第93話 迷い、歩く術を
「うーん……これでもダメですか……」
次の日、朝からカリンの工房では再び熱い研究が始まっていた。カリンはオーリエル王国中から集めた様々な希少鉱石や特殊な木材、魔物の骨といったあらゆる素材をレオンに渡しては、術式を組み込んでもらっていた。
しかし、レオンの左手が触れ、黒く澄んだ虚無の術式が走った瞬間、どの素材もパキィンと音を立てて光の粒子へと霧散してしまう。
「やはり、ただ頑丈なだけじゃダメですね……。術式そのものの『書き換え』に耐える特性を持った素材じゃないと……器として形状を維持できない……」
カリンは髪を少し掻きむしりながら、ぶつぶつと呟いて設計図にバツ印をつけていく。
その時、工房のドアが勢いよく開き、息を切らせた宅配員が大きな木箱を抱えて入ってきた。
「 アステリアからの特急便でーす!」
「アタシ達の魔道具が届いたのね!」
クラリスが嬉しそうに駆け寄り、レオンたちも木箱の周りに集まった。木箱を開けると、そこには見事に修復されたクラリスの杖、エレナの細剣とネックレス、そしてルシフェリアの双短剣が綺麗に並べられていた。
「予定より大分早いんじゃない? おじいちゃん、相当無理してくれたんじゃ……」
クラリスが目を丸くして杖を手に取る。
「それほど、わたくしたちのために頑張ってくれたのですよ。本当に感謝しなければいけませんわね」
エレナも愛用の細剣と、新しく仕上がったゴールドバルト家のネックレスを手に取り、胸に当てて微笑んだ。
「さっそく、術式を組み込んでみるわね!」
クラリスが杖を構え、魔力を込める。術式が周りに浮かんでくる。すると――瞬時に、以前よりも遥かに激しく、純度の高い『白炎』が豪快に燃え上がった。炎の嵐が巻き起こりそうなほどの熱量に、工房が一気に熱気に包まれる。
「素晴らしいですわ……。では、わたくしも」
エレナがネックレスに魔力を流し、細剣を抜くと、彼女の身体を包むように強固な光の防壁が展開され、細剣の刃が眩いほどの光を放って輝いた。
「術式の拡張性が、以前の数倍に跳ね上がっています。素晴らしい仕上がりです、カリン様」
ルシフェリアも双短剣を構え、その切れ味と術式の通り具合に満足そうに頷く。
三人の魔道具が見事な復活を遂げ、パーティーの戦力は大幅に跳ね上がった。それを見たカリンは、「おじいちゃん、相変わらず凄い腕前です……」と誇らしげに笑顔を浮かべた。しかし、同時にレオンの左手を見つめ、自分の研究も絶対に成功させてみせる、とさらに瞳の奥の炎を燃え上がらせるのだった。
しばらく経ち、カリンは研究を続けていたが、やはりうまくいかなかった。
「うーん……やっぱり、おじいちゃんの術式構成を参考にするだけじゃ足りない……。レオンさんの《虚無》を受け止めるには、そもそも『存在の定義』が違う別の何かを……」
三人の魔道具が無事に仕上がった喜びの傍らで、カリンは再び設計図の前に座り込み、水色の髪をくしゃくしゃにしながら深く悩み始めていた。
それを見ていたレオンは、顎に手を当て、ふと思いついた疑問を口にした。
「なぁ、カリン。お前はさっき、俺の術式を物質に組み込むと、その物質の『存在の術式』まで白紙化されて消えるって言ったよな」
「はい。木も鉄も、レオンさんの術式が流れると耐えきれずに消えちゃいます」
「……なら、なんで俺の体は無事なんだ? 俺の左手には、生まれつきその歪な術式が直接組み込まれてる。だが、俺の体はその術式を無視して、こうして消えずに存在してるぞ」
その言葉は、あまりにも単純で、だからこそ盲点だった。
「……え?」
カリンは動きを止め、弾かれたように顔を上げた。淡い水色の瞳が、驚愕で大きく見開かれる。
