第58話 フェリスの影
演習場の一角が、白き炎と蠢く黒い影の対照的な色に染まる。
「さぁ、来なさい。お嬢ちゃんたち。私の影を照らすことができるかしら?」
フェリスが扇情的に指先を動かし、挑発する。その余裕に、クラリスの瞳に闘志の火が灯った。
「なめるんじゃないわよ! 私たちだって、死線を何度も潜り抜けてきたんだから! 『白炎火球』!」
杖の先から放たれた純白の火球が、空気を焼き焦がしながらフェリスへと殺到する。しかし、フェリスは動じない。彼女が杖をスッと振り下ろすと、地面から立ち上がった巨大な影の幕が、生き物のように火球を包み込んだ。
「あら、そんなもの? 炎は影を濃くするだけよ」
ジウッ、という不気味な音と共に、白炎が影の中に吸い込まれるように消失する。物理的な熱さえも、フェリスの影は「無」へと引きずり込んでしまった。
「嘘……私の白炎が、あんなにあっさりと……!?」
「クラリスさん、落ち着いて。熱に頼りすぎては術式を喰われるだけですわ」
動揺するクラリスの肩を、エレナが静かに、けれど強く叩いた。彼女の持つ細光剣からは、不純物のない澄み渡った光の粒子が溢れ出している。
「……確かに影は炎を飲み込みますが、光そのものを消し去ることはできません。魔術属性の相性は、わたくしたちに分があります。……そこを突けば、必ず道は開けますわ!」
エレナが剣を正対させると、ゴールドバルト家の紋章が刻まれたネックレスが共鳴し、彼女の周囲に幾重もの魔法陣が展開される。
「ふふ、よく分かっているじゃない。……でも、理論だけで私の影を暴けるかしら?」
フェリスの影から、実体を持った影のナイフが作り出され、それが弾丸のような速度で次々と放たれる。
「――『光の防壁』!」
エレナがネックレスに手をかけると、幾何学模様の光の壁が展開され、影のナイフを次々と霧散させた。接触した瞬間に光が影を中和し、パチンと弾けるような音が響く。
「……やはり。純粋な光の術式なら、フェリス様の影を打ち消せますわ!」
確信を得たエレナは、防御から一転して踏み込んだ。細剣の切っ先に光を収束させ、最短距離でフェリスの胸元を突く。その一撃は鋭く、正確無比だった。
――だが、フェリスの身体は直撃の瞬間に、まるで水面に映る月のように揺らいだ。
「あら、確かに光は影を消すけれど……『消されたふり』をするのも影の得意技なのよ?」
エレナの細剣は、フェリスの身体を何の手応えもなくすり抜けた。驚愕に目を見開くエレナの背後から、不敵な囁きが聞こえる。
「……空振りね。お嬢ちゃん」
実体化していたはずのフェリスは、攻撃の瞬間に自らを影へと変え、エレナの死角へと回り込んでいた。
「エレナさん、危ないっ! 『白炎火球』!」
クラリスが杖を振り抜き、エレナを援護するように周囲へ白炎の火球をフェリスに向け放ちフェリスをエレナから離そうとするが、フェリスは楽しげに笑いながら、影の糸を操ってその炎の隙間を軽やかに舞った。
「ふふ、いい連携。でも、私の影を捉えるには、まだ『光』が足りないわ。もっと、私を焼き尽くすくらいの眩しさを見せてちょうだい?」
「――なら、これならどうです……! 『光球』!」
エレナは細剣の切っ先を天に掲げ、魔力を一点に集中させた。眩いばかりの光の球が形成され、上空へと放たれる。
光球は演習場の中央で弾け、白夜のような強烈な光がフィールド全域を満たした。地面に落ちていた石、瓦礫、そしてフェリス自身の身体から伸びていた影が、一瞬にして消失する。
「……これなら、影を作り出せないはずですわ! フェリス様、実体を暴かせていただきます!」
エレナは光球が維持されている間に決着をつけるべく、光を纏った細剣を正対させ、フェリスへと突進した。その鋭い刺突は、真っ直ぐにフェリスの胸元へと迫る。
「ふふ、いい案ね。光の洪水を起こして、物理的な影を根こそぎ消し去る……」
フェリスは光に晒されながらも、微塵も動じることなく笑みを浮かべていた。
「ただ、お嬢ちゃん。……少しの、ほんの少しの『隙間』さえあれば、影はそこから生まれるのよ」
フェリスが自身の背中に手を回す。上空からの強烈な光に対し、彼女の背中と床のわずかな接地面、そして衣服の重なりの間に生まれていた、ミリ単位の「濃い影」。
彼女がその影に触れた瞬間、影は意思を持つかのように彼女の手に集い、一振りの漆黒のナイフへと形を変えた。
――キンッ!
エレナの細剣の刺突を、フェリスは生成した影のナイフで、最小限の動きで受け止めた。刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。
「……なっ!? そのような小さな影から……!」
「強力な光は、影をより一層『濃く』、そして『鋭く』するのよ」
フェリスの瞳が、至近距離で怪しく光る。彼女はナイフでエレナの細剣を強引にズラすと、無防備になった彼女の腹部へ、容赦ない蹴りを叩き込んだ。
「ああっ……!」
エレナの身体が光の粒子と共に弾け飛び、地面を転がる。彼女の集中が切れたことで、上空の光球は霧散し、演習場には再び夕暮れの長い影が戻ってきた。
「エレナさんッ!! ……この! よくも……!」
クラリスが悲鳴のような叫びを上げ、倒れたエレナへと駆け寄ろうとする。だが、その瞬間、フェリスの周囲に渦巻いていた影が急速に収束し、巨大な「拳」の形を成した。
「――隙だらけよ。お嬢ちゃん」
フェリスが杖を振ると、影の拳が咆哮を上げるようにクラリスへと放たれた。
「がはっ……!?」
正面から影の拳を受け、クラリスは息を詰まらせてその場に崩れ落ちた。杖を落とし、腹部を押さえながら苦悶の表情でうずくまる。
「……うふふ、こんなものかしら? ガルドスを倒すとか、お父様の意志を継ぐとか……。口だけは立派だけれど、私の『本気』の影一つ、暴けないようじゃ話にならないわね」
フェリスは影の衣を纏い、倒れ伏す二人を見下ろして、氷のように冷たい笑みを浮かべた。隊長格という「地獄」の洗礼。二人は今、その圧倒的な実力差の前に立ち尽くしていた。




