言うと、エレナは旅の地図をパッと広げ、街道の先を指差した。
「地図を見る限り、ここから一番近い場所ですと、リプカイド公国ですわね。あそこなら他国からの商人や旅人も多く、有益な噂話も手に入るはずです」
「よし。なら次はそこだな。方針が決まったなら急ぐぞ」
レオンが頷き、目的地の方向を見据える。すると、隣を歩いていたクラリスが目を輝かせながら会話に割り込んできた。
「貿易が盛んな国! いいじゃない! 物珍しい特産品とか、美味しいものもいっぱいありそうね!」
「……お前、さっき村の食堂でたらふく食べただろ」
呆れたようにツッコミを入れるレオンに、クラリスは「それはそれ、これはこれよ!」と悪びれもせずに笑っている。
「ご主人様、リプカイド公国への最短ルート、および周囲の警戒は私が担当いたします。いつでも出発できます」
ルシフェリアが双短剣の柄に手を添えながら、静かに、しかし頼もしく告げた。
新たな目的地、リプカイド公国へ向けて、四人は再び街道を歩み始めた。