「レオンさんの……体……。人間が魔族を作ろうとしてできた、肉体と術式が融合した存在……。そう、どうしてレオンさん自身の肉体は、その左手の力で白紙化されないの……? それは、レオンさんの身体そのものが、《虚無》を受け止める『器』として完成しているから……!?」
そこまで一気に口にすると、カリンの顔つきがガラリと変わった。技術者としての凄まじい熱量が、昨日以上の勢いで爆発する。カリンは椅子を蹴るようにして立ち上がり、レオンの目の前まで詰め寄った。
「レオンさん! レオンさんの『血』を、私に調べさせてください!!」
「あ、ああ……」
昨日以上の尋常じゃない圧と眼力に、レオンは完全に圧倒され、引き気味に首を縦に振るしかなかった。
「ご主人様、お手を。痛くしないようにいたします」
ルシフェリアが素早く小さな小刀を取り出し、レオンの指先に薄く刃を当てた。滲み出た赤い血を、カリンが差し出した透明なガラス瓶へと数滴、手際よく落としていく。
「ありがとうございます! すぐに解析します!」
血の入った瓶を受け取ったカリンは、すぐに実験机へと向かった。
怪しげに光る様々な薬品、蒸留器、そして魔力を測定する特殊な魔道具の数々。カリンはそれらをフル活用し、レオンの血に薬品を混ぜては色の変化を観察し、数式を羊皮紙に書き殴っていく。
「青の試薬には反応しない……。魔力密度が、人間のそれとは根本的に違う。術式を流しても反発しない、この成分は一体……」
ぶつぶつと呪文のように呟きながら、狂ったように実験を続けるカリン。
「……なぁ、あいつ本当に大丈夫か?」
指先に包帯を巻いてもらいながら、レオンが遠巻きにカリンを見て呟く。
「完全にゾーンに入っちゃったわね。でも、レオンの言ったことは確かに一理あるわ。灯台下暗しってやつ?」
クラリスが感心したように腕を組み、エレナも「カスパールさん自身の身体が答え……。もしそれが本当なら、ついに突破口が見えるかもしれませんわね」と、カリンの背中に期待の視線を送っていた。
何時間が経過しただろうか。工房の時計の針がいくつも進み、すっかり陽が傾きかけた頃――。
実験机にかじりついていたカリンが、いきなりスッと直立不動で立ち上がった。
レオン、ルシフェリア、エレナは椅子に座り、彼女の邪魔をしないよう一言も発さずにじっと待ち続けていた。張り詰めた沈黙が工房を支配する。
「……血です。答えは、血だったんです……!」
カリンがパッと振り返り、歓喜に震える声で叫んだ。
「ひゃいっ!? な、なに!? なにが起きたの!?」
カリンの隣の椅子でコックリコックリと完全に寝落ちしかけていたクラリスが、その大声にはっと跳び起き、辺りをキョロキョロと見回しながら慌てふためく。
レオンは白手袋の左手を見つめ、カリンの言葉の意味を咀嚼するように、低く、重い声で呟いた。
「血……。まさか、グラヴィスの血か?」
グラヴィス――アステリア王国に現れ、自分にグラヴィスの血を飲ませられた記憶が、レオンの脳裏をよぎる。
エレナも真剣な表情で居住まいを正し、カリンに向かって問いかけた。
「カリンさん、落ち着いて説明してくださいまし。その、カスパールさんの『血』がどうしたというのですの?」
「はい! レオンさんの血、正確にはその肉体を流れる固有の魔力因子は、ご自身の《虚無》の術式に触れても絶対に白紙化されず、消えないんです。……ですが、術式が流れ込みすぎるとオーバーヒートして、レオンさん自身の脳にダメージが入る。つまり、術式を完全に遮断しているわけではなく、術式の効果そのものは通しているんです!」
