↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第5章 変わる器、変わらぬ心
PR
66/78

65話 技術者の約束

ギーッ──

工藤は工作室の重い防音扉を引いた。


「ん? 鳴いてるな……」


しゃがみ込んでレールへ溜まった切粉を指先で払い落とす。

工具箱からシリコンスプレーを取り出し、戸車にひと吹き。

扉を何度か往復させると、重かった動きはすっと軽くなった。


「こんなもんだな」


満足そうに腰のタオルで指を拭った。


工藤は、初めてこの研究所に足を踏み入れたときのことを思い出した。

無機質な工作機械が整然と並ぶ、真新しい白い空間。

数ヶ月かけて、自分の仕事がしやすい場所へ作り替えた。

今では皆に「工藤の根城」と呼ばれている。


油と金属、そして樹脂が熱で溶ける独特の匂い。

それは、この四年で工作室に染み付いた工藤の匂いでもあった。


常夜灯のオレンジ色の光が、静まり返った室内と工藤の背中を照らしていた。


「やっぱり、俺にはここが一番だ……」


工藤は換気窓のそばへ古びた椅子を引き寄せ、どかっと腰を下ろした。

何かを思い出したように工具箱の奥から一本の煙草を取り出し、ライターを鳴らすと、小さな炎が揺れて煙草の先が赤く染まる。

忘れていた苦味とともに、胸の奥へ沈めた記憶がよみがえった。


「ゴホッ……」


思わず軽く 咳き込む。

工藤は苦笑しながら煙を吐き出した。


「やっぱり、うまいもんじゃあねぇな……」


その時だった。

鉄扉が重々しく開く。


「工藤さん……」


柊真だった。

談話室での様子が気になって追いかけてきたのだ。


振り返りもせず、肩越しに言った。


「どうした」


「工藤さん、お煙草……吸うんですね」


「いや、辞めてた」


工藤は煙草を見つめ、力なく笑う。


「子どもが生まれるときにな……

 かみさんにひどく嫌がられて、それっきりだ」


そう言うと、つけたばかりの煙草を空き缶へ押し付けた。

部屋には焦げた煙草の匂いだけが残る。


「……さっきの話か?」


柊真は静かに頷いた。


「はい。葵のプロセッサ、工藤さんの『当て』というのが気になりました」


工藤は腕を組み、しばらく黙っていた。

やがて重い口を開く。


「軍事用なら、手配できるかもしれねぇ」


その一言に、柊真の表情が大きく強張る。


工藤は窓の外へ目を向けたまま続けた。


「俺が医療や介護向けのヒューマノイドを作るようになったきっかけは、義肢の開発だ」


少しだけ遠い目になる。


「その前はな……民間向けの犬型や飛行型ドローンを作ってた」


そこで言葉が止まる。

柊真は工藤の言葉を待った。


「……事故があってよ。

 警備中だった犬型ドローンが、近づいたガキを襲っちまった」


柊真は息を呑む。


工藤は目を伏せたまま続ける。


「……腕を一本、持っていかれた」


その短い言葉だけで十分だった。


「それで、せめてもの罪滅ぼしにってな。

 義肢を開発する会社へ転職した」


工藤は苦く笑う。


「だが皮肉なもんだ。義肢ってのは、失ったものを補うためだけじゃねぇ。

 もっと頑丈な身体。壊れても動き続ける身体をってな。

 そういう軍事用途にも転用されていった」


柊真は黙って聞いていた。

工藤の歩んできた道の重さを、今さらながら知る。


「だから、そっち方面にツテがあるんだ」


短く、それだけ言った。


柊真はゆっくり頷く。


「……工藤さんが葵の身体を作るとき、あんなに慎重だった理由が……分かった気がします」


工藤は驚いたように柊真を見る。

一瞬の沈黙。

やがて照れ隠しのように鼻を鳴らした。


「理屈じゃねぇよ。ただ……二度とヘマはしたくねぇってだけだ」


そう言って、工藤はちらりと柊真の身体に視線を向けた。


「……おめぇには怪我させちまったがな」


「いえ、あれは僕の……」


柊真が言葉を重ねようとすると、工藤はそれを制するように軽く手を振った。


その横顔はどこか穏やかだった。

しばらくして工藤は立ち上がる。


「蒼菱産業って知ってるか?」


柊真は表情を引き締めた。


「もちろんです。

 鉛筆から航空宇宙、防衛にいたるまで、圧倒的な事業規模と技術力を誇る日本有数の企業です。

 近年では軍事産業への積極的な進出が、度々議論の的に……」


工藤は、作業台に置かれた腕のパーツを持ち上げると、続けた。


「義肢メーカーにいた頃、共同開発してた相手が蒼菱産業だった。

 昔、付き合いのあったイスラエル支社が、軍事用の試作品を開発してるって噂を聞いたことがある」


蒼菱産業ほどの企業と共同開発をしていたという事実に、柊真は、工藤の歩んできた技術者としての重みを改めて感じていた。

当人は、大したことでもないという顔で腕のパーツを棚へ戻すと、代わりに埃をかぶった通信端末を取り出した。


「開発部長はラヴィって男だ。自分の技術が試されるなら、相手が誰だろうと気にしねぇ変わり者でな」


工藤は端末を机へ置き、壁の時計を見た。


「あっちは……夕方頃か」


電源を入れ、海外回線へ接続する。

呼び出し音が数回響いたあと、画面が切り替わった。

映し出されたのは、日に焼けた額、深く刻まれた皺、そして猛禽のような鋭い眼光を持つ男。

蒼菱産業イスラエル支社 開発部長──ラヴィだった。


「よお、ラヴィ。元気にやってたか」


「久しいな工藤。まだ現場にしがみついているのか」


流暢な日本語だった。

画面の向こうでラヴィがニヤリと眉を上げた。


「現場しかできねぇ」


工藤も皮肉な笑みを浮かべる。


「相変わらずだ」


「お前もな」


他愛もない近況を交わすうち、互いの距離はすぐに昔へ戻っていた。

ラヴィは工藤の性格を知り尽くしたように口を開く。


「何か用があるんだろ?」


工藤は真っ直ぐ画面を見つめ、声を落とす。


「ラヴィ、頼みがある」


ラヴィの表情から笑みが消えた。


「お前たちが作っている軍事用プロセッサ……一枚、譲ってくれ」


ラヴィの目が細くなる。


「どこからその情報を……正気か?

