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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第94話 一筋の光

「ご主人様、朝です。起きてください」

 

 次の日の朝、レオンはいつも通りルシフェリアの静かな声で目を覚ました。

 しかし、ルシフェリアの表情はどこか腑に落ちないといった様子で、首を傾げている。


「ご主人様……カリン様のお姿が見えないのですが、どちらにいらっしゃるかご存知ですか?」


「……あ? カリンが? 部屋で寝ていたんじゃないのか?」


 レオンは身体を起こし、怪訝に眉をひそめた。

 二人がリビングを出て、隣の工房の扉を静かに覗き込む。

 するとそこには、ランプの光に照らされながら、一心不乱に工具を動かしているカリンの姿があった。机の上には、昨日レオンから採った血の入った瓶と、新しく成形されつつある魔道具のパーツが置かれている。


「やれやれ……」


 レオンは額を押さえ、深いため息をついた。昨夜、あれだけ大人しく寝ると約束したはずなのに、この様子ではほとんど眠っていないに違いない。

 レオンは一歩足を進め、声をかけた。


「カリン、お前いつからやってるんだ」


「はっ、レ、レオンさん!?」


 突然背後から声をかけられたカリンは、跳び上がるほど驚いて振り返った。その淡い水色の瞳のしたには、昨日よりもさらに色濃いクマが刻まれている。


「す、すいません……! ちゃんと一度はベッドに入ったんです! 入ったんですけど……血の定着方法について新しい試したい事がどうしても頭に浮かんでしまって、気づいたらここに……」


 カリンは両手の工具を握りしめたまま、申し訳なさそうに、けれどどこか楽しそうに言い訳をする。

 その姿を見つめながら、レオンは心の中で(この人、よく今まで生きてきたな……)と、彼女の技術者としての異常なまでの執念と、どこか抜けた私生活の危うさに、呆れと一抹の尊敬の入り混じった感情を抱くのだった。


「それで……これ、なんです!」


 カリンは寝不足の目を輝かせ、両手で大切そうに一つの魔道具を差し出した。それはレオンの左腕にぴったりとフィットしそうな、鈍い黒銀の光を放つガントレット型の魔道具だった。表面には、レオンの血を特殊な技法で定着させた、禍々しくも美しい独自の回路が走っている。


「これは……?」


 レオンが目を見張ると、カリンは熱っぽく説明を続けた。


「私の腕部魔道具を基に作りました。レオンさんの血が『書き換え』を耐え抜く仕組みを、私の魔道具が複数の瓶から魔力を流す要領と組み合わせたんです。レオンさんの《虚無》の術式を物質から切り離し、血の回路で受け止めて制御する……。これをつけてみてください」


 差し出された魔道具を見つめ、レオンは一瞬躊躇した。もし失敗すれば、カリンが命を削るようにして徹夜で作ったこの傑作が、一瞬で鉄屑になってしまう。だが、目の前でフラフラになりながらも自分を真っ直ぐに見つめるカリンの覚悟を思い、レオンは決意を固めた。


「……分かった」


 レオンは白手袋を外し、その歪な術式が刻まれた左手に、黒銀のガントレットを装着した。カチリと噛み合う音が工房に響く。

 レオンが精神を集中し、左手に《虚無》の術式を組み込む。

 直後、いつもなら発生する『ガラスが割れるような音』は響かなかった。魔道具は霧散することなく、レオンの血が通った回路を通じて、黒く、深く、澄んだ光を放って輝き始めた。


「消えない……! 術式が、器の中に収まっている……!」


 レオンが驚愕の声をあげる。ついに、彼の手の中で存在を保ち続ける魔道具が誕生したのだ。


「よかった……。ひとまず……これで……第一段階は、成功……です……」


 その様子を見届け、極度の緊張と疲労から解放されたカリンは、安心したようにふにゃりと微笑むと、そのまま前方に糸が切れたように倒れ込んだ。


「カリン様!」


 すっと影のように動いたルシフェリアが、倒れ込むカリンの身体を優しく両腕で受け止める。

 ルシフェリアの胸の中に収まったカリンは、すでに完全に深い眠りに落ちており、小さく「すぅ、すぅ……」と無邪気な寝息を立て始めていた。


「……本当に、無茶をする方ですね」


 ルシフェリアは呆れつつも、その表情にはカリンへの深い敬意と温かさが滲んでいた。レオンは左手の黒い輝きを見つめながら、己のためにここまで尽くしてくれた少女の寝顔に、静かに感謝を捧げた。