カリンは興奮で頬を上気させ、身振り手振りを交えて熱弁する。しかし、その専門的な説明に、クラリスはうーんと眉をひそめて首を傾げた。
「えっと……つまり、どういうこと? アタシの頭だと、ちょっと理解が追いつかないんだけど……」
すると、レオンが背もたれからゆっくりと身体を起こし、カリンの言葉の先を継いだ。
「……その血を使って作った魔道具なら、俺の《虚無》を流し込んでも消えずに、器として形を保ったまま使える……というわけだな」
「そうです、その通りですレオンさん!」
カリンは大きく何度も頷き、淡い水色の瞳を輝かせた。
「レオンさん自身の血を触媒にして魔道具の骨組みや術式回路をコーティングすれば、どれほど強力な虚無の魔術を流しても、物質そのものが消滅することはありません。これなら、レオンさんの力を拒絶しない、世界で唯一の『レオンさん専用の魔道具』が作れます!」
ついに見出した、絶対に壊れない器の設計図。カリンの言葉に、工房の空気は一気に歓喜と希望へと塗り替えられていった。
「なら、この血をどの段階で素材に組み込めば……。抽出した魔力因子を金属に定着させるには、この素材を触媒にすれば、いや、でもそれだと術式回路の伝導率が落ちてしまうかも……」
可能性が見えた瞬間、カリンは再びガタガタとペンを動かし、ぶつぶつと呟きながら自分だけの世界へと引きこもり始めてしまった。
「すとーっぷ!! もういい時間よ!?」
クラリスが両手で大きなバツ印を作ってカリンの目の前に割り込み、強制的にその思考を遮断した。窓の外は、昼間の熱気などすっかり忘れたかのように、すっかり夜の闇に包まれている。
「はっ! そ、そうですね……。すっかり夢中になってしまいました」
カリンは我に返り、恥ずかしそうにペンを置いた。
「でも、これでようやく、なんとかなりそうですわね。カスパールさんのための魔道具、その第一歩が。本当に素晴らしい発見ですわ」
エレナが胸に手を当て、安堵と喜びの混じった笑みをカリンに向ける。
「ああ。……ありがとう、カリン」
レオンは椅子から立ち上がると、カリンの前に進み、その淡い水色の瞳を真っ直ぐ、正面から見つめて感謝を伝えた。いつものぶっきらぼうな調子ではあったが、その目には確かな信頼と温かさが宿っていた。
「ま……まだ、出来上がってませんし! それに、本当にうまくいくかも……まだ、わからないですから……っ!」
レオンに至近距離で真っ直ぐ目を見つめられたカリンは、完全にキャパシティをオーバーしたように慌てて視線を斜め下へと逸らした。
それから両手を自分の頬にぴたりと当て、水色の髪の間から覗く耳の先まで真っ赤に染め上げながら、蚊の鳴くような声でモジモジと呟くのだった。
「――ご主人様。夕飯の支度はすでに済んでおりますので、リビングへ移動しましょう」
レオンとカリンの間に、ルシフェリアが何の予兆もなくスッと音もなく割り込んだ。
「あ、ルシフェリア……」
「さあ、行きましょう。冷めてしまいますから」
ルシフェリアは有無を言わせぬ手際でレオンの白手袋の手をしっかりと握ると、そのままリビングの方へとぐいぐいと引っ張っていく。
「あ、ああ、おい……引っ張るな。自分で歩く」
ぶっきらぼうに文句を言いつつも、大人しく連れられていくレオン。
その後ろ姿を見送りながら、クラリスはまだ顔を真っ赤にしているカリンの肩をポンと叩き、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「カリン、一言言っておくけど……あれ(ルシフェリア)は相当手強いわよ?」
「な、なんのことですか!?」
カリンはさらに顔を赤くして、裏返った声でクラリスに抗議するのだった。