 あれはまだ機密扱いだ」


工藤は小さく首を振り、工具傷の絶えない自分の掌をカメラへ向けた。


「俺が使うのは戦場じゃねぇ。ある一体の機体に、最高の『心』を与えるためだ」


通信の向こうで、数秒の沈黙が流れる。

やがてラヴィは苦笑し口元を綻ばせた。


「心、か……。

 相変わらずだな」


呆れたように息を吐く。


「お前がそこまで言う理由は分かった。

 だが……さすがに俺一人の独断では決められん」


工藤は無言で受け止めた。


「正式な手順を踏む。返事は明日だ」


「助かる。待ってる」


ぷつりと通信が切れた。



──翌日の夕方。


工作室に通信端末の着信音が響いた。

画面に映ったラヴィは、昨日より幾分疲れた顔をしている。


「待たせたな」


工藤は何も言わず、ただ画面を見つめて続きを待った。


「許可は下りた」


工藤の表情がわずかに動く。


「条件がある。欠点も含めて、ありのまま評価を返せ」


「……」


工藤はすぐには答えられなかった。


葵の重要な開発データをGFへ提供せざるを得なかった記憶が、脳裏をよぎる。

ラヴィが求めるのは純粋な技術評価だ。だが、柊真や宮下は快く思わないだろう……


ラヴィは画面越しに両手のひらを軽く上へ向けてみせた。


「俺も兵器なんぞに興味はない。自分の作った技術がどこまで通用するかを知りたいだけだ」


しばし間を置いて、工藤はラヴィを見据えると、一度だけ首を縦に振った。


「……相変わらずだな。約束する」


ラヴィも満足そうに頷き返した。


「受け渡し場所と時間は、あとで暗号化して送る」


通信が切れる。



──三日後の早朝。


工藤はいつもの作業着ではなく、少しだけ整ったジャケットに厚手のコートを羽織っていた。

作業場の灯りを落とし、雪の中に半ば埋もれた研究所をあとにした。


研究所を発って約三時間。

頭上を旅客機が低く横切る湾岸地帯へ入り、工藤は空港近くの港湾倉庫へ車を走らせていた。

人影のない埠頭にはコンテナが規則正しく積み上げられ、夜の海風が潮と鉄の冷たい匂いを運んでくる。


倉庫脇へ車を滑り込ませ、エンジンを切った。

ダッシュボードの時計を見る。

午後十一時四十八分。


「F23……ここだな」


ぽつりと呟き、コートの襟を立てて外へ出る。

吐く息は白く、波の音だけが埠頭を満たしていた。


しばらくすると、黒いタクシーが倉庫前へ静かに停まった。

後部座席から、一人の男が降り立つ。

フードを目深に被り、 右手には重そうなジュラルミンケースを提げていた。

テルアビブからの深夜便で到着したばかりのラヴィだった。


工藤は口元を緩める。


「早かったな、ラヴィ」


「待たせるのは嫌いなんでな」


二人は無言で手を伸ばし、固く握手を交わした。

昔と変わらない、無骨で力強い握り方だった。

ラヴィはケースを軽く持ち上げてみせる。


「見た目以上に重いぞ」


「お前んとこの技術は、いつもそうだ」


二人は顔を見合わせ、短く笑った。


ラヴィが入口の認証装置へカードキーをかざす。

──ピッ。

無機質な電子音とともにランプが緑へ変わり、数秒遅れて電磁錠が解除された。

ギィ、と軋みを上げながら倉庫の重厚な扉が開く。


