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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第90話 始まりはここから

 朝日が差し込む研究室に、旅支度を整えた四人が現れた。レオンの背には必要最小限にまとめられた荷物があり、その横には覚悟を決めた表情の仲間たちが並んでいる。


「行くのかい」


 机に座ったまま、キャロルが静かに問いかけた。


「ああ」


 短く答えるレオンに、キャロルは手元の資料から目を離し、教え子たちを真っ直ぐに見つめた。


「オーリエル王国までは馬車を使うといい。正門前に手配しておいたよ。……ここから先は、僕の知識も届かない場所だ」


 少しの間、研究室に沈黙が流れた。それは師弟としての最後の時間を惜しむような、静謐な時間だった。キャロルはふっと、いたずらっぽく、けれど慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「世界から聞こえてくる君たちの噂話で、僕を楽しませておくれ」


 四人は頷き、誰からともなく背を向けて歩き出した。扉の目前で、レオンが一度だけ足を止め、振り返らずに左手を高く突き上げた。


「楽しませてやるさ」


 その言葉に続くように、仲間たちがそれぞれの誓いを口にする。


「世界に光をもたらすために。わたくし、精一杯努めてまいりますわ」


 エレナが凛とした声で、聖女としての決意を述べる。


「立派な魔術師になるために! お父様も、キャロル様も驚くくらい、アタシ、暴れてくるわよ!」


 クラリスが赤い髪を揺らし、快活に宣言した。


「ご主人様を守るために。……どこまでもお供いたします」


 ルシフェリアがレオンの影に寄り添い、静かに、けれど揺るぎない忠誠を誓う。


「行くぞ」


 レオンの号令とともに、四人は研究室を、そして慣れ親しんだ学び舎を後にした。正門へと続く廊下には、彼らの力強い足音が響き渡っていた。王国の外、未知なる世界へと続く長い旅が、ここから、始まる。

 ガタゴトと揺れる馬車の中、アステリア王国を離れた四人は、それぞれの荷物に囲まれながら向かい合って座っていた。窓の外には、見慣れた王都の景色から、次第に険しい街道の風景へと移り変わっていく。


「オーリエル王国に着くまで、馬車で順調にいっても三日間はかかります。……皆さん、この移動の間、戦闘は絶対に避けなくてはいけませんわ」


 エレナが神妙な面持ちで、一同を見回しながら釘を刺した。その言葉に、クラリスが座席の背もたれに深く寄りかかりながら同意する。


「そうね、今アタシたち魔道具持ってないもんね。王都のじいちゃんに預けちゃったし、下手に魔族や強い魔物に出くわしたら、いつもの出力が出せないわ」


 実戦慣れしているクラリスだからこそ、武器という「器」がない現状の脆さは十分に理解していた。予備の武器はあるものの、術式が最適化されたいつもの魔道具に比べれば、その差は歴然だ。ルシフェリアも静かに頷き、いつでもレオンの前に飛び出せるよう、周囲の魔力波長に意識を尖らせている。

 そんな少し緊迫した空気の中、レオンは白手袋の嵌まった自分の左手を無造作に見つめながら、ぶっきらぼうに口を開いた。


「……まぁ、いざって時は俺が守ってやる。お前らの魔道具がない間くらい、俺の左手だけでもどうにでもなるだろ」


 その言葉に、クラリスは一瞬驚いたように目を丸くした。それから、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらレオンの顔を覗き込む。


「へぇー……。レオン、アンタ、なんか柔らかくなったわね?」


「ん? そうか?」


 レオンは本気で心当たりがなさそうに、怪訝そうに眉をひそめた。


「そうよ。前だったら『足手まといになるなよ』とか『勝手に死ぬな』くらいは平気で言ってたじゃない。それが『俺が守ってやる』だなんて。……ねえ、エレナさんもそう思うでしょ?」


「ふふ、確かに。カスパールさんがそのようにはっきりと口にされるのは、少し新鮮ですわね。でも、とても心強いですわ」


 エレナも上品に袖で口元を隠しながら微笑む。ルシフェリアはといえば、レオンの「守ってやる」という言葉を自分へのものも含めて脳内で反芻しているのか、少し耳を赤くしながらも嬉しそうにレオンの手元を見つめていた。


「別に、変な意味で言ったわけじゃない。……行くぞって決めたのは俺だ。お前らを無事にカリンのところまで連れて行くのは、当然の役目だろ」


 そっぽを向いて不機嫌そうに呟くレオン。その様子を見て、クラリスとエレナは顔を見合わせて楽しげに笑った。頼れる仲間たちの絆を乗せて、馬車はオーリエル王国への街道を駆けていく。

 街道に夜の帳が下りる頃、パカパカと響いていた馬蹄の音が止まった。


「皆様、本日の移動はここまでといたします。これより先は夜道になり危険ですので、ここで夜営の準備を」


 御者の声に促され、レオンたちは馬車から降りた。手慣れたルシフェリアの指示のもと、レオンと二人がかりで手際よく大きなテントを張り終える。中央に熾した焚き火が、パチパチと爆ぜながら四人の顔を赤く照らし出した。


