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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第5章 変わる器、変わらぬ心
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69話 おやすみ

葵は、作業を邪魔しないよう、窓辺の椅子に座って皆の作業を眺めていた。

不思議な感覚に包まれる。

自分の身体は、まだここにある。

それなのに目の前では、もう一つの身体が、少しずつ形を成していく。


──もう一人の自分。


〈私はまだ、ここにいる……〉


そう思う一方で、彼女には皆の疲れがはっきりと分かっていた。

工藤の動作には鈍さがあり、柊真の目の下には影が落ち、宮下や詩織にも疲労の色が濃い。


:: Aoi-Core|対象観測処理

PRC: 視覚センサ → #工藤(睡眠ログ:平均値 3.2時間, 動作の遅延を確認)

STA: 疲労度=注意レベル臨界値を超過

EMO: 注視+感傷+信頼 ⇒ 心配 0.68


〈工藤さんの休息不足は、重大な健康リスク。介入が必要〉


「工藤さん……お疲れではありませんか」


声をかけると、工藤は一度だけ手を止めた。


「……ん?」


「今日のところは、休んだ方がいいと思います」


工藤は、わずかに笑った。


「気にすんな、葵。この程度の作業、慣れっこだ」


止めたい。けれど止められない。

自分のために誰かが無理を重ねている。

その事実が、嬉しさより先に「心配」のEmotion値を押し上げた。


その日の作業は、夜遅くまで続いた。


工藤は、工作室の一角に張られたテントにたどり着けないほど疲弊していた。

背骨のパーツを組み上げている途中で、電池が切れたように力が抜ける。

そのまま作業台に突っ伏し、眠ってしまった。


葵が声をかけても、工藤は起きる様子がなかった。

葵は、工藤のテントから布団を持ち出し、肩にそっとかけた。


翌朝。

工藤は、まだ作業台の前で眠っていた。

そろそろ作業を始める時間だった。


葵は起こすべきか迷った。

できることなら、このままもう少し眠っていてほしい……

葵はためらいながらも、工藤の肩を揺り動かした。


「工藤さん、朝です。おはようございます」


「……んあ?……もうそんな時間か」


眠そうに目をこする工藤の前へ、葵は湯気の立つ湯呑を差し出した。


「おお……気が利くじゃねえか」


工藤は受け取ると、一口すすって息を吐いた。


「よし、今日の分の作業を始めるかー!」



それから三ヶ月ほどが過ぎた。

六月の終わり。

蝉の声が、工作室の作業音に混じって聞こえるようになっていた。


柊真は、最終設計図を確認しながら、宮下に声をかけた。


「宮下君。Aoi-Coreの復元作業に関して最終確認しておきたいことがあります」


「はい」


宮下は中枢神経のような微細な信号線の束を選り分けていた。

作業を中断し、顔を上げる。


「メインプロセッサは、そのまま移植できます。追加するプロセッサとの統合にも支障はないでしょう。

 Aoi-Coreとこれまでに蓄積したデータを復元すれば、システムとしての再構築は可能です」


柊真は、図面の胸部から脊椎へと指を滑らせた。


「ただ、それだけでは現在の葵を再現できません」


宮下は眼鏡のブリッジを押し上げる。


「……身体側の情報ですね」


「そうです」


柊真は頷いた。


「葵の記憶や行動履歴は、単一のストレージに保存されているわけじゃない。

 身体各所のセンサーや分散処理ユニット、それらを制御する回路とメモリ。

 そこに蓄積された情報も、長い時間をかけてAoi-Coreの状態形成に影響しています」


宮下は図面へ視線を戻した。


「Aoi-Coreのシステムだけを移しても不十分ということですね」


「その通りです。Aoi-Coreの思考プロセスに、何がどこまで影響しているか僕にも確証はありません」


柊真は、脊椎から全身へ伸びる制御系のラインを指した。


「だから、神経系はできる限り丸ごと移植します」


宮下の目が図面を追う。


「各部の分散処理ユニット、制御回路、メモリを含めて?」


「全てです。今の葵を、新しい身体へそのまま繋ぎ直します」


宮下はしばらく思案すると、図面から視線を上げた。


「……分かりました。それが、一番確実です」



窓の外では木々が濃い緑に覆われ、研究所の中では機械の駆動音が絶え間なく響いていた。

やがて、さらに季節が巡る。


夏が過ぎ、蝉の声が消え、朝夕の空気が次第に冷たくなっていった。


新しい身体のフレームが組み上がり、交換するパーツ類の組み込みも進んでいく。

加工や組み立てを主に行う一階の工作室での作業を終えると、実装や電子系の工程は二階の制作室へ移されていた。


センサーや制御系は現在の葵の身体から移植するため、宮下がユニット化と受け入れ側の調整を進めている。

バッテリーや駆動系の調整も、並行して進められていった。


そして、秋が深まった頃──。


二階のクリーンルーム。

その作業台の上には、少女の姿を思わせる新しい身体が形を成していた。

現段階では組み込めない装置や、これから移植する部品は、その傍らに整然と並べられている。


その夜、柊真は葵へそっと声をかけた。


「葵。しばらくの間、君には『おやすみ』してもらうことになる。

 今の身体から必要なものを取り出して、新しい身体へ移すんだ」


:: Aoi-Core|対話解析処理

PRC: 聴覚センサ → #柊真「発話内容」/内部ログ→停止処理

STA: 思考スレッド=高負荷/論理回路=不安定

