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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第59話 2人の思い

 演習場の空は、深い藍色へと溶け込み始めていた。激しい魔術の衝突で剥がれ落ちた石畳の破片と、焦げ付いた匂いだけが、そこが戦場であったことを物語っている。


「――そこまでだ。今日は終わりだぜ」


 ジルヴァが短剣を鞘に納め、ぶっきらぼうに告げた。その声が合図だったかのように、張り詰めていた糸が切れ、4人はその場に崩れ落ちた。

 レオンは荒い呼吸を繰り返し、ルシフェリアは肩で息をしながらもレオンの傍らで力なく横たわっている。クラリスとエレナも、魔力を使い果たし、指一本動かすのがやっとという有様だった。


「明日も朝っぱらから始めるぞ。せいぜい泥のように眠って、体を休めておけよ」


 ジルヴァは背中を向け、面倒そうに頭を掻きながら出口へと歩き出す。


「うふふ、お疲れ様。明日も可愛がってあげるから、覚悟しておきなさいな。じゃあね」


 フェリスが優雅に手を振り、影を纏うようにジルヴァの後に続いた。二人の隊長の足取りには、あれほどの激闘を経てもなお、微塵の乱れもなかった。


「……あぅ、動けないわ。あいつら、加減って言葉を知らないのかしら。容赦なさすぎよ……」


 クラリスが仰向けに転がったまま、夜空に向かって力なく悪態をついた。自慢のローブも土埃で汚れている。


「……そうですわね。結局、わたくしたちの光も、クラリスさんの炎も……あの方の実体に触れることすら叶いませんでしたわ」


 エレナもまた、土にまみれた頬を地面に預けたまま、静かに頷いた。聖女としての誇りよりも先に、届かない壁の高さへの悔しさが、熱く胸を焦がしていた。

 レオンは、震える右腕を顔の上にかざし、滲み始めた星空を指の間から見上げた。


「……ここまで差があるとはな」


 ポツリと漏らした言葉には、絶望ではなく、冷徹なまでの自己分析が含まれていた。

 魔術を消せば勝てる。光を放てば影を消せる。そんな甘い計算は、一瞬で吹き飛ばされた。彼らが相手にしているのは、術式という「理論」ではなく、生き残るために研ぎ澄まされた「本能」そのものだった。


「……ご主人様」


 隣で横たわるルシフェリアが、泥に汚れた手で、そっと

レオンの服の裾を掴んだ。


「……次は、必ず、勝ちましょう……」


「……ああ。分かってる」


 レオンは短く答え、夜の冷気に身を任せた。

 ボロボロになった身体の奥底で、虚無の魔力が、静かに、けれど以前よりも密度を増して脈動し始めていた。

 夕闇に包まれた騎士団への帰り道。カツン、カツンと二人の足音だけが静かな廊下に響く。

 フェリスは隣を歩くジルヴァの横顔を、悪戯っぽく、けれどどこか真剣な眼差しで見つめた。


「……ねぇ、ジルヴァ。あなた、随分と本気でやってたわね」


「あぁ? 当たり前だろ。本気じゃなきゃあ、あのガキ共を扱ぐ意味がねぇだろうが」


 ジルヴァはぶっきらぼうに吐き捨て、懐から取り出した短剣を指先で弄ぶ。だが、フェリスは小さく首を振った。


「いいえ、そうじゃないわ。……本気で、あの子たちと『ぶつかって』たわねって言ってるのよ。ただの教育係の顔じゃなかったわ」


 その言葉に、ジルヴァは歩みを止め、無造作に後頭部を掻きむしった。


「……白炎の旦那に、頼まれちまったからな。あいつらの師匠に恥をかかせるわけにゃいかねぇだろ」


「それだけかしら?」


 フェリスは歩みを止めず、前を見据えたまま言葉を継ぐ。


「あの子たちの目……特にあのレオンとかいう坊やの目。あの時のあなたと、そっくりだったわよ」


「……そうか?」


「そうよ。あの時のあなた、もっとギラギラしてたわ。……親も家もなくて、泥を啜りながらヴォルカニカス様に何度も勝負を挑んでいた、あの頃のあなたにね」


 フェリスの脳裏には、血と泥にまみれながらも、決して折れることなく巨大な炎の壁に立ち向かっていった少年の姿が鮮明に浮かんでいた。今のレオンたちが見せた、限界を超えてもなお立ち上がろうとする執念。それは、ジルヴァがかつて持っていた、剥き出しの生存本能そのものだった。


「…………」


 ジルヴァは一瞬、苦いものを噛み潰したような顔をしたが、すぐに鼻で笑って再び歩き出した。


「んな昔の事、とっくに忘れたぜ。……俺にあるのは、今のこの風だけだ」


「ふふ、素直じゃないわね。……でも、あの子たちがその『壁』を越えてきた時、あなたがどんな顔をするのか、今から楽しみだわ」


 フェリスの含みのある笑い声が、夜の静寂に溶けていく。ジルヴァは何も答えなかったが、短剣を握る手には、無意識のうちに力がこもっていた。

 フェリスは、ジルヴァの背中を見つめ、潜めるような声で問いかけた。


「……ねぇ、ジルヴァ。ガルドスのこと、本当はどう思っているの?」


 その問いに、ジルヴァはすぐには答えなかった。ただ、使い慣れた短剣の柄を、指が痛くなるほど強く握りしめる。


「……俺個人としては、今でも信じられねぇよ。あのアホみたいに堅物なガルドスの野郎が、こんな大それた反逆なんてよ」


「……私も、そう思うわ」


 フェリスも短く同意する。彼女たちの知るガルドス・ブロンズゲートは、融通は利かないが、誰よりも王国の安寧を信じ、土魔法のようにどっしりと構えた男だったはずだ。


「魔術学校からの長い付き合いだからな……あいつが国を売るような真似をするなんて、何度考えても結びつかねぇんだよ。あの真面目を絵に描いたようなガルドスがだぜ?」


 ジルヴァは吐き捨てるように言い、苛立ちを隠さずに後頭部を掻きむしった。


「何かあるぜ。あいつを突き動かしてる『何か』が、まだ裏に潜んでやがる……。あの野郎一人の意志だけで動いてるようには、どうしても思えねぇんだ」


「そうね……。彼ほどの男が、ただの野心で動くとは思えないわ。……でも、現実に彼は牙を剥いた。それは変えられない事実よ」


 フェリスの言葉は冷静だったが、その瞳にはかつての戦友を疑わなければならない悲哀が混じっていた。

 ジルヴァは、星さえも飲み込もうとする暗い夜空を仰ぎ見た。その視線の先には、ガルドスが潜む工場の、冷たい魔力の残光が揺れているように見えた。


「ガルドス……。お前、一体何を考えてやがる。何を背負い込んで、あんな化け物じみた真似をしてやがるんだ……」


 呟きは風にかき消され、誰に届くこともない。

 かつての仲間が敵となり、教え子たちが壁を越えようともがいている。王都の夜は、嵐の前の一時的な静寂を保っていたが、その底流では巨大な術式の渦が、確実に全てを飲み込もうとしていた。

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