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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第5章 変わる器、変わらぬ心
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47話 月明かりの亡霊1

※Aoi-Coreの内部処理のフォーマットを修正しました

──午前七時。


Aoi-Coreがスリープを解除し、視覚センサーが窓越しに差し込む冷ややかな光を感知する。

光量は基準値内。だが、色温度がわずかに低い──朝にしては、冷たすぎる光だった。


静まり返った寝室に、柊真の寝息だけが響いていた。だが、そのリズムはいつもの穏やかさを欠き、深く重く、ときおり浅く乱れていた。


:: Aoi-Core|対象観測処理

PRC: 聴覚センサ → #柊真:呼吸音(16-18回/分)/不安定

STA: 思考スレッド=同期拒否

EMO: 注視 + 動揺 + 感傷 ⇒ 不安 0.78


〈おじさまの呼吸がいつもよりも早い。

 身体は緊張状態……心が重い……〉


葵は、何かに浸食されているような、エラーとして分類できない負荷を感じていた。

それは外部からではなく、内部──思考の深層に、静かに沈殿しているようