第79話 墜星
青く澄み渡った空とは裏腹に、レオンたちの心には昨夜の予感が重くのしかかっていた。だが、戦いの前にまずは仲間との再会だ。ヴォルカニカスの回復を祝うため、一行はシルバーフレイム家の豪邸を訪れた。
門をくぐり、屋敷に足を踏み入れた瞬間、爆音のような声が響き渡る。
「クラリス~~!! 我が愛娘よ、会いたかったぞ~~!!」
「ちょっ、お父様! 痛い、痛いってば! 治った途端にこれなんだから!」
凄まじい勢いで突進してきたヴォルカニカスが、クラリスを壊れ物でも扱うように、それでいて全力で抱きしめる。クラリスは顔を真っ赤にしながらも、その元気すぎる姿にどこか安堵した表情を見せた。
「お父様、怪我はもう本当に大丈夫なの? あの時はひどい状態だったんだから」
「ガハハ! 心配いらん、この通りだ!」
ヴォルカニカスはクラリスを解放すると、仕立ての良い上着の袖をまくり上げ、丸太のような腕で力瘤を作ってみせた。傷跡すら感じさせないその漲る魔力は、まさにアステリア最強の魔術師の一人に相応しいものだった。
「ヴォルカニカス様、ご無事で何よりですわ。王国の盾である貴方が倒れたままでなくて、本当によかったです」
エレナが上品に一礼すると、ヴォルカニカスは表情を和らげ、豪快に笑った。
「おお、エレナ殿か! 貴殿の癒しの術式には感謝している。……それにレオン、ルシフェリア。お前たちもよく来てくれたな。我が娘が世話になっているようで、礼を言うぞ」
ヴォルカニカスの視線がレオンに止まる。その鋭い眼光は、以前よりも深くレオンの「左手」を観察しているようだった。
「……元気そうでよかったな。あんたが死んだら、クラリスの泣き声で耳が腐るところだった」
「あんたねぇ! ……まぁ、いいわ。お父様、今日は聞きたいことが山ほどあるのよ」
応接室の重厚なソファーに腰を下ろすと、ヴォルカニカスは改めてレオンたち一人一人の顔を真っ直ぐに見据えた。
「皆、まずは礼を言わせてくれ。俺が動けなかった間、よくぞこの国を守り抜いてくれた。アステリアの騎士として、そして一人の親として誇りに思う」
「……礼なんていいさ。それより、王国の守りは大丈夫なのか? ガルドスが抜けたんだ。南部の防衛に穴が空いてるだろ」
レオンの現実的な問いに、ヴォルカニカスは頼もしげに頷いた。
「心配いらん。今はジルヴァの奴が、西部に加えて南部も見てくれている。あいつは口は悪いが仕事は早いからな。俺のところからも腕利きの魔術師を応援に出しているし、防衛体制は維持できている」
ヴォルカニカスはそこで言葉を切り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべながらレオンを見つめた。
「いずれ、ガルドスの後任として新しい隊長も任命されるだろう。……どうだレオン、お前が隊長をやってみる気はないか? お前の実力なら文句を言う奴はいないだろうが」
「……。俺はまだ学生だぞ。何を言い出すんだ、あんたは」
レオンは呆れたように息を吐き、視線を逸らした。隣でクラリスが「ちょっとお父様! レオンはまだ私たちのパーティーなんだから、勝手に引き抜かないでよ!」と食ってかかる。
「ガハハ! 冗談だ、少し気が早すぎたか。だが、お前にはそれだけの価値がある。……そう確信させる何かが、今のお前にはあるからな」
ヴォルカニカスは一度深く溜息をつき、厳しい表情で腕を組んだ。
「話はジルヴァから聞いた。……ガルドスは魔族にやられた、とな。あいつほど頑強な男が、抗う術もなく『書き換えられた』という事実は、我々騎士団にとっても信じがたい衝撃だ」
「……あんたは四極星の居場所とかは分からないか? 手掛かりだけでもいい」
レオンの踏み込んだ問いに、ヴォルカニカスの顔色が変わった。椅子を鳴らして身を乗り出し、叱りつけるような怒号を飛ばす。
「四極星!? ……おいレオン、まさかアイツらと戦う気か? 馬鹿な真似はよせ! あれは魔術師がどうこうできる領域の存在じゃない。天災と戦うと言っているのと同じだぞ!」
「お父様」
遮るように声を上げたのは、クラリスだった。彼女は怯むことなく、ヴォルカニカスを真っ直ぐに見つめ返す。
「私たち、決めたのよ。……逃げずに、戦うって。キャロルの過去も、魔族の正体も知った上で、それでも止めなきゃいけないって決めたの」
「クラリス……」
ヴォルカニカスは言葉を失い、娘の瞳をじっと見つめた。そこにはかつての「守られるだけの令嬢」の面影はなく、己の意志で戦場に立つ一人の魔術師の覚悟が宿っていた。
沈黙の後、ヴォルカニカスは折れたように肩の力を抜いた。
「……いい目をするようになったな。シルバーフレイムの血を引く者として、その覚悟を否定はせん。だが、四極星の動きは神出鬼没だ。こちらの予測などとうに超えている」
ヴォルカニカスは机の地図に指を置いた。
「奴らがどこに潜んでいるかは分からんが、王国内の魔力観測網に異常が出れば、すぐに俺のところへ情報が上がる。何か掴んだらすぐに教えてやろう。……ただし、無茶はするなよ。いいな」
「恩に着る」
シルバーフレイム家の門を出たところで、ヴォルカニカスに力強く肩を叩かれた。
「レオン……クラリスを、頼むぞ」
その手には、父親としての切実な願いと、一人の騎士としての信頼が込められていた。レオンは視線を逸らしたまま、短く答える。
「ああ」
夕暮れに染まり始めた街並みを、四人は並んで歩いていた。昨夜からの緊張感、そしてキャロルから聞いた真実。重い沈黙が流れる中、レオンは雑踏を横切ろうとした。
その時だ。
「――っ」
横から歩いてきた、見上げるような巨躯の男と肩がぶつかった。岩を叩いたような硬い衝撃。レオンは足を止め、反射的に言葉を返す。
「……すまない」
やり過ごそうとしたレオンの背後に、地鳴りのような低い声が突き刺さった。
「レオン・カスパールだな」
瞬間、レオンの左手が、これまでにないほど激しく脈動した。皮膚の下で術式が警鐘を鳴らし、手袋越しでも分かるほどに震え出す。
「……ッ、何者だ!?」
レオンが即座に距離を取り、左手を構える。クラリスたちが息を呑み、ルシフェリアは瞬時に双短剣の柄に手をかけた。
だが、男は構える風でもなく、ただ圧倒的な威圧感を放ちながら、退屈そうに首の骨を鳴らした。
「そう警戒すんな。人混みの中で暴れる趣味はねぇよ。……少し、話をしようぜ。ここじゃあ、少し『重すぎる』だろう?」
男がニヤリと笑った瞬間、周囲の通行人が無意識に避けていく。まるでそこだけ、重力の法則が歪んでいるかのような錯覚。
男の瞳は、人間ならざる不気味な光を宿していた。四極星の一人、グラヴィス。平穏な街のど真ん中に、最悪の災厄が姿を現した。