 夕方、部屋の窓から差し込む茜色の光がカリンの瞼を揺らした。

 リビングに敷かれた布団の上で、カリンはゆっくりと身体を起こす。まだ頭がぼんやりとする中で、自分の状況を確認するように辺りを見回した。


「……ん、私……いつの間に……」


「あ、カリンさん起きた! もう、いきなり倒れるんだからビックリさせないでよ。無茶しちゃダメって、アタシ昨日も言ったでしょ?」


 カリンが起き上がったのに気づき、近くの椅子に座っていたクラリスが心配そうに駆け寄ってきた。


「はい、カリンさん。お水ですわ。まずは落ち着いて水分を補給してくださいまし」


 エレナが優しく微笑みながら、冷たい水の入ったコップを差し出す。カリンはそれを両手で受け取り、一口飲んでようやく頭がはっきりしてきた。


「す、すいません……。私、また皆さんに迷惑を……」


「起きたか」


 奥の工房から、カリンの声を聞きつけたレオンがリビングへと姿を現した。


「レオンさん……! ――あ! そういえば、魔道具は!? どうですか!? ちゃんと機能していますか!?」


 布団から飛び出さんばかりの勢いで身を乗り出すカリン。自分の体調よりも、まずは研究の成果が気になって仕方がないらしい。そんな彼女の様子に、レオンは苦笑を隠すように口元を引き締め、左腕をカリンに見せるように掲げた。


「ああ、安心しろ。ほら、今も消えずにつけたままだ。魔力を流しても、びくともしないぞ」


 レオンの左腕には、あの黒銀のガントレットがしっかりと装着されており、血の回路が時折、静かに黒い光を放っている。霧散する気配は微塵もない。


「そうですか……。よかった……本当によかった……」


 カリンは深くホッと胸を撫でおろし、へなへなとその場に座り込んだ。透明感のある淡い水色の瞳に、ようやく安堵の光が宿る。


「カリン様が命を削るようにして作られたのです。ご主人様も、とても大切にされていますよ」


 キッチンから新しく淹れたてのお茶を持って現れたルシフェリアが、少し誇らしげに、けれどカリンを労るように微笑みかけた。

次の日。


「性能を試したい」


 レオンの提案で、五人は工房の裏手にある開けた広場へと移動した。

 レオンの左腕には、カリンが作り上げた黒銀のガントレットがしっかりと装着されている。


「それならアタシが相手をするわ! ちょうど新しくなった杖で、思いっきり撃ってみたかったしね!」


 クラリスがやる気満々で前に出ると、おじいちゃん技師によって見事に修復された新しい杖をレオンに向けた。


「いくわよ、レオン! 『白炎火球』!!」

 

 クラリスの杖の先端から、眩いほどの白い炎が噴き出す。放たれた火球は、以前の彼女の魔術よりも遥かに大きく、周囲の空気を歪ませるほどの圧倒的な熱量と速度でレオンへと迫った。

 レオンは一歩も引かず、カリンの覚悟が詰まった左手のガントレットを信じて、正面からその白い炎を迎え撃つように左手を構える。

 直後――凄まじい威力の白炎火球が、レオンの左手に触れた瞬間、パチンと弾けるようにして一瞬で虚無へと消え去った。

 熱風すら残らない。レオンが自身の左手を見つめると、ガントレットは霧散することなく、黒く澄んだ光を宿したままそこに存在していた。


「……消えない。クラリスの術式を相殺しても、器がびくともしてないぞ」


 レオンが驚きと確かな手応えを感じて呟く。


「うわー、完璧に消された! 性能が凄いのは嬉しいけど、アタシの自慢の魔術をノータイムで消されると、やっぱちょっと腹立つわね!」


 クラリスは杖を肩に担ぎ、悔しそうに頬を膨らませてみせた。


「素晴らしいですわ……! クラリスさんのあの威力の魔術を完全に無効化して、なお形状を維持できるなんて」


 エレナが感嘆の声をあげると、カリンはレオンの左腕を見つめ、嬉しそうにその胸に手を当てて微笑んだ。これでようやく、レオンの力になるという約束を果たす第一歩を踏み出せたのだ。