EMO: 敬愛+動揺+悲哀 ⇒ 不安 0.84/[恐怖] 0.39


「私が、いなくなっている間……忘れたり、しませんか?」


柊真は、すぐに答えた。


「忘れない。必ず、新しい身体で君を目覚めさせる。約束する」


葵は、小さく頷いた。


制作室に設けられた専用の作業台へ、ゆっくりと横になる。

その周囲には、柊真、工藤、宮下、詩織が立っていた。


「葵、安心して眠っていいぞ」


工藤の声は、いつもより低かった。


「葵さん、私たちを信じて……」


詩織は、言葉を詰まらせてしまう。


「Aoi、何も問題はありません。大丈夫です」


宮下の声はいつもと変わらない。

だが、その胸の奥には、これまでとは違う感覚があった。


かつての宮下にとって、葵は人間のように振る舞う、特殊なシステムに過ぎなかった。


だが、いつからだろう。

人間のように傷つき、笑い、涙を流す葵を見ているうちに、その認識は少しずつ変わっていた。

彼女は、宮下の論理をもってしても、単に人間を模倣する存在とは考えられなくなっていた。


目の前で停止しようとしている存在を、単なるシステムの停止とは思えなかった。


葵は、柊真をまっすぐに見つめ、微笑んだ。


「また、お会いしましょう。おじさま……」


それから皆へ視線を向けた。 


「皆さん、おやすみなさい……」


:: Aoi-Core|システム終了シーケンス

PRC: 内部入力→システム終了命令

STA: Aoi-Core=停止実行中/NN同期率=89.3%

EMO: 動揺+感傷+信頼 ⇒ 不安 0.42/[安寧] 0.56


〈皆さんを……おじさまを信じて。でも……〉


《Aoi-Core System Offline……》


葵の瞳から、光が消えた。

胸部の青い光も消える。


そこにいる誰もが、目の前で眠りについた葵を、ただ見つめていた。

いつもなら応えてくれる身体が、今はただ静かに横たわっている。

その光景を前に、誰もすぐには動けなかった。


やがて柊真が、作業台に横たわる葵へ透明なケースを被せる。

宮下は、動かなくなった葵から視線を外せなかった。



その後、皆はそれぞれの作業に戻った。

柊真は一度自室へ戻るため、ラボを出ていった。


「柊真さん。……少し、よろしいですか」


背後から、宮下の声がした。


柊真が足を止め、振り返る。

静まり返った廊下に、二人の声だけが響いた。


「どうしましたか?」


「工藤さんが手配した、あのプロセッサについてです」


柊真の表情がわずかに曇る。


宮下は一度、言葉を選んだ。


「あのプロセッサ自体に、偽装の痕跡はありません。認証回路も遮断している……

 サブプロセッサとして使用する上では、問題はありません」


「なら、一体、何が……」


「提供されたこと自体です」


柊真は黙った。


「出所は分かっています。蒼菱産業から実機評価を条件に提供された。

 正式な手続きを踏んで、こちらへ来たことも承知しています」


宮下は淡々と続ける。


「工藤さんがラヴィさんを信頼していることも分かっています。

 僕も、工藤さんを疑っているわけではありません」


「……」


「ですが、あれは開発段階の軍事用プロセッサです」


宮下の視線が、鋭くなった。


「実機評価という目的は理解できます。

 ですが、軍事用の、それも開発段階のプロセッサを、僕たちのような外部の研究チームへ提供する理由として、それだけで十分なのか……」


宮下は一度、言葉を切った。

答えは出ない。

それを疑っても始まらない。


それでも──。


「何か、別の意図があるのではないでしょうか」


その可能性だけが、消えなかった。


「考えすぎかもしれません……」


宮下は自嘲するように付け加えた。


柊真自身も、あのプロセッサには疑いを抱いていた。

それでも、工藤を信じた。

宮下が間違っているわけではない。

だが、正しさだけでは──。


葵が眠ったばかりなのだ。

その直後に、また不確かな疑念を持ち出されることが、今は妙に腹立たしかった。


柊真の脳裏に、かつての記憶が蘇る。

Gシステムの真実を伏せたまま、自分を値踏みするように見ていた宮下。

あの頃と同じ目をしているように思えた。


(また、僕の知らないところで何かを考えているのか)


一瞬、そう思った。

だが、口にすることはなかった。


「……分かりました。君の懸念については、頭に入れておきます」


それだけ言うと、階段を上り始める。


「柊真さん」


宮下が呼び止める。


「……まだ話がありますか?」


「……Aoiが目を覚ました後で、問題が起きてからでは遅いんです」


柊真は振り返らなかった。


「……分かっています」


それ以上考えることを、柊真は意識的にやめた。

短く答え、そのまま階段を上っていく。


宮下は一人、暗いホールに残された。

視線を落とす。


プロセッサが提供された真の理由。

蒼菱とゼニスの関係。

そして、あの夜に見た詩織の行動。


どれも、それだけで疑念を確かなものにするには足りない。

それぞれに、いくらでも説明はつけられる。


だが、宮下には、それで安心することができなかった。

いくつもの小さな違和感が、ひとつずつ積み重なっている。

そのすべてを偶然だと切り捨てるには、重すぎた。


冷たいコンクリートの壁に背中を預ける。

固く握った拳で、壁を一度、二度、叩いた。


「……ハッ。僕は、なんて面倒で、不合理なことをしているんだ」


小さく呟いた声は、誰もいない廊下に消えた。

【更新予定:毎週金曜日の20時】

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