4話 詩織との出会い
そんな研究室の空気の中で、一人だけ、柔らかいまなざしの学生がいた。
木佐詩織。
知的な瞳を縁取るクラシカルなダークレッドのフレームが印象的だった。
一回り近く年の離れた詩織は、他の学生よりも対応が大人びており、仕事も早く、その優秀さには目を見張るものがあった。
柊真が三日を想定して依頼した資料の取りまとめを、彼女はわずか一日で完璧に仕上げてしまうほどだった。
最初こそ、柊真の前では少し硬く、研究者としての立場を弁えているかのような彼女だったが、次第にその緊張が緩み、年相応の表情を見せるようになった。
はにかむような微笑や、照れを隠すように赤い縁を押し上げる仕草に、柊真は研究者としての彼女だけでなく、一人の女性としての魅力を感じ始めていた。
詩織と二人で研究に取り組むことが増えるにつれて、自然と会話の機会も増えていった。
時には遅い昼食を一緒に取ったり、広大な図書館の書架の間を縫うように、共に資料を探し歩くこともあった。
ある日、図書館からの帰り道。
長い廊下を歩きながら、詩織はふと立ち止まった。
「先生……強い人って、どう思いますか?」
唐突な質問だった。
「強さには、いろいろあります。
弱さを隠すための強さもあれば、誰かのための強さもある」
詩織は言葉を飲み込むように、手元のファイルをぎゅっと抱えた。
「……私、強くないんです。
でも、強くないといけない気がして」
振り返ったときの瞳は、ほんの一瞬だけ、泣きそうに揺れていた。
柊真は、その揺らぎから目をそらせなかった。
彼女だけが、柊真のAIに宿る「優しさ」を真っ直ぐに評価していた。
「柊真先生のAIは、優しいですね」
その一言が、教授の圧力で乾いていた心に、小さな温度を戻してくれた。
詩織は、柊真の研究テーマ──
『認知症患者の孤独感を軽減する対話AI』
についても深い興味を示していた。
ある夕方。
二人で医療機関との打ち合わせ資料を整理していたとき、詩織は患者のフィードバック欄に目を留めた。
「……『話しやすい』って、こんなに何度も書かれていますね」
「ええ。とても小さな変化ですが、人にとっては大切なことです」
「分かります。
『理解されている』って感じられるだけで、人はずいぶん救われるものですよね」
その言葉は、柊真の胸の、一番弱い場所に静かに触れた。
彼女は続けて、少し恥ずかしそうに笑った。
「……私も、救われたことがあります。
先生の言葉に」
笑顔は柔らかく、どこか壊れやすい光を宿していた。
微かなその光に、柊真は「誰かを守る」という感情を強く意識するようになっていった。
ある日、詩織が柊真のデスクに手作りのお弁当をそっと差し出した。
「一人暮らしで、ちゃんと食べてないと思って……
迷惑じゃなければ」
柊真は一瞬驚きながらも、照れたように微笑んで受け取った。
「ありがとう、嬉しいです」
柊真自身も、詩織に対して抱く感情が単なる同僚以上であることを、うすうす自覚していた。だが、自分の立場や年齢差、そして研究という重責の前に、その想いを押し込めていた。
詩織もまた、彼のそんな躊躇いに気づいていたのか、その気持ちを明確に言葉にすることはなかった。