 その日の夜、リビングには昨日以上に豪華な料理が並び、全員のコップに果実のジュースが注がれた。

「では、レオンの魔道具の完成を祝って、乾杯ーー!」


 クラリスが勢いよくジュースのコップを掲げ、みんなのコップが小気味いい音を立てて合わさる。


「あ、あの……あれはまだ試作品段階ですし、レオンさんの血の特性に助けられただけで……そんなにすごいものでは……」


 カリンは恐縮したように肩をすくめ、水色の瞳を泳がせながら謙遜した。しかし、レオンは自分のコップを見つめ、静かに、けれど強い口調でそれを否定した。


「いや。俺は生まれてから今まで、触れただけで術式を破壊してしまうせいで、一度も魔道具を身につけたことがなかった。そんな俺が、消さずに、まともに扱える魔道具を作ったんだ。……それは間違いなく、すごい事だ」


 レオンはカリンを真っ直ぐに見つめてそう言うと、手元のジュースを喉に流し込んだ。


「そうよ! 術式が跳ね上がったアタシの白炎に正面から耐えきったのよ!? 本当にもの凄いわよ!」


 クラリスが自分のことのように鼻を高くして、ふんぞり返る。


「……だから、なんでお前が威張るんだよ」


 レオンがすかさず呆れた突っ込みを入れると、リビングにドッと笑い声が弾けた。エレナもルシフェリアも、本当に嬉しそうにその光景を見守っている。


「ふふ……ありがとうございます、皆さん」


 温かい仲間の輪に包まれて、カリンは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、心からの感謝を口にした。


「こちらこそ、礼を言う。……ありがとな、カリン」


 レオンの言葉に、カリンはまた少し顔を赤くして嬉しそうに俯いた。

 宴が賑やかに続く中、レオンはふと、壁の棚に静かに置かれている黒銀のガントレットへと視線を移した。血の回路が、暗がりの中で仄かに黒い光を放っている。


(触れた術式を壊すだけだった俺の左手に、消えない器ができた……)


 レオンは無意識に左手を強く握りしめた。


(これがあれば、俺は……あいつらを……魔族どもを、今度こそ確実に……)


 宿敵である魔王、そして世界を脅かす高純度の魔族たちの姿が脳裏をよぎる。手に入れた新たな可能性の輝きを見つめながら、レオンは胸の奥で、静かに復讐と決意の炎を燃え上がらせていた。

 翌朝、オーリエル王国の澄んだ空気の中、レオンたちは再び旅の路頭に就くため、工房の前に集まっていた。


「私も……できることなら、このまま皆さんと一緒について行きたいですが……」


 カリンは名残惜しそうに、淡い水色の瞳をレオンたちに向けた。魔道具の完成を経て、五人の間には確かな絆が芽生えていた。


「お前はこの国を守っていてくれ。それに、ここでしかできない研究もあるはずだ」


 レオンが静かに諭すと、カリンは寂しげながらも納得したように深く頷いた。


「またすぐに来るよ、カリンさん! その時はまた、おじいちゃんの面白い話でも聞かせてよね!」


 クラリスが元気いっぱいに手を振ると、エレナも隣で優しく微笑む。


「ええ。あまり根を詰めすぎてはダメですわよ? 体調にはくれぐれも気をつけてくださいね、カリンさん」


「ありがとうございます、皆さん……」


「カリン様。台所に、私がよく作る料理のレシピをいくつか書き置いておきました。よろしければ、お一人の時にでも作ってみてください」


 ルシフェリアが丁寧に一礼して告げると、カリンは「嬉しいです、絶対に作りますね!」と顔を輝かせた。


 最後に、レオンが左腕の黒銀のガントレットに視線を落とし、それからカリンの目を真っ直ぐに見つめた。


「……こいつがもし壊れたら、またお前を頼る」


 その言葉は、カリンの技術への、そして彼女自身への最大の信頼の証だった。カリンはふっと悪戯っぽく、けれどどこか祈るように微笑んだ。


「ふふ、その日が来ないことを祈ってます。レオンさんのその魔道具が、ずっと無事であるように」


「そうだな。壊れないに越したことはない。その方がいい」


 レオンは短く答え、背を向けた。


「皆さん、ご武運をーー!」


 カリンの透き通った声が、旅立つ四人の背中に響く。レオンたちは一度も振り返ることなく、しかしその足取りは以前よりも確実に力強く、新たなる戦いへと向かって歩みを進めていった。

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