第98話 アーマンド商会のリント
しばらく街道を歩いていると、道の端に一台の馬車が立ち往生しているのが見えた。その傍らでは、立派な服を着た商人が頭を抱え、困り果てた様子で馬車を見つめている。
「ん……?」
四人がそれに気がつき、レオンが歩み寄って声をかけた。
「どうした?」
「ああ、旅の方ですかい?いやぁ、困ったことに車輪が壊れてしまったようでして……。いくら馬を御しても、全く回らなくなってしまったんですよ。次の町まで荷物を運ばなければならないというのに……」
商人がため息をつくと、レオンの斜め後ろからすっとルシフェリアが前に出た。
「ご主人様、私が見ます」
ルシフェリアはそう言うと、馬車の足元へと屈み込み、問題の車輪をじっくりと確かめ始めた。新調されたメイド服のポケットや内側からカチャカチャと金属音を響かせ、手際よく数々の工具類を取り出していく。
「……車輪部分の、軸の消耗ですね。10分程で直せるでしょう」
驚く商人をよそに、ルシフェリアは迷いのない手つきで修理を始めた。
「――よし、これで完了です」
ルシフェリアは最後の手際よい調整を終えると、スッと立ち上がり、汚れ一つない手つきで工具をメイド服の内側へと収めた。その間、きっちり10分。寸分の狂いもない作業だった。
商人がおそるおそる馬車を動かしてみると、先ほどまで頑として動かなかった車輪が、まるで新品のように滑らかに回り始める。
「いやぁ、見事なお手前で! まさかこんなに早く直してしまうなんて……! 何かお礼をしたいんですがね。私のような旅の商人にできることなら、何でも言ってくだせぇ」
商人が大層感銘を受けた様子で、何度も手を合わせながら頭を下げる。
その様子を見ていたレオンは、隣のエレナと視線を交わし、それから商人に視線を戻した。
「それなら、リプカイド公国まで俺たちを乗せて行ってもらえるか。ちょうどそこへ向かう途中なんだ」
「リプカイドですかい?」
商人は一瞬目を見開いたが、すぐに顔を綻ばせてポンと手
を叩いた。
「それならお安い御用だ! 私もこれからリプカイドの市場へ荷を運ぶところだったんですよ。これも何かの縁だ、さぁ乗ってくだせぇ!」
「やったぁ! 歩き疲れてたから助かるわー!」
クラリスが真っ先に歓声を上げ、エレナも「ありがとうございます、助かりますわ」と上品に微笑んで馬車へと歩み寄る。
「ご主人様、どうぞ」
ルシフェリアがレオンのために馬車の扉を開けて待機する。レオンは「ああ」と短く応じ、揺れる馬車へと乗り込んだ。
こうして四人は、商人の馬車に揺られながら、次なる目的地である貿易の国・リプカイド公国へと向かうこととなった。
馬車が規則正しい蹄の音を立てて進む中、御者席から振り返った商人が、人切りのいい笑顔で口を開いた。
「いやぁ、改めて申し遅れました。あっしはリント・アーマンド。あちこちの国で商売やってる、しがない商人でさぁ」
リントが頭を下げると、馬車の中に座る面々もそれぞれ順に自己紹介を始めた。
「レオン・カスパールだ」
「ルシフェリア、と申します。主人の従者です」
「私はクラリス! 魔術師よ!」
最後に、窓の外を眺めていた金髪の少女が、リントに向き直って優雅に一礼する。
「私はエレナ。エレナ・ゴールドバルトと申しますわ」
その名前が耳に届いた瞬間、リントは驚きのあまり手綱を握る手を震わせ、目を丸くして振り返った。
「お、ゴールドバルト……!? もしかして、アステリア王国の貴族、ゴールドバルト家のエレナ・ゴールドバルト様ですかい!?」
「ええ、そうですわ。……あら、ご存知でしたの?」
エレナが少し意外そうに小首を傾げると、リントは「やっぱりそうだ!」と興奮気味に声を大きくした。
「そりゃあもう! あっしは商売柄、アステリア王国には何度か行ったことがありましてね。そこである大きな式典の折に、遠目からですが一度お見かけしたことがあったんでさぁ。まさかこんな街道で、本物の高貴なお方にお会いできるなんて……! いやはや、車輪が壊れたのも、神様がくれた幸運だったのかもしれやせんね!」
リントは恐縮しながらも、名門貴族の令嬢を乗せられたことにすっかり感激している様子だった。
レオンは視線を動かし、正面に座るクラリスをじっと無言で見つめた。
「な、何よその目は。何か言いたいことでもあるわけ?」
クラリスが居心地悪そうに身をよじり、ジロリとレオンを見返す。レオンはため息混じりに、呆れたようなトーンで口を開いた。
「いや……お前も一応、貴族の出だったよな、と思ってな」
「貴族っぽくなくて悪かったわね! どうせ私はお転婆魔術師よ!」
