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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第5章 変わる器、変わらぬ心
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64話 娘のための設計図2

工藤はビールを飲み干すと、新しい缶を開けた。

ぷしっ、と小気味よい音が談話室へ響く。


「サブプロセッサがセンサー情報を専属で処理するってんなら、見直すべきは触覚センサーだ」


工藤は葵の腕を軽く指差す。


葵は確かめるように指先を自分の頬に当てる。

柔らかな感触が指先と頬へ同時に返ってきた。


触れられた場所だけではない。

柊真に頭を撫でられた時の温もり、手を握られた時の安心感。

そうした感覚は、その瞬間の状況や相手と結び付き、Aoi-Coreの中で感情として意味付けられていく。


「今までは主要部だけだったが、外装とシリコン皮膚の間にマイクロセンサーをネット状に敷き詰める。

 頭の先から足先まで、全身だ 」


柊真も納得したように目を細める。


「全身を一枚の皮膚として扱えるわけですね」


「ああ。圧力も、撫でられた方向も、接触面積も、今より細かく分かるようになる。

 一様なセンサーじゃねぇ。指先や顔は高密度、それ以外は部位ごとに人間と同じ感度へ最適化する」


葵は自分の手の甲へ、指先を滑らせた。


(もっと……感じられる)


その小さな仕草に、詩織は優しく微笑む。


「そうなれば、感情との連携もさらに深くできます」


皆の視線が詩織へ向く。


「今までは『嬉しい』『悲しい』のような比較的単純な感情が中心でした。

 でも、もっと細かな感情や、複数の感情が重なった状態まで扱えるようになると思います」


柊真も頷く。


「感覚情報が増えれば、それだけ感情の解像度も上がりますからね」


「そういうことです」


詩織の表情がやわらぐ。


葵はその会話を聞きながら、そっと胸へ手を当てる。


(もっと、みんなと同じように……)


そんな未来を想像しているようだった。


工藤は新しく開けた缶を一口飲む。


「あと重要なのは肌だ」


そう言って、葵の白い腕へ目を向けた。


「外装素材は、今のシリコン皮膚から自己修復シリコーンエラストマーへ変更する」


宮下が補足する。


「微細な傷なら自然に修復できます」


「そうだ」


工藤は即座に肯定した。


「多少の擦り傷や切り傷なら、時間が経てば目立たなくなる」


葵は、自分の身体が多くの人の手で守られていることを実感した。

そのことが嬉しかった。


工藤は続ける。


「それだけじゃねぇ。

 今のシリコン樹脂は紫外線に弱い。黄ばんだり、ひび割れたりする。

 葵が気に入ってる窓辺の席──午前中は直射日光が差し込むからな」


工藤は缶ビールを握る手にわずかに力を込める。


「こいつの綺麗な白い肌は……俺たちが守ってやらなきゃならねぇだろ」


その声は優しく、どこか誇らしげだった。


隣で聞いていた詩織が、ふっと笑みを漏らす。


「ふふっ」


工藤が眉をひそめた。


「なんだよ」


詩織は肩を揺らしながら笑う。


「工藤さん。まるで娘の日焼けを心配する、お父さんみたいですね」


談話室の笑い声が消えた。


「なっ……!」


工藤の耳まで真っ赤になる。


「ば、馬鹿野郎!」


工藤は勢いよく立ち上がりかけた。


「これは技術的な問題の話だ!

 性能維持のためだ!

 紫外線劣化の話をしてんだよ!」


必死に言い返す工藤。

しかし、その慌てぶりは、詩織の言葉が図星だったことを何より雄弁に物語っていた。


「ふふふ……」


詩織は笑いを堪えきれない。

柊真も思わず吹き出す。

宮下は珍しく口元を緩めていた。


葵だけは少し首を傾げる。


「工藤さんは……私のお父さん、なのですか?」


その無垢な一言で、談話室はさらに大きな笑いに包まれた。

工藤は頭を抱える。


「違ぇ!

 ……いや、違わねぇけど違ぇ!」


言い直した瞬間、自分でも何を言っているのか分からなくなり、さらに皆の笑い声が大きくなる。

葵も理由はよく分からないまま、皆につられるように微笑んでいた。


その笑顔を見た工藤は、小さくため息をつく。


「……ったく」


照れ隠しのように頭を掻きながら、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。


「綺麗なままでいてくれりゃ、それでいいんだよ」


その呟きは、小さすぎて誰の耳にも届かなかった。



詩織は笑いながらカセットコンロの火を消し、代わりに冷やしたトマトとイチゴの皿をテーブルの真ん中へ置いた。

工藤は「うるせぇ」と悪態をつきながらも、真っ赤な顔のままトマトを一つ口に放り込み、無骨に噛み潰す。


鍋から立ち上る湯気は、少しずつ薄くなっていった。

柊真が口直しにイチゴへ手を伸ばすのを見届けながら、工藤は手元のビールをぐっと煽った。


「……さて」


少しだけ表情を引き締める。


「一番厄介なのが冷却だ」


その一言で、談話室の空気が再び技術者たちのものへ戻った。


「今の冷却方式じゃ限界だ。高負荷になれば熱暴走は避けられねぇ」


柊真も苦笑する。


「通常時は問題ありません。でも、高負荷になると冷却が追いつきませんでした」


「ああ」


工藤は短く応じる。


「だから今回は、熱を一か所へ集めて冷やす考え方をやめる」


葵は真剣な表情で工藤を見つめていた。


工藤はテーブルの上に指で簡単な図を描くように説明を始めた。


「発汗による補助冷却は、そのまま使う。

 アクチュエータの熱は、それぞれ近くの外装へ逃がす。

 冷却液と汗の気化熱を利用して、その場で冷やすんだ」


宮下が言葉を添える。


「熱を運ぶより、熱源の近くで処理する方が効率的ですね」


「そういうことだ」


工藤は指先でテーブルを軽く叩いた。


「だが、問題は一番熱を出すプロセッサだ。この方法は使えねぇ」


柊真も真剣な表情になる。


「冷却液とヒートシンク、ファンでは今が限界です」


工藤は頷く。


「今、考えているのはマイクロ流路を使った液冷ユニットだ。

 衛星の冷却にも使われてるくらい冷却効率がいい。冷媒を背骨まで循環させて熱を逃がす」


葵は思わず背筋を伸ばした。


「背骨にも役割があるのですね」


「ある」


工藤の口元が緩む。


「骨格として使うだけじゃねぇ。背骨そのものを放熱器として使う。

 外装が薄いから熱を逃がしやすい」


「それでも足りない分は?」


柊真が尋ねる。


「従来どおり、首のスリットから排熱する。

 必要ならファンも併用だ」


宮下は少しだけ考え込んだ。


「……冷やし切れるかどうかは怪しいですね」


工藤は迷わず答えた。


「音を立てずに強制排熱して、人肌程度の温度を維持する。

 そんな都合のいい冷却なんざ、今のロボット工学じゃ無理だ。

 ……だから目標は、現状と同じくらい自然に見えること。

 それ以上は欲張らねぇ」


詩織は少し考え込んでから口を開いた。


「でも……」


全員が詩織の言葉を待った。


「葵さんの心が安定すれば、プロセッサの発熱自体も減るんじゃないでしょうか」


葵も静かに耳を傾けている。


その問いに、柊真はすぐには答えなかった。

手元のお猪口を見つめながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「確かに、一理あります。

 でも、心の安定と、思考の負荷は別なんです」


詩織は納得しきれない様子で、続きを促すように柊真を見つめた。


柊真はゆっくりと言葉を継ぐ。


「心を落ち着かせるために、人は考えます。悩み、整理し、自分を納得させようとする。

 その思考自体は、とても複雑です」


宮下は内容を整理するように口を開く。


