↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第5章 変わる器、変わらぬ心
PR
69/78

68話 父たちの工房

厚い雪に覆われた山々の向こうに、淡い春の日差しが差し込んでいた。

遠くの稜線も、目の前に広がる原野も、まだ冬の色を残している。

それでも、季節は少しずつ動き始めていた。


柊真たちの研究所では、長い冬の終わりが近づいていた。


工藤から葵の新しい身体の設計方針が語られた翌日から、柊真たちは寝る間も惜しんで開発に没頭した。


設計を詰め、必要なものを洗い出す。手配した品が届けば加工へ回す。

準備から調達、加工まで、作業は並行して進められていった。


まず立ちはだかったのは、大量の資材調達だった。

しかも、今回必要とされるのは、通常の流通では手に入らない特殊なものばかりだった。


工藤のツテ、柊真の特許を利用したクロスライセンス契約、宮下が裏の市場から密かに調達したものまで、入手経路はさまざまだった。


研究所の存在そのものを隠している以上、すべてを一つの場所へ発送させるわけにはいかない。

それぞれの品は、市内の複数の配送拠点や、あらかじめ用意していた受け取り先へ分散して発送された。

小型、中型の荷物は、柊真たちがバンで何度も往復し、研究所へ運び込んだ。


梱包されたままの部材が、工作室の壁際に整然と積み上げられていった。


EV向けの試作ロットから融通された全固体電池。

航空機材の加工屋を通して切り出したCFRTPパネル。

衛星用冷却系のルートから回してもらったマイクロ流路ユニット。

そして、遠隔手術用ロボットアーム。


工藤は新しく届いた箱を一つずつ開けていく。

乾いた金属、樹脂、グリス──それぞれの匂いを嗅ぎ分けるように鼻を寄せると、手際よく部材を仕分け始めた。


「よし……これだけ揃えば、始められるな」


そう言って、工藤は作業台の上に改修図面を広げた。


「葵を停止させる時間は、極力短くしたい。まずはフレーム類の新造と今回入れ替えるパーツ類を組み込む。

 その後、今の葵の身体から必要なパーツを取り出して移植する」


工藤の声は低く、簡潔だった。

その言葉に、場の空気が引き締まる。


「図面に青で示した部分が、新造するフレームと交換する部品だ。

 柊真は俺の補助についてくれ」


「了解です」


柊真は作業着の上から白衣をまとい、図面を確かめた。


工藤は続けて、もう一方へ視線を向ける。


「宮下はセンサー類と制御系のユニット化、バッテリのバラシと実装を頼む。

 それが終わったら、統合の段取りを詰めておいてくれ」


「了解しました」


宮下の役目は、設計の合理化と、後に全体をひとつへまとめることだった。


工藤は柊真がチェックを終えた図面に目を通し、次の指示を出した。


「まずは骨格と構造をユニット化するためのフレームを制作する。俺が金属加工、柊真は樹脂系パーツを切り出してくれ」


柊真は手袋をはめ直し、頷いた。

作業台の上にCFRTPパネルを載せ、寸法線を指先でなぞる。


「胸部から始めるか……」


加工機が低く唸る。

成形済みのCFRTPシェルから、余分な外周部分が少しずつ切り落とされていく。

切削を終えると、柊真は切断面を確認し、図面と照らし合わせて寸法を測った。

硬く、それでいて軽い。厚みはわずかでも、手に伝わる感触は頼もしいほどしっかりしている。


位置をマーキングすると、今度は取り付け穴の加工に取りかかった。


「やるじゃねーか、柊真」


工藤は手際の良さに感心した。


「工藤さん、あの時ですよ。医療用アンドロイドを、工藤さんの会社とうちで共同開発したじゃないですか。

 人手が足りないからと、AI担当の僕らを借り出して……」


