第78話 鍵
かつて六人の若き魔術師たちが、夢と希望を語り合いながら研究に没頭したあの場所。
今やそこには、不浄な魔力が渦巻き、天を突くような禍々しい黒の居城が聳え立っていた。
静まり返った謁見の間。
高い玉座に座るのは、かつての面影を辛うじて残しながらも、その魂さえ術式の深淵に溶かした「魔王」。
「奇跡の力……『魔法』は見つかったのか」
低く、地響きのような声が玉座から響く。それは千年前から変わらぬ、妄執に近い問いかけだった。
「僕の昔の実験体が、その鍵を持っているはずですよ。……僕たちが辿り着けなかった、完璧な術式の器としてね」
フォルネウスが、薄笑いを浮かべながら一歩前に出た。その瞳には、かつて夢見た「幸せな夢」の欠片もなく、ただ研究対象への冷酷な執着だけが宿っている。
「ガハハ! その鍵とやらを喰えば、俺は『魔法』を使えるようになるのか? 今の俺より、もっと、もっと強くなれるのか!」
ガタイの良い魔族――四極星の一人が、己の巨大な拳を打ち鳴らして吠える。
「……レオン、だよね。一回戦ったけど、あの左手……あれは変な力を持っていたなぁ。術式そのものを無に帰す、僕らからすれば毒のような力だ」
ゼノンと呼ばれた魔族が、退屈そうに己の爪を弄りながら呟く。
「その鍵さえあれば、この不完全な理に縛られた世界を、私たちの望むままに作り変えられる。……キャロルが逃げ出し、私たちが千年間待ちわびた瞬間が、もうすぐそこまで来ているのよ」
妖艶な笑みを浮かべる女性の姿をした魔族が、陶酔したように両手を広げた。
玉座の魔王は、無機質な瞳を細める。
彼らの視線の先にあるのは、かつての仲間であり、裏切り者であるキャロル。そして、彼女が育て上げた「鍵」であるレオン。
「キャロル……お前が何を隠し、何を育てたのか、見せてもらおう。我らが真の『魔法』を手にし、この世界を『完成』させるために」
魔王の言葉に呼応するように、城全体が不気味に共鳴し、アステリア王国、そして世界を飲み込もうとする闇が、さらにその色を濃くしていった。
「俺が行っていいか? 体がなまって仕方ねぇんだ」
巨躯を揺らし、四極星の一人、グラヴィスが凶悪な笑みを浮かべて一歩前に出た。彼の周囲の空間が、その圧倒的な魔力の重圧だけでミシミシと悲鳴を上げる。
「どうぞお好きに。ただし、壊しすぎないでくださいよ。あの個体は僕の最高傑作になる予定なんですから、じっくり『研究』しなきゃいけない」
フォルネウスが、まるで壊れやすい玩具を貸し出すような口調で許可を出す。
「ガハハハ! 骨のある奴なら加減もしてやるさ! 脆いようなら、それまでの器だったってことだ!」
「お前で大丈夫か? グラヴィス。あいつの『虚無』に触れれば、お前の自慢の魔力密度も削り取られるよ」
ゼノンが冷やかすように視線を向けると、グラヴィスは鼻で笑った。
「挨拶するだけだ。……まずは、どちらが『上』か、その魂に刻みつけてやるよ」
ドォォォォォンッ!!
爆音と共に、グラヴィスは城のテラスから砲弾のような勢いで飛び出した。彼が踏み切った床には、蜘蛛の巣状の巨大な亀裂が走り、その衝撃波だけで城の周囲の雲が吹き飛ぶ。
一人、また一人と、玉座の間から魔族たちが去っていく。
後に残されたのは、冷たい静寂と、玉座に座る魔王のみ。
「奇跡の力……魔法……。それさえあれば……あの日、僕たちが失ったものは、すべて取り戻せるはずだ……」
魔王は、もはや涙を流すことすら忘れた瞳で、ただ一点を見つめていた。
それは、自分たちを人間から遠ざけたあの「術式」の先にある、偽りのない奇跡への渇望。
一方、王都へと向かう空には、災厄の先触れとも言える巨大な魔力の塊が、猛烈な速度で近づきつつあった。
レオンたちの平穏な放課後は、今、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
月明かりが窓から差し込む、静かな夜。
昼間にキャロルの研究室で聞いた衝撃的な真実を飲み込むように、四人は一つのテーブルを囲んでいた。
「……まさか、魔族の正体がキャロルの元仲間だったなんてね。頭では分かってても、なんだか実感が湧かないわよ。世界を滅ぼそうとしてる連中と、あの食えない師匠が一緒に研究してたなんてさ」
クラリスが温まりきった紅茶のカップを眺めながら、ぽつりと呟く。その声には、いつもの快活さはなく、割り切れない複雑な感情が混じっていた。
「そうですわね。キャロル様が背負ってこられたものの重さを思うと、胸が締め付けられるようですわ……。あんなに悲しい過去を抱えて、何百年も一人で戦い続けてこられたなんて」
エレナは胸元のネックレスをそっと握りしめる。彼女にとって、完璧で無敵に見えていた師匠の「弱さ」と「後悔」に触れたことは、大きな衝撃だった。
「わたくしは、キャロル様が何者であっても構いません。ですが……かつての友をその手で葬らねばならないという決意だけは、あまりに過酷すぎます」
ルシフェリアがレオンの横顔を案じるように見つめる。レオンは、キャロルから受け取った手帳を無造作に机に置き、窓の外の闇を見据えたまま、低く、断絶したような声で言った。
「関係ないさ。……過去がどうだろうが、あいつらが何者だろうが、魔族は敵だ。罪もない奴らを傷つけ、世界を書き換えようとしてるなら、俺たちが倒す。それだけだ」
「レオン……」
「キャロルが背負いきれないなら、俺たちが肩代わりしてやるまでだ。……あいつらを、ただの『魔族』として消してやる。それが、キャロルにとっても、あいつらにとっても一番の救いだろ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その言葉にはレオンなりの、師への最大限の敬意と覚悟が込められていた。