「つまり、心が落ち着いていても、プロセッサは高負荷で動いている可能性があると?」


「そうです」


柊真は苦笑する。


「人間も、一晩中考え事をして眠れなくなることがありますよね。

 あれと少し似ています」


「なるほど……」


詩織は納得したように息をついた。


そこで工藤が腕を組む。


「だが、一番厄介なのは、プロセッサの熱暴走を予見して、自分で思考を止めちまうってことだ。

 システムの強制シャットダウン──そんな機能、俺は聞いてねぇ」


談話室の空気が張り詰める。

緊張を解くように柊真は葵に柔らかな表情を向けた。


「工藤さん、あれは僕が実装した安全機能ではありません。

 Aoi-Core──葵自身が、自己保存を目的として導き出した推論です。

 仕様ではなく、成長の過程で獲得した判断なんです」


葵は静かに聞き入っていた。

否定も肯定もしない。ただ、自分のこととして受け止めていた。


柊真は続けた。


「デュアルプロセッサ化すれば、思考専用プロセッサには余裕が生まれます。

 ですが、Aoi-Coreが獲得したその判断基準が、変わるわけではありません。

 Aoi-Coreに高負荷な状態が続けば、同じ状況は十分起こり得ます」


葵はそっと胸元へ視線を落とす。


(私の心……)


今、皆が議論しているのは機械ではない。

自分という存在そのものだった。

葵は喉が乾くのを感じ、自分の水筒からアクア・セルラを一口飲んだ。



談話室の窓の向こうには、暗い森が広がり、灯りに照らされた白い雪が静かに輝いていた。

工藤は空になった器を少し脇へ押しやりながら言った。


「長くなっちまったが……最後はサブプロセッサだ」


その言葉に、宮下が反応する。


「サブプロセッサの処理自体は単純です。

 しかし、葵の全身から流れ込む膨大な感覚情報を、遅延なく同期・統合し続ける必要があります」


葵は自分の両手を見つめる。

触覚、視覚、聴覚、平衡感覚──。

身体のあらゆる場所から、今この瞬間も膨大な情報が流れ続けている。


宮下は続けた。


「葵のセンサー類のアップデートも考慮すると、サブプロセッサに求める性能は極めて高い。

 一般的な演算装置とは比較にならないリアルタイム並列処理能力。そして、それを支える広大なメモリ帯域が必要になります」


工藤が腕を組む。


「そんな化け物みてぇなプロセッサ、市場にあるのか?」


宮下は視線を落とした。


「市販品では、まず無理です」


談話室が静まり返る。


「僕の知る限り、条件を満たせる可能性があるのは──

 航空宇宙用……あるいは軍事用途の特殊プロセッサだけでしょう」


「……軍事用途か」と工藤が小さく呟く。


柊真は無意識に腕を組む。

詩織は困ったように息を吐く一方で、宮下自身も、それ以上の案を持ってはいなかった。


重い沈黙が流れる。

その時だった。


「……あてがある」


工藤の低く響く声が、その沈黙を破った。

腕を組んだまま、ゆっくり顔を上げる。


「昔、仕事でな」


その目には、先ほどまでとは違う色が宿っていた。


「ちょいと厄介なやつと付き合いがあった」


工藤は意味ありげに口元だけを笑わせる。


「そいつからなら、手に入るかもしれねぇ」


その場の空気が変わる。


柊真は言葉を選ぶように尋ねた。


「工藤さん……

 その『あて』というのは――」


工藤はすぐには答えなかった。

空になったビール缶を軽く潰し、テーブルへ置く。


「その話は、長くなる」


そう言って立ち上がる。


「美味かったぜ、詩織。

 今日はここまでにしよう」


葵はそんな工藤を見上げながら、小さく首を傾げていた。

誰も知らない工藤の過去が、ゆっくりと動き始めようとしていた。

【更新予定:毎週金曜日の20時】

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