第77話 永い願い
キャロルの言葉は、いつになく重く、研究室の空気を震わせた。かつて「魔法」という名の奇跡を夢見た魔術師たちの成れの果てが、今の世界を脅かす魔族の正体なのだと。
「奇跡の力を信じ、追い求め、共に歩んだ仲間たちだった。けれど、求めすぎたんだ。深淵を覗き込み、その深淵そのものになってしまった……。この歪な世界を作ってしまったのは僕たちだからね。僕は、彼らを止めなくてはならないんだ」
キャロルはそう言うと、黄金の術式をゆっくりと消した。剥き出しの「魔族」としての威圧感が消え、そこにはまた、どこか儚げな一人の女性――あるいは、後悔を抱え続ける不老の魔術師の姿があった。
「キャロル様が……魔王や四極星の仲間だったなんて……」
エレナが力なく呟く。守るべき師が、元を正せば災厄の根源の一人であったという事実は、あまりに重い。
「あんたは……だから俺を拾ったのか?」
レオンが、懐の手帳を握りしめたまま問いかける。
魔族になろうとして失敗した「書き換え」の力を持つ自分。キャロルが自分を保護し、育ててきたのは、単なる慈悲ではないのではないか。
「……半分は、罪滅ぼしだね。そしてもう半分は……」
キャロルはレオンの目を真っ直ぐに見つめた。
「彼らが作り変えようとしているこの世界を、君という『イレギュラー』なら、本当の意味で救えるかもしれないと思ったからだよ。理屈に基づいた『魔術』でもなく、傲慢な『魔法』でもない、別の答えを……」
クラリスは複雑な表情でキャロルを見ていたが、やがてギュッと拳を握りしめた。
「……正直、話が大きすぎてよく分かんないわよ。でも、あんたが私たちを教えてくれたのは嘘じゃないんでしょ? ガルドスさんを操ったあいつらが、間違ってるのは確かなんでしょ?」
「……。ああ、そうだね。彼らは、人間が積み上げてきた時間を否定している。それは、僕が最も許せないことの一
つだ」
キャロルは昨日レオンが会った老婆のことを思い浮かべるように、ふっと微笑んだ。
「レオン。僕の正体が分かっても……君はまだ、僕の教え子でいてくれるかい?」
研究室に、静かな問いかけが響く。レオンは左手の刻印を見つめ、それから顔を上げた。
「……今更だ。あんたが何者だろうと、俺に魔術を教えたのはあんただ。責任は、最後まで取ってもらうぞ」
その言葉に、キャロルは「……はは、手厳しいね」と、いつものような、けれどどこか救われたような笑みをこぼした。
キャロルはそれまでのどこか遠くを見つめるような視線を収め、椅子から立ち上がって四人と正対した。その佇まいは、いつもの軽薄な師匠のものではなく、一国の運命、あるいは世界の行く末を託そうとする一人の先駆者のものだった。
一人一人の瞳の奥を、逃さず、確かめるように見つめていく。
「改めて君たちにお願いするよ。僕がかつて友と呼んだ者たちを、暴走した理想を……止めてほしい。手伝ってくれるかい?」
研究室を沈黙が支配した。それは迷いではなく、それぞれが己の内側にある決意を言葉に変えるための、わずかな時間だった。
「当たり前だ」
最初に沈黙を破ったのはレオンだった。彼は左手の拳を無造作に突き出し、冷徹な、しかし確かな熱を帯びた声で告げる。
「俺を勝手に作って、勝手に捨てたクソ野郎共は、俺が消してやるさ。そのためにあんたに教わってきたんだからな」
「キャロル様には、行き場のないわたくしを助けていただいた恩があります。それを返すのは当然のこと。……ご主人様の行く手を阻むものは、何者であれわたくしが排除いたします」
ルシフェリアがレオンの斜め後ろに立ち、静かな殺気を込めて頷く。
「魔族を倒すことは、アステリア王国の聖女として、そして人類の一員としても避けては通れない道ですわ。……わたくしも、共に戦います」
エレナはネックレスに手を添え、気高く、まっすぐにキャロルを見つめ返した。
「もう、言われなくったって倒すわよ! 世界を書き換えるだかなんだか知らないけど、そんな勝手なこと、絶対許さないんだから!」
クラリスが最後に叫ぶように言い放ち、研究室の空気を一気に明るく塗り替えた。
キャロルは一瞬、驚いたように目を見開き、それから腹の底からこみ上げてくるものを抑えきれないように笑い出した。
「あはは……! ああ、本当に君たちらしいな。面白いね、君たちは。……長い時間を生きてきたけれど、最後に君たちに出会えて本当に良かったよ」
キャロルの笑い声は、どこか吹っ切れたような晴れやかさに満ちていた。
「ありがとう……。さあ、もう学校に行ってきな。遅刻しても知らないよ?」
キャロルはいつもの軽やかな調子に戻って、ひらひらと手を振った。レオンたちは顔を見合わせ、言葉にできない複雑な感情を胸に抱きながらも、促されるまま研究室を後にした。
廊下を歩く四人の足音が遠ざかり、重厚な扉が閉まる。
一人になった研究室。
キャロルはゆっくりと椅子に腰を下ろし、机の上に置かれたままの写真を手に取った。
指先でなぞるのは、六十年前のあの子の笑顔と、今の自分と何も変わらない、若すぎる自分の姿。
「これで最後だ……」
窓から差し込む光に透かされた写真は、どこか現実味を欠いて見えた。
「待っててね。僕ももうすぐ行くから。……あいつら(仲間たち)と一緒にね」
その呟きは、誰に聞かせるものでもなく、静寂の中に溶けていった。
彼女が歩んできた果てしない時間の終着点。
教え子たちに未来を託し、自分はかつての友たちと共に、時代という名の術式から消え去る。
キャロルの瞳には、悲しみはなかった。
ただ、長い長い旅路を終えようとする旅人のような、穏やかな安堵だけが宿っていた。




