第89話 静かに燃える世界
王都の市場は、今日も活気に満ち溢れていた。そんな喧騒の中、一際目を引く四人組が歩いている。
「ご主人様、次はこちらです。長旅になりますから、保存の利く乾物と、予備の研ぎ石を補充しておかなければなりません」
ルシフェリアがメモを手に、迷いのない足取りで先導する。その姿はメイドというより、騎士団の補給部隊のような手際良さだ。一方、その後ろを歩くクラリスは、露店に並ぶ色鮮やかな品々に目を輝かせていた。
「ねぇルシフェリア、これとかどう!? ほら、この可愛い魔石のランプ! 野営の時にテントに飾ったら絶対テンション上がるわよ!」
クラリスが掲げたのは、実用性よりも装飾性に振った、いかにも高価そうな細工物だった。ルシフェリアは歩みを止め、冷徹なまでの事務的な視線をそのランプに向ける。
「……クラリス様。我々は調査という名の過酷な旅に出るのです。遊びではないのですよ。そのような嵩張る上に壊れやすいものは、荷物の無駄です」
「えぇー、少しくらい楽しみがあったっていいじゃない! 堅苦しいわよー」
口を尖らせるクラリスに対し、隣を歩くエレナが苦笑混じりに嗜める。
「クラリスさん、ルシフェリアさんの言う通りですわ。はしゃぎすぎですわよ。わたくしたちが運べる荷物の量は限られていますの。まずは、わたくしの光魔法の媒体となる予備の魔晶石や、応急処置用の薬草を優先すべきですわ」
「エレナさんまで……。もう、みんな真面目すぎ!」
レオンは、その後ろで大量の荷物を抱えながら、深々とため息をついた。
「……お前ら、口を動かす暇があるなら、この重い荷物を少しは分担しろ。特にクラリス、お前がさっき『どうしても必要』だと言って買わせた特大の干し肉、これだけで相当な重さだぞ」
「あはは、ごめんレオン! だってお腹空いたら魔法の威力落ちちゃうでしょ?」
賑やかに言い合う彼女たちの背中を見ながら、レオンはふと、昨夜のキャロルの言葉を思い出す。この日常が、いつまで続くかはわからない。だが、この騒がしい仲間たちとなら、どこまででも行けるような気がしていた。
「大体は揃いましたね。消耗品や食料、予備の装備……。あとはパッキングの調整をするだけです」
ルシフェリアが完璧に整理されたリストを閉じ、満足げに頷く。その手際の見事さにレオンが感心していると、ふと何かを思い出したように呟いた。
「後は……」
「魔道具ね!」
レオンの言葉を奪うように、クラリスが拳を突き出した。その瞳は、新しい武器を待つ子供のように輝いている。
「そうですわね。魔道具は魔術師の命。わたくしのネックレスや、クラリスさんの杖、そしてルシフェリアさんの短剣……。未知の地へ向かうのですから、術式のメンテナンスと調整は万全にしておかなければなりませんわ」
エレナが自身の胸元にあるネックレスにそっと触れながら同意する。彼女たちの魔術は、優れた魔道具があってこそその真価を発揮する。特に強大な魔族との戦いを想定するなら、わずかな調整の狂いが命取りになりかねない。
「……そうだな。じゃあ、前に行った工房に行くか」
レオンが促すと、三人は期待と緊張が混ざった表情で頷いた。
王都の隅にある、重厚な鉄の匂いと魔力の残滓が漂う魔道具工房。そこは、彼女たちが戦場へ赴くための「牙」を研ぐ場所だった。
薄暗い工房の中は、火花の散る音と魔力の焦げたような独特の匂いが立ち込めていた。
「おや、レオン坊主に、聖女様一行じゃないか」
奥から現れたのは、煤で汚れた革のエプロンをつけた老技師だった。背は低いが、その腕は丸太のように太く、数々の伝説級の武具を直してきた自負がその眼光に宿っている。
「お久しぶりです。急な旅に出ることになりまして……魔道具のメンテナンスをお願いしたいのですが」
エレナが代表して一礼し、それぞれが愛用の魔道具を机に並べた。エレナのゴールドバルト家のネックレスと細剣、クラリスの紅い宝玉が埋め込まれた杖、そしてルシフェリアの無機質な輝きを放つ双短剣。
老技師は鼻眼鏡をずらし、拡大鏡を片手にそれらを順に覗き込んだ。時折「ふむ」「ほう」と唸りながら、指先で術式回路の溝をなぞっていく。