ぷいっと頬を膨らませるクラリスを見て、エレナがクスリと上品に笑う。しかし、すぐに思い出したように真剣な表情へと戻り、御者席のリントへ声をかけた。
「それよりもリントさん、お一人ですの? 貿易国へ向かう商人の馬車にしては……その、護衛の方の姿が見えませんけれど」
「いやぁ、それがですねぇ……」
リントは困ったように頭を掻きながら、ため息をついた。
「一応、街のギルドで冒険者を2人ほど雇ってはいたんですがね。さっき馬車が壊れた時、あっしを置いてさっさと行っちまったんでさぁ」
「なによそれ、ひどいわねそいつら! 護衛の任務を放棄するなんて最低じゃない!」
クラリスが我が事のように憤慨して拳を握りしめる。だが、リントの次の言葉にその拳はピタリと止まった。
「いやぁ、向こうは『ここで立ち往生して修理するってんなら、追加の拘束時間分の修理費を上乗せでもらう』なんて言ってきやがったんでね。あっしがそんな要求を突っぱねて、クビにしてやったんでさぁ」
「……前言撤回。アンタ、ただの馬鹿ね」
クラリスは呆れ果てた目でリントを見つめ、ガクッと肩を落とした。魔族や魔物がいつ出るかもわからない街道で護衛を自ら追い出すなど、商人の割に危機管理能力がなさすぎる。
「ですが、おかげでこうしてカスパールさんたちという強力な味方に巡り合えたのですから、結果オーライでさぁ!」
ハハハと呑気に笑うリントの背中を、レオンたちは何とも言えない表情で見つめるのだった。
「は、ハハハ……! まぁ、結果オーライということで! ――おっと、ほら、見えてきましたよ! あれがリプカイド公国でさぁ!」
クラリスの冷ややかな視線から逃れるように、リントは慌てて前方を指差した。
リントの言葉に導かれてレオンたちが馬車の窓から顔を出すと、朝日に照らされた巨大な都市が視界に飛び込んできた。
堅牢な石造りの城壁が、地平線の彼方まで延々と続いている。他国からの侵略や魔物の襲撃を完全に阻むその威容は、まさに大陸屈指の貿易国家にふさわしい圧倒的なスケールだった。
馬車は速度を落とし、多くの商船や旅人で賑わう巨大な城門へと近づいていく。
門の前では、重装備の衛兵たちが目を光らせ、入国者の手続きを厳重に行っていた。
「次、止まりなさい」
衛兵が手綱を引いて馬車を止めると、リントは待ってましたとばかりに、手慣れた様子で愛想笑いを浮かべながら御者席から身を乗り出した。
「お疲れ様です、役人さん! どうも、アーマンド商会のリントでさぁ。いつも通り、リプカイドの市場へ荷を運びに参りました。……ああ、それと、後ろに乗っている方々は道中で新しく雇い入れた、あっしの護衛の方々でさぁ。手続きをお願いしやす!」
リントは懐から商会の通行証を手際よく取り出し、衛兵へと手渡した。
衛兵はリントから受け取った通行証をじろじろと眺め、それから馬車の中のレオンたちを一瞥した。ルシフェリアの整ったメイド服や、エレナの隠しきれない気品に少し目をとめたものの、特に不審な点はないと判断したようだ。
「よし、通れ。長旅ご苦労」
「へい、ありがとさんです!」
リントが小気味よく返事をしながら手綱を引くと、馬車はゆっくりと動き出し、巨大な城門をくぐり抜けた。
一歩中に足を踏み入れると、そこは外の静けさが嘘のような活気に満ち溢れていた。
道の両側には見たこともない異国の品々を並べる露店がひしめき合い、様々な言語や売り声が飛び交っている。立ち並ぶ建物も立派で、行き交う人々の活気はこれまでの村とは比べものにならない。
馬車を進めながら、リントが御者席から後ろを振り返った。
「さて、無事に入国できました。皆さんはこれからどちらに行かれますか? このままどこか、ご希望の場所までお送りしやすが」
レオンは賑やかな街並みを視線で追いまわしながら、低く落ち着いた声で尋ねる。
「ここらで、一番情報が集まる場所と言えばどこだ。大陸の奇妙な噂話なんかが耳に入りやすい場所がいい」
「なるほど、情報収集ですかい。それなら間違いなく『冒険者ギルド』でしょうね!」
リントは確信に満ちた様子でポンと手を叩いた。
「あそこには大陸中を飛び回る冒険者や旅の者がひっきりなしに出入りしてまさぁ。世界中の噂話から危険な魔物の情報まで、何でも集まる場所です。ちょうどあっしも、さっきの不届きな護衛どもの件をギルドに報告しに行かなきゃならねえんでね。このままギルドまでお連れしやすよ!」
「ギルドか、望むところだわ! 美味しい依頼……じゃなくて、新しい情報があるといいわね!」
クラリスが期待に胸を膨らませる中、馬車は賑やかな大通りを抜け、ギルドがあるという街の中心部へと向かって走り出した。