「ねえ、夜営ってアタシ初めて! なんだかドキドキするわね!」


 丸太に腰掛けたクラリスが、珍しそうに周囲の暗闇を見回しながら声を弾ませる。


「ええ、実はわたくしも初めてですわ。ゴールドバルトの家におりました頃は、遠出の際も必ず宿場町の息のかかった宿に泊まっておりましたから……」


 エレナもまた、少し緊張した面持ちで、けれどどこか楽しげに火の粉を見つめていた。そんな令嬢二人を見て、レオンは苦笑する。


「そりゃそうだろう。貴族の令嬢が好んで夜営なんてしないよな。宿のふかふかのベッドの方が、お前らにはお似合いだ」


「もう、レオン、一言余計よ! アタシだってシルバーフレイムの魔術師よ、これくらい平気なんだから!」


 クラリスが頬を膨らませる中、ルシフェリアが湯気の立つ鍋から器へと手際よくスープを注ぎ、二人の前に差し出した。


「皆様、体が冷えます。まずは温かいスープをどうぞ。干し肉と街道沿いで採れた薬草を煮込んだものです」


「わあ、ありがとうルシフェリア! すっごくいい匂い!」


「いただきますわ、ルシフェリアさん」


 二人が器を受け取り、ふぅふぅと息を吹きかけながらスープを口に運ぶ。素朴ながらも芯から温まる味に、二人の表情が自然と和らいだ。

 ルシフェリアは最後にレオンに器を手渡すと、もう一つの器を持って馬車の近くで馬の手入れをしていた御者のもとへと歩み寄った。


「御者さん、見張り、ありがとうございます。こちら、温かいうちに召し上がってください」


「おっと、これはありがてぇメイドさん。冷え込んできたから助かるよ」


 御者は恐縮しながらも嬉しそうに器を受け取り、スープを啜った。

 焚き火の明かりが揺れる中、初めての夜営に興奮するクラリスとエレナ、それを静かに見守るレオン、そして甲斐甲斐しく立ち回るルシフェリア。王国の外での初めての夜は、穏やかな空気の中で更けていった。


「クラリス、エレナ。お前ら二人は先に寝とけ。ルシフェリア、俺たちは交代で見張りをするぞ。御者さんにもそう伝えておけ」


 レオンが焚き火に薪をくべながら、淡々と指示を出した。初めての夜営で浮き立っていた二人だったが、長旅の移動による疲れは確実に溜まっていた。


「……そうね、ごめん、お言葉に甘えてそうするわ。明日も早いもんね」


 クラリスは小さくあくびを噛み締めながら、素直に立ち上がった。


「見張り、よろしくお任せしますわ。お役に立てず、すみません……」


 エレナも申し訳なさそうに眉を下げたが、レオンの言葉に従ってテントへと向かう。二人は並んでテントの中へと入り、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。


「分かりました、ご主人様。御者さんにもその旨、伝えてまいります」


 ルシフェリアは静かに立ち上がると、馬車のそばにいる御者へ声をかけに行き、交代の段取りを手際よく伝えて戻ってきた。そしてレオンの隣へと座り直そうとする。

それを見たレオンは、顎でテントをしゃくった。


「ルシフェリア、お前が先に寝ろ」


「ですが、ご主人様。私は影として――」


「いいから寝ろ。お前が一番動き回ってただろ。それに、後半に見張りを代わってもらった方が、俺も熟睡できる」


 少しぶっきらぼうな、けれど明確な気遣いを含んだレオンの言葉に、ルシフェリアは銀色の瞳を揺らした。ここで頑なに断る方が、かえって主への不敬になると瞬時に判断する。


「……分かりました。では、お言葉に甘えて。3時間後に必ず交代いたします」


 ルシフェリアはそう言うと、テントには入らず、レオンのすぐ傍らの丸太に腰掛けたまま、壁に背を預けるようにして目を閉じた。どんな状況でもすぐに動けるよう、座ったまま眠るのが暗殺者時代からの彼女の習慣だった。

数分もしないうちに、ルシフェリアの呼吸が規則正しいものに変わる。

 静まり返った街道の夜。パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが響く中、レオンは夜の闇を見つめながら、一人静かに最初の見張りを始めた。

 パチパチと静かに爆ぜる焚き火の光が、レオンの横顔を仄白く照らしていた。

 見上げた夜空には、アステリアの王都で見るよりもずっと多くの星が瞬いている。だが、その美しい星空を見つめるレオンの瞳に映っていたのは、世界のどこかで確実に息潜め、牙を研いでいるであろう絶望的なまでの脅威――魔族、そしてその頂点に君臨する『四極星』の姿だった。


(四極星……あいつらを倒すには、今のままじゃ確実に足りない。もっと力がいる)


 かつて交戦した上級魔族ですら、その術式密度と再生能力は文字通りの化け物だった。そのさらに上に位置する特級魔族ともなれば、どれほどの化け物なのか。想像するだけで、左手の奥がじりと熱くなるような錯覚に囚われる。

 レオンは白手袋に包まれた左手を顔の前に掲げ、ゆっくりと、しかし壊さんばかりに強く握りしめた。


(魔道具……。もし、カリンのやつが本当に俺に使える器を作れるっていうなら、俺はどんなものでも馴染ませてみせる。この《虚無》を限界まで、それ以上に引き出すための力を……もっと……)


 これまで、この左手はただ触れたものを「壊す」ためだけの歪な呪いだと思っていた。だが、もしそれを制御し、拡張できる『器』があるのだとしたら。

 レオンは握りしめた左手を下ろし、視線を焚き火の傍らへと向けた。

 そこには、座ったまま規則正しい寝息を立てているルシフェリアの姿がある。少し離れたテントの中には、旅の疲れを癒すように眠っているクラリスとエレナがいる。


(……あいつらを、ちゃんと守れるように)


 ただ生きるために、暗殺者を退けるために振るっていた力だった。だが、今のレオンの背中には、自分を信じてついてきてくれた仲間たちの命がある。


「楽しませてやる、なんて大口叩いたんだ。ここで止まるわけにはいかないよな、キャロル」


 夜風に消えそうなほど小さな声で、レオンは誰にともなく呟いた。

 冷え込む街道の夜気の中、レオンは左手の熱を確かめるように何度も開閉しながら、静かに、けれど苛烈なまでの闘志をその胸の奥で燃やし続けていた。

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