一瞬手を止めた工藤は、「ああ、あんときか」と呟いた。

不満の一つも漏らさず、黙々と作業していた当時の柊真を思い出す。


「加工までやらせちまって、悪かったな」


「あの時の経験がなければ、僕は完成品のアンドロイドしか知りませんでした。

 人間的な部分とそうではない部分……。人間を模して作っても、AIでは理解できないものがあると知りました」


柊真がAoi-Coreの開発において、ハードウェア──身体を重視した理由のひとつに、この経験があった。


工藤は、骨格の基礎となる背骨の制作にかかる。

強度と柔軟さ、そして排熱機能を兼ね備えるため、背骨の構造は極めて複雑だった。

組み上げる部品は、百を優に超えていた。


「さすがにこの数はつれぇな……」


手近にあったハンマーで肩を叩きながらぼやいた。

壁の時計に目をやると、十四時を回っていた。



数分後、工作室の重い扉が開いた。

ラボで葵の感情ラベルの再構成を進めていた詩織が、葵を伴って入ってきた。


「皆さん、お昼、まだですよね」


そう言うと、葵と一緒におにぎりを配り始める。


「しばらくの間、私と葵さんでお昼を作ります。新しいセンサー類が実装された後が、私の本番になりますから」


「ありがとな、詩織」


工藤は手を止め、差し出されたおにぎりを受け取る。

疲労の滲んだ顔に、笑みが浮かんだ。


「ありがとうございます」


宮下も作業台から顔を上げ、受け取った。


柊真が加工機を止め削りカスを払っていると、葵が少し緊張した様子で、お皿を持って歩み寄ってきた。


「……はい、おじさま」


:: Aoi-Core|対象観測処理

PRC: 視覚センサ → #柊真(表情観測)

STA: 応答評価=推論中/満足度予測=計算実行中

EMO: 信頼+注視+動揺 ⇒ 不安 0.68


〈おじさま、喜んでくれるかしら……〉


工藤たちに配ったものより一回り小ぶりなそれを、少し恥ずかしそうに渡す。

一つだけ、不格好な形のものがあった。


「ありがとう、葵」


「丸いのが梅干し、三角が鮭です。ちょっと崩れているのがおかかです」


柊真は、崩れそうなおにぎりをそっと持ち上げて頬張った。


「とってもおいしいよ、葵」


葵の表情が、ぱっと明るくなる。


「おにぎりを握るのは難しいです。具材をたくさん入れようとすると崩れやすくて……」


(それで……)と柊真は納得した。


「おかかは握るの難しいよね。具材を欲張ると崩れるし、醤油も垂れてくるし」


:: Aoi-Core|外部感情同調処理

PRC: 聴覚センサ → #柊真「発話内容」

STA: 経験ログの同期=完了/感情クラスタ=共鳴状態

EMO: 信頼+驚愕+[充足] ⇒ 歓喜 0.76


「そうなんですよ、おじさま。

 詩織さんに作ってもらったエプロン、醤油で汚してしまいました」


自分の失敗を、言葉にする前から理解してもらえた。

そのことが、葵の胸の中に温かな喜びとして広がっていく。



食事の片付けを済ませた詩織は、工作室へ戻ってきた。


「工藤さん、何かお手伝いできることはありませんか?」


「手伝ってくれるのか? じゃあ、これを頼む」


そう言って切り出した金属パーツと数本のヤスリを手渡し、手ほどきを始める。


「ここは力を入れすぎるな。削りすぎると寸法が狂う」


「はい」と小さく返事をして、詩織は教えられた通りにヤスリを動かしていく。


その手元を確認した工藤は、満足そうに頷いた。


「大丈夫そうだな。じゃあ、そのまま頼む」


そう言って、自分の持ち場へ戻った。


作業を続けていた詩織が、ふと疑問を投げかけた。


「工藤さん。背骨ですが、アルミをたくさん使っているんですね?

