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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第82話 無力

 眩しい朝の光が、部屋のカーテン越しに差し込んでいた。

 レオンは重い瞼を持ち上げ、ぼんやりとした意識の中で天井を見上げる。


「俺は……一体……。そうだ、街でグラヴィスに襲われて……」


 記憶の断片を繋ぎ合わせながら、ゆっくりと上体を起こそうとする。だが、動こうとした瞬間に全身の節々に、内側から引き裂かれるような鋭い痛みが走り、レオンは思わず顔を歪めた。


「っ……、あ……」


「ご主人様! 無理をしないでください!」


 すぐ隣から、切羽詰まったような、けれどどこか温かみのある声が響く。

 視線を向ければ、そこには椅子に腰掛けたまま、一晩中付きっきりで看病していたのであろうルシフェリアがいた。彼女の銀髪は少し乱れ、その瞳には明らかな疲労の色が浮かんでいる。


「ルシフェリア、俺は……。どれくらい寝ていたんだ?」


「……よかったです。本当によかった……。ご主人様……」


 レオンの問いかけに答えるより先に、ルシフェリアは深く、深く安堵の吐息を漏らした。その表情は、今にも泣き出しそうなほどに脆く、それでいて慈愛に満ちている。


「まだお身体が安定していません。皆様を呼んできますから、そのまま寝ていてください。いいですね?」


 ルシフェリアは、レオンの毛布を優しく、だが断固とした手つきで掛け直すと、弾かれたように部屋を飛び出していった。

 静まり返った部屋の中で、レオンは自分の左手を見つめた。

 痛みはまだ残っている。だが、その奥底で、昨日までとは明らかに違う、異質な魔力の胎動が静かに脈打っているのを、彼は感じていた。

 大きな音を立てて勢いよく開いた扉の向こうから、クラリスが転びそうな速さで駆け込んできた。


「レオン! 大丈夫なの!? 意識が戻ったって聞いて……!」


「ちょっと、クラリスさん。病人の前でそんなに大きな音を立てない方がよろしいですわ。……でも、レオンさん、本当によかったですわね」


 エレナがたしなめつつも、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。最後に、ひょいと顔を出したキャロルが、いつもの飄々とした、けれどどこか温かい眼差しを向けた。


「やあ、目覚めたかい、レオン」


「キャロル、俺は一体……。体が、妙に重いんだ」


「説明は後。今はまだ術式が安定してないんだから、じっとしてな。ほら、ルシフェリアも。君も一晩中寝てないだろ? あとは任せて少し休み、。これは主としての命令じゃなくて、僕からのアドバイスだよ」


 キャロルに促されたルシフェリアは、それでも必死に首を振ろうとした。


「いえ……ご主人様が目覚めたばかりなのですから、私が寝ているわけには……そばに、いなくては……」


「ルシフェリア、もう大丈夫よ。あとは私とエレナさんが見てるから、あんたは少し横になりなさいってば」


 クラリスが優しく、けれど強引に彼女の肩を抱く。


「ルシフェリアさん、無理はいけないですわ。カスパールさんが起きた時に、あなたが倒れていたらそれこそ悲しみますわよ。……さあ、こちらへ」


 エレナがそっとルシフェリアの手を取り、部屋の隅にあるソファに座らせる。


「私は……まだ、ご主人様に……」


 そう言いかけたルシフェリアだったが、主の無事を確認して張り詰めていた糸が切れたのだろう。レオンの方を見つめたまま、吸い込まれるように深い眠りへと落ちていった。


「……あいつ、本当にずっと起きてたのか」


 レオンの呟きに、キャロルは肩をすくめて見せた。


「忠誠心というより、執念だね。さて、レオン。君の体の中で何が起きているか……少し専門的な話をしようか」


 キャロルはベッドの脇に腰を下ろし、真剣な眼差しでレオンを見つめた。


「君の体に入れられたのは魔族の血、しかも高濃度の血だ。普通の人間がそんなものを流し込まれれば、一瞬で自我を無くして理性を失った魔族に成り下がる。……まさに禁忌の処置だよ」


「なら……俺は、もう魔族に……」


 不安げなレオンの言葉を遮るように、キャロルは首を振った。


「君の体は半分魔族のような構造で作られているからね。普通の人間にはない耐性があったのさ。そこに僕の血を流し込んで、君の術式とグラヴィスの血を無理やり競合させて、抑制ブレーキをかけたって感じかな」


「ようは……もう大丈夫ってこと? レオンはレオンのままでいられるのよね?」


 クラリスが眉間にシワを寄せ、頭の上に「?」を浮かべながら確認するように割り込む。キャロルは少しの間を置いて、慎重に言葉を選んだ。


「……表面上はね。ただ、これからレオンが『虚無』の力を使おうとすれば、内側にあるグラヴィスの血が呼応して暴れ出すかもしれない。そうなれば、今度こそ意識を飲み込まれる危険がある」


 キャロルはレオンの胸元に指を突きつけ、静かに告げる。


「これからは、術式としての力以上に、君自身の『意志』が大切になる。あの血を力として飼い慣らすか、それとも食われるか。それはレオン、君次第だ」


 キャロルは脚を組み、静かに、だが鋭い眼差しで本題を切り出した。


「それで、実際に肌を合わせた感想はどうだい? 四極星の一角、『墜星』のグラヴィス。奴はどうだった?」


 その問いに、レオンは自分の左手を見つめ、シーツの上でぎりっと握り拳を作った。震えがまだ止まらない。恐怖ではなく、圧倒的な実力差を突きつけられた屈辱の震えだ。


「……強い。今まで戦ってきた魔族とは、次元が違う。今の俺じゃ、まともに立ち向かうことすら……敵わない」


「私達も……そうですわ。ただ立っているだけのあの方の重圧に、指一本動かせませんでしたわ……。誇りある騎士として、あんなにも無力感に苛まれたのは初めてです」


 エレナが悔しそうに俯き、ネックレスを強く握りしめる。クラリスもいつもの軽口を叩く余裕はなく、唇を噛んで黙り込んでいた。


「四極星、か。キャロルが規格外だってことは分かってたけど、敵にもあんな化け物が揃ってるなんてね……」


 キャロルは三人の重苦しい空気を受け止め、短く息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。


「そうか……。まぁ、今は休みな。無理に答えを出そうとしても、今は術式が乱れるだけだよ。僕は研究室にいる。何かあったら、あるいは何か思い出したことがあったら、いつでも来るといいさ」


 それだけ言い残すと、キャロルは翻るローブの音をさせて、静かに部屋を出て行った。

 残された部屋には、寝息を立てるルシフェリアと、自分たちの無力さを噛み締める三人の沈黙だけが、朝日の中に溶けていった。

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