「警備はいねぇのか」


ラヴィは天井のフレームへ視線を向けた。


「夜は……あいつらが見張ってる」


工藤もつられて見上げる。

高所の鉄骨には、数機の黒いカラス型ドローンが羽を休めていた。

赤く灯る小さな光学センサーが、無機質に二人を追っている。


冷たい照明だけが灯る薄暗い廊下を進み、突き当りの保管室へ入る。

中央の金属製テーブルへ、ラヴィはジュラルミンケースをそっと置いた。

硬質な金属音が、静まり返った空間に低く響く。


ラヴィがダイヤルロックを解除し、慎重に蓋を開けた。

黒い緩衝材の中央に収められているのは、一枚の大型プロセッサ。

天井の光を反射し、精巧な金の配線が鈍く妖しい光を放っていた。


工藤は思わず息を呑む。


「……これが」


「評価試験中の試作機だ。まだ正式採用も型番も決まっていない」


工藤はケースの中を見つめたまま、ゆっくりと息を吐き出し、掠れた声で漏らした。


「……借りができたな」


「借りじゃない」


ラヴィは即座に首を振り、工藤を真っ直ぐ見据えた。


「俺は、自分の技術を信じている。お前の腕もな。

 ……約束どおり、評価だけ寄越せ」


工藤はプロセッサへ視線を落とし、力強く頷く。


「……約束する」


「…………工藤」


ラヴィが不意に、低い声で名を呼んだ。


「なんだ」


工藤が顔を上げると、ラヴィは何かを言いかけるように口を開き──だが、すぐに諦めたように視線を外した。


「……いや、なんでもない」


何かを言い残したように、ラヴィはケースの蓋を静かに閉じた。


「お前は昔から、余計なことは話さねぇ男だったよな」


「そうだったな……」


ラヴィは自嘲気味に笑った。


それ以上、二人は多くを語らなかった。

長い歳月をともに現場で過ごしてきた。

交わした言葉の数よりも、背負ってきた時間の方が遥かに長い。


工藤はケースをしっかりと抱え上げた。

その重みは、単なる金属の重量だけではなかった。


保管室を出て倉庫を去ろうとする工藤の背中へ、ラヴィが声を掛ける。


「工藤」


「なんだ。今さら返せって言われても困るぞ」


「……大事に使えよ」


工藤は振り返らず足だけを止めた。


「あたりめぇだ」


コートのポケットに手を突っ込み、満足そうに頬を緩めた。


「娘に使う」


後ろで、ラヴィが息を吐くように小さく笑った気配がした。


工藤はジュラルミンケースを助手席に慎重に置き、車に乗り込んだ。

窓を開けると軽く手を上げ、そのまま夜の埠頭をあとにする。


……その時。


コンテナの影から、一羽の黒いカラス型ドローン──レイヴンが音もなく飛び立った。

ラヴィは一人、夜空へ消えていくその黒いシルエットを一瞬だけ見上げる。


やがて胸ポケットから煙草を一本取り出し、慣れた手つきで火をつけた。

紫煙を静かに吐き出しながら、遠ざかっていく工藤のテールランプを黙って見送る。


その横顔には、誰にも読み取れない複雑な色が浮かんでいた。

港湾倉庫には、波の音と煙草の煙だけが、夜の海風にゆっくりと溶けていった。

【更新予定:毎週金曜日の20時】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。