第57話 ジルヴァの風
演習場の空気が、レオンの放つ無色の魔力によって一瞬だけ「空白」になった。
(……魔術は消せる。だが、物理的な短剣の軌道までは止められない。なら、俺が道をこじ開ける!)
レオンは隣のルシフェリアへ、視線で意志を伝える。
「ルシフェリア、サポートに回る。……好きに動け!」
「かしこまりました。……では、お先に失礼いたします」
その言葉が終わるか否や、ルシフェリアの姿が陽炎のように揺らぎ、完全に消失した。光を屈折させ、気配すらも周囲の風景に溶け込ませる「透明魔法」。
「ほぅ、透明魔法か。面白れぇじゃねえか!」
ジルヴァは不敵に笑うと、瞬時に自身の周囲に微細な風の渦を発生させた。目には見えずとも、風の揺らめき――何かが「そこにある」という違和感だけで、ルシフェリアの位置を正確に把握しようとする。
「見つけたぜ、お嬢ちゃん!」
ジルヴァが短剣を薙ぎ払う。しかし、ルシフェリアは怯むことなく最短距離で踏み込み、その刃を自身の短剣で受け止めた。
キィィィンッ! と鋭い火花が散る。
「……捕まえました、ジルヴァ様」
「あぁ? 受け止めたくらいで勝ったつもりかよ!」
ジルヴァが短剣に暴風を纏わせ、ルシフェリアを力ずくで弾き飛ばそうとしたその瞬間――背後から、凍てつくような冷徹な魔力が迫った。
「――隙だらけだぜ、ジルヴァ」
レオンが死角から肉薄し、その左手をジルヴァの短剣に、いや、そこに渦巻く「風の術式」へと伸ばした。
バチンッ! と、電球が割れるような音と共に、ジルヴァの短剣を覆っていた風の刃が霧散する。
「なっ……!? 俺の風を、直接掴みやがったか!」
術式の核を直接破壊されたことで、短剣はただの「鉄の塊」へと戻る。その一瞬の空白こそが、レオンとルシフェリアが狙っていた最大の好機だった。
「――だがそれがどうしたッ!!」
ジルヴァの咆哮が演習場に轟く。風を消された直後、彼は一切の躊躇なく、空いた左拳をレオンの腹部へと叩き込んだ。
「がはっ……!?」
衝撃波と共にレオンが後方へと吹き飛ぶ。間髪入れず、ジルヴァは手首を返してルシフェリアの短剣を強引に弾き飛ばすと、独楽のように回転しながら鋭い蹴りを彼女の脇腹に叩き込んだ。
「くっ……ああっ!」
二人の身体が石畳の上を無残に転がり、砂埃が舞う。
「……術式を消したところで、その先があるんだよ。魔術に頼り切った甘ちゃん野郎なら、今の一撃で首が飛んでるぜ?」
ジルヴァは短剣を肩に担ぎ、倒れ伏す二人を冷徹に見下ろした。隊長格という「壁」の厚さ。術式破壊という初見殺しのカードを切ってもなお、届かない実力差がそこにはあった。
「……はぁ、はぁ……。まだだ、終わってねぇ……!」
レオンが口元の血を拭い、ふらつきながらも立ち上がる。その瞳に宿る虚無の光は、以前よりも深く、鋭く研ぎ澄まされていた。
「いいぜ、その目だ。死に損ないのガキが、一番良い顔してやがる。……どんどん来い!」
ジルヴァが挑発するように手招きをする。レオンは隣で立ち上がったルシフェリアへと短く声をかけた。
「ルシフェリア!」
「……はい、ご主人様」
ルシフェリアがレオンの手を力強く握り返す。その瞬間、二人の姿が陽炎のように揺らぎ、完全に景色へと溶け込んだ。レオンの《術式破壊》の波動を、ルシフェリアの《透明魔法》が包み込み、隠蔽する。
「ほう……二人まとめて消えたか。だがなぁ、それだけじゃ何にもならんぜ!」
ジルヴァが短剣を突き出すと、彼の周囲に猛烈な局所旋風が巻き起こった。
「風は嘘をつかねぇ。お前らがそこに『居る』だけで、空気の流れが変わるんだよ!」
ジルヴァは全神経を研ぎ澄ませ、目に見えない「空白」が風を乱す瞬間を待ち構える。
レオンは自らの周囲に渦巻く風の術式を、左手の《虚無》で片端から「無」に帰しながら前進する。まるで目に見えない空白の道が、荒れ狂う嵐の中に穿たれていくかのような光景だ。
「……ほう、俺の風を直接消しながら進んでくるか。けどなぁ、それは『ここに居るぞ』って大声で叫んでるようなもんだぜ、坊主!」
ジルヴァが鋭い踏み込みと共に、真空の刃をレオンの正面へと解き放つ。
――ギィィィンッ!
その瞬間、レオンが透明化を解いて姿を現した。左手で風の刃を直接掴み、霧散させる。
「……俺は囮だ、ジルヴァ」
「あぁ?」
ジルヴァが目を見開いた刹那、彼の真後ろの空間が音もなく歪んだ。
「――これなら、どうです……!」
透明魔法を維持したまま背後に回り込んでいたルシフェリアが、実体化と同時に渾身の力で短剣を振り下ろす。ジルヴァの意識をレオンの正面突破へ完全に釘付けにした、文字通りの必殺の死角。
だが、ジルヴァは振り返りもせず、風の感覚だけでその軌道を読み切っていた。
「狙いはいいが……まだ甘めぇんだよ!」
ジルヴァは背後から迫るルシフェリアの腕を、まるで後ろに目があるかのような動きで掴み取った。そのまま自身の背中を支点に、彼女の勢いを利用して豪快に前方へと投げ飛ばす。
「きゃっ……!?」
投げ飛ばされたルシフェリアを受け止めようと、レオンが動く。二人の連携は確実に形になりつつあったが、隊長の直感と体術の壁は依然として高い。
その激しい攻防を、少し離れた場所で見ていたフェリスが、艶然と微笑んだ。
「うふふ、あちらは随分と盛り上がっているわね。……さて、お嬢ちゃんたち。こちらも、始めましょうか?」
フェリスが杖を振ると、演習場の地面に落ちる全ての影が、意志を持つかのように蠢き始めた。