 てっきりチタンとか、強度のある素材を使うと思っていました」


「確かにその疑問は分かるぜ。チタンは強度も耐腐食性も高いからな。でも欠点もあるんだ」


詩織が素材の特性まで考えていることに、工藤は感心した。


「チタンは熱伝導率も放熱性も悪いんだ。背骨は身体を支える構造体であると同時に、放熱の役目も持たせてる。

 CFRTPは強度と軽さは抜群だが樹脂だからな。冷却のことを考えると全部ってわけにはいかねぇんだ」


詩織は工藤の説明をすぐに理解した。


「なるほど。だからアルミなんですね。軽くて、熱伝導率も高い。銅は重すぎますね」


「そうだな。熱伝導率は抜群だが、使いすぎると重くなる。

 だから重要な場所──プロセッサと接触するヒートパイプにだけ使う……あと、うなじの放熱フィンだな」


工藤は背骨のパーツを繋ぎ合わせながら、完成後の内部構造を頭の中で組み立てていた。


「工藤さん」


柊真が図面から顔を上げた。


「胸部ユニット、これだと少し狭くなりませんか?」


「新しい胸部は容積比で5%くらい狭くなる。全身を覆うセンサーネットと新しい皮膚で厚みが増えるからな」


工藤は補足する。


「だから、内部を立体的に使う。前にプロセッサ、背骨側に冷却、左右に処理系。

 詰め込むんじゃねぇ。メンテナンスしやすいように区画分けしてユニット化するんだ」


柊真は工藤の説明を聞き終えると、納得したように口元を引き締めた。

言われた通り、新フレーム、その胸郭内部の干渉箇所を削っていく。



一方、隣の工作台では宮下が全固体電池のケースを開けていた。

試作モジュールを分解し、セル単位で配置を最適化する必要がある。


「宮下、これが図面だ。バッテリの配置……重量バランスを考えればこんなもんだろ」


工藤が言うと、宮下は黙ってセルの配置図を見渡した。


「そうですね……悪くはないと思います」


「悪くねぇって……」


工藤が渋い顔を向けると、宮下はすでに重量計算を終え、各種ログを追っていた。


「分散配置するとなれば、セルだけでなく電力用や制御用ラインの重量も考慮する必要があります。

 これが新しい図面です。Aoiの動作パターンをシミュレートして、配置場所を最適化してあります」


「……可愛くねぇやつだな」


工藤は宮下の図面に従って、分解されたモジュールを新フレームの太腿側の仮枠へ置く。


「腰に二つ、大腿部に一つずつ、背中も二つ。微調整用のアジャスターをかませれば……」



やがて、工藤は遠隔手術用ロボットアームの箱にも手を伸ばした。

予備を含めて八本。ひとつひとつは精巧で、完成品として見れば十分に美しい。


だが──。


「やっぱり、パワーが足りねぇな……」


工藤はそう呟くと、ためらいなく分解を始めた。

内部のモーターを取り出し、用途ごとに分けていく。


繊細な動きが求められる指先には、この小型モーターの精度をそのまま活かす。

一方、パワーと強度が必要な肘や手首には、前腕側に配置した小型アクチュエーターから手首へ複数の人工腱を通して引く設計に変えた。


取り出した部品を新しい駆動ユニットへ組み替えていく。

フレームに固定した駆動ユニットと人工腱を接続し、位置を調整する。


露出した葵の腕には、細い人工腱が何本も走っていた。

前腕から手首を通り、手の甲へ伸びるもの。指一本ずつへ分かれ、関節を引くもの。

まるで人間の筋肉と腱を、そのまま機械に置き換えたような構造だった。


「これなら、繊細な動きと強度を両立できる」


工藤は組み上がりを確かめるため、電源をつないでモーターを低速で回した。


ウィーン──。


人工腱がわずかに引かれ、指先がピクリと動く。

工藤は腱の張りと動きを目で追い、引っ掛かりがないことを確認した。


「よし。次だ」

【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。