「……こりゃあ、ひどい。大分消耗していますな。特に術式のバイパスが焼き付く寸前じゃ。これじゃあ、いざという時に魔術を放っても本来の半分の出力しか出んじゃろうな」
「そんなに酷いの!? 毎日ちゃんと手入れはしてたはずなんだけど……」
クラリスがショックを受けたように自分の杖を覗き込む。老技師は鼻で笑い、厳しい口調で言葉を継いだ。
「嬢ちゃん、お前さんがそれだけ激しい実戦を潜り抜けてきた証拠じゃよ。だがな、魔道具の消耗は術式の遅れ、それ即ち戦場では『死』を意味する。わしは魔術のことはからっきしだが、魔道具の声を聞けば使い手がどれだけ無茶をしたかは一目でわかるんじゃ」
老技師はゴツゴツとした手で、エレナの細剣の刀身を弾いた。鈍い音が響く。
「……旅に出るんじゃろう? 命を預ける相棒をこのままにしておくわけにはいかん。少し時間をくれ。わしの持てる技術の全てを注ぎ込んで、新品以上のキレに仕上げてやるわい」
その言葉に、レオンは壁に寄りかかりながら、自身の左手に嵌めた白手袋をそっと握りしめた。
「頼む、親父さん。……こいつらには、最高の状態で戦ってもらわなきゃ困るんだ」
「術式を組むのは魔術師の仕事じゃが、その術式を殺さず、十全に生かすのは我ら技師が作る『器』の良し悪しよ。安心せい、最高の状態にしてやるわい」
老技師は自信たっぷりに胸を叩いた。レオンは腕を組み、現実的な問題を口にする。
「……それで、どれくらいかかるんだ? あまりのんびりしている時間はなさそうなんだが」
「うーむ、そうじゃな。ざっと一週間、てとこかの。魔道具作りにはそれだけの時間がいる。……それに、レオン君。お前さんの左手も、そのままというわけにはいかんじゃろう」
不意に自分に向けられた言葉に、レオンは怪訝そうに自分の左手を見つめた。
「……どういうことだ? 俺の左手は、直接術式が組み込まれている。だから俺には魔道具なんて必要ないはずだ」
「理屈はそうじゃが、お前さんの左手はあまりに剥き出しすぎる。直接術式を流し込み、破壊する……その反動をお前さん自身の肉体がすべて引き受けておるんじゃ。今は良くても、いずれその腕、焼き切れるぞ」
老技師の鋭い指摘に、レオンは言葉を詰まらせた。確かに、連戦が続けば左手の熱は冷めず、激痛が走ることも少なくない。
「……わしの孫がな、特別な魔道具を研究しておるんじゃ。その孫に会えば、お前さんの《虚無》を制御し、負担を軽減するような、お前さん専用の魔道具が作れるかもしれん」
「あんたの孫が……? そいつは今、どこにいるんだ」
レオンが身を乗り出すと、老技師は遠くを懐かしむように目を細めた。
「わしの故郷……オーリエル王国じゃ。名はカリンという。腕はわしが保証するわい」
「オーリエル王国のカリンって……あのカリンよね!?」
クラリスが驚きで声を裏返らせた。老技師は意外そうに目を丸くし、鼻眼鏡を指で直す。
「なんじゃ、お前さんたち、あやつと会ったことがあるのか?」
「ええ、一度オーリエル王国へ向かい、魔族と交戦したことがありまして……。その際、彼女に多大なサポートをしていただきましたの。あの方の魔道具の知識と技術には、わたくしたちも驚かされましたわ」
エレナが当時の共闘を思い出すように目を細める。レオンも、カリンが腕に装着していた特殊な魔道具と、戦況に応じて瞬時に属性を切り替えていた見事な手際を思い出した。
「確かに……。カリンが使っていたあの魔道具、あれは自分で作ったと言っていたな」
「っはは! そうか、もうあやつと共闘しとったか。あやつはわしの自慢の孫でな、魔道具への情熱だけはわし譲りじゃ。……よし、話は決まりじゃな。お前さんたちの魔道具は、わしが責任を持って仕上げ、オーリエル王国のあやつの元へ直接送っておいてやろう。それなら、ここで一週間も足止めを食らわずに済む。出発も遅れんじゃろ?」
老技師の粋な計らいに、レオンは小さく口角を上げた。
「……そうだな。そうしてもらえると助かる。手間をかけるな」
「気にするな。その代わり、孫の顔を見たら、じいさんは元気にやっとると伝えてくれ。……レオン君、お前さんのその左手、カリンならきっと面白い『器』を用意してくれるはずじゃよ」
四人は、自分たちの武器を信頼できる老技師に託し、工房を後にした。
「次はオーリエル王国か……。カリンさん、元気にしてるかしら」
クラリスが期待に胸を膨らませて空を見上げる。旅の最初の中継地点が決まり、一行の足取りはより一層力強いものとなった。
騎士団会議室の重厚な円卓。キャロルはどこか遠くを見るような目で、集まった騎士団の重鎮たちに告げた。
「と、いうわけで、あの4人には旅をさせることにしたよ」
目の前には、北部隊長のヴォルカニカス、東部隊長のフェリス、西部隊長のジルヴァ、そして王国騎士団総長アルガス。アステリアの軍事力の象徴とも言える面々が顔を揃えていた。
「昨晩、エレナから聞きました。……ですが、旅をさせるというキャロル様の、本当の目的は何なのですか?」
アルガスが鋭い眼光で問いかける。その問いには、彼女の身体に起きている異変への懸念も含まれていた。
キャロルは「んー」と少しだけ考え込む素振りを見せ、ひび割れた腕を隠すようにローブの袖を引いた。
「強くなってもらいたいのは本当だよ。それとね……王国にレオンがいないと分かれば、ここを襲う魔族の数も減ると思うんだ。今はあの子が、魔族にとって最大の『餌』であり、同時に最大の『脅威』だからね」
「……あのアステリアの火種を、あえて外に放り出すってわけか。囮にするにしても、随分と過激なやり方じゃねぇか」
ジルヴァが短剣を弄びながら、チンピラのような口調で吐き捨てる。
「あら、でもいい判断じゃない? ここで籠城していても、ジリ貧なのは目に見えているもの。それに……あの子たちの成長は、私たちの想像を超えているわ」
フェリスが妖艶な笑みを浮かべ、影を揺らしながら言葉を添えた。ヴォルカニカスは一人、娘を送り出した寂しさを堪えるように、硬い表情で拳を握りしめている。
「彼らが魔族の目を引き付けている間に、僕たちは僕たちで、この国を……そして世界を守るための準備を整えないといけない。キャロル・エインズワースがいなくなっても困らないようにね」
キャロルのその言葉に、会議室の空気が一気に凍りついた。
「魔族なんざ、俺だけで殺してやるぜ。……まずは、ガルドスを殺したあの薄汚い野郎を引きずり出してな」
ジルヴァは椅子の背もたれに深く腰掛け、机の上に無造作に足を投げ出すと、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。かつての仲間を失った怒りは、今も彼の風刃のように鋭く研ぎ澄まされている。
「あら、相変わらずね。人類と魔族の圧倒的な戦力差がわからないなら、そのまま後先考えずに突っ込んで、無様に殺されていらっしゃい」
フェリスが扇子で口元を隠し、冷ややかな視線を投げかける。
「んだとぉ、コラ! やる気か、影女!」
ジルヴァが短剣の柄に手をかけ、一触即発の空気が流れるが、アルガスの重厚な声がそれを鎮めた。
「やめろ。……キャロル様。確かにこの王国を守るだけなら、我々騎士団だけで事足りるでしょう。だが、相手が世界を覆う魔族そのものとなれば、我々だけでは限界がある。そのために、多くの強い魔術師……次世代の希望が必要だと。その礎として、彼らを送り出したのですな?」
アルガスの問いに、キャロルは窓の外、彼らが旅立っていった方角を見つめて頷いた。
「そうだね。今、世界は静かに動き出している。人類が、自分たちの無力さに気づき始めたんだ。……レオンという特異点に引き寄せられるように、眠っていた各国の魔術師たちも動き出すだろう」
キャロルはそこで言葉を切り、どこか楽しげに、けれどひどく冷徹な真理を口にした。
「これからだよ、人類が本当の意味で魔族と対峙するのは。あの子たちは、その火蓋を切るための『篝火』なのさ。……世界中の術師たちが、レオン・カスパールを見て何を想うか。楽しみじゃないか」
騎士団長たちは、キャロルの言葉の重みに沈黙した。彼らは今、歴史の転換点に立っていることを、嫌というほど実感していた。




