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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第80話 血

 レオンは左手を胸の前に構え、手袋の中で術式を臨界点まで引き上げる。全身の毛羽立つような殺気が、目の前の男が「人間」の枠を超えた存在であることを告げていた。


「警戒を解けって言われて、はいそうですかって言えるようなツラじゃないだろ。……誰だよ、お前は」


 男はニヤリと、牙を見せるように笑った。


「俺は四極星、『墜星』のグラヴィスだ」


 その名が放たれた瞬間、周囲の空気が一段と重さを増した。


「そうとって喰いはしねぇよ。フォルネウスや魔王様は、お前の持ってる『鍵』だか『奇跡の力』なんざにご執心だが……俺はそんなもん、さほど興味はねぇんだ」


「……どういう事だ。お前ら魔族の目的は、世界を作り変えることじゃないのか」


「世界? 作り変える? ……ハッ、そんな退屈な話、俺に振るんじゃねぇよ。俺はな、戦いてぇだけだ。極限まで練り上げられた戦いの術式、それだけが俺を満たしてくれる」


 グラヴィスが、一歩、また一歩とレオンたちに向かって歩き出す。


「お前は『鍵』なんだろ? なら見せてみろよ。俺の退屈を殺せるほどの術式をな……!」


 グラヴィスがさらに足を踏み出した瞬間、世界が反転した。


「っ……、うぁっ!?」


 突如、目に見えない巨大な質量が、頭上から叩きつけられた。重力が数倍、数十倍へと跳ね上がり、足元の石畳がメキメキと音を立てて砕ける。


「が、はっ……身体が……!」


 クラリスとエレナが悲鳴を上げる間もなく地面に膝をつき、ルシフェリアも必死に踏ん張るが、その華奢な肩が重圧で震えている。レオンもまた、左手を地面に突き、かろうじて意識を保っていた。

 ただ歩いてくる。それだけで周囲の物理法則を書き換える。それが「四極星」という絶望の正体だった。


「ふん……。外側なりは立派だが、中身はまだ美味くなさそうだな。それじゃあつまらん。収穫にはまだ早い……今はまだ、殺さないでおいてやるよ」


 グラヴィスは、膝をつくレオンを見下ろし、心底退屈そうに鼻を鳴らした。


「な、舐めるなよ……!」


 レオンは歯を食いしばり、震える左手を無理やり頭上へと掲げる。自身の周囲を支配する絶大な重力の「術式」を、強引に読み取り、破壊し、無に帰そうとした。

 だが、四極星が放つ術式密度は、これまでの魔族とは比較にならないほど濃密だった。


「が、はっ……あ、ぐ……!!」


 読み込みきれない膨大な情報量が、レオンの左手から脳へと逆流する。神経が焼き切れるような感覚。術式の過負荷オーバーヒートにより、レオンの口から鮮血が溢れ出し、彼はそのまま糸が切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。


「レオン!!」


「カスパールさん!!」


 クラリスとエレナの悲鳴が重圧の中で響く。グラヴィス

はゆっくりと、倒れたレオンのそばにしゃがみ込んだ。


「まだそれだけか……。器はデカいが、これじゃあ『鍵』どころか、ただのガラクタだ」


 グラヴィスは自身の指先を鋭い爪で裂いた。そこから滴り落ちるのは、どす黒く、それでいて宝石のように輝く濃縮された魔力の塊――四極星の血。


「お前は欠陥品だ、レオン・カスパール。だが、壊れるには惜しい。……これを飲めば、お前の術式は加速し、さらに上の力を手にできる」


 グラヴィスは抵抗する力すら失ったレオンの顎を掴み、その口内へ、自身の血を一滴だけ滴り落とした。


「馴染ませろ。それがお前の内側にある『不完全な虚無』を埋める種になる……。次に会う時は、俺を本気にさせてみろよ」


 一滴の血が喉を通った瞬間、レオンの体内で、異質な魔力が爆発的に暴れ始めた。


「が、ぁ……あああああああぁぁぁ!!」


 レオンの叫びが夜の街に響き渡る。

 一滴の血。それは単なる血液ではなく、四極星という規格外の存在が持つ「超高密度の術式情報」そのものだった。レオンの内側にあった「虚無」の回路が、その異質な情報を強引に読み込もうとして、制御不能な拒絶反応を起こしている。

 レオンの左手から黒い紋様が血管のように浮き上がり、首筋まで這い上がっていく。


「ふん。死ぬならそれまでの器だ。……次はもっと使いこなしてみろ。次は、な!」


 ドォォォォンッ!!


 グラヴィスが足元の石畳を粉砕しながら跳躍し、夜の闇へと消えていく。残されたのは、重力から解放され、代わりに内側からの破壊に苦しむレオンと、取り残された三人だけだった。


「レオン! しっかりして、レオン!!」


「カスパールさん! 今すぐ……っ!」


 エレナが震える手でゴールドバルト家のネックレスを握りしめ、最大出力の癒しの術式を展開する。清浄な光がレオンを包み込むが、その光さえもレオンから溢れ出す黒い魔力に弾かれ、霧散していく。


「そんな……聖魔法が通じない!? これはオーバーヒートの苦しみではありませんわ……! あの魔族の血が、レオンさんの術式を内側から作り変えようとしていますの!?」


 エレナの顔から血の気が引く。癒しの術式は「正常な状態」に戻すためのもの。だが今のレオンは、存在そのものが別の何かに変質させられようとしていた。


「このままじゃ……レオンが壊れちゃう……っ!」


「――キャロル様のところへ!!」


 ルシフェリアが、暴れるレオンの身体を組み伏せるようにして抱きかかえた。人ならざる身体能力を持つ彼女でさえ、今のレオンから発せられる斥力に近い衝撃に顔を歪める。


「この術式を理解し、止められるのはキャロル様だけです! 急ぎましょう!!」


 ルシフェリアはレオンを背負うと、地面を蹴った。クラリスとエレナも、涙を拭い、必死にその後を追う。

 王都の喧騒を突き抜け、一行は「魔法など存在しない」と断じた先駆者のもとへと、夜の闇を駆け抜けていった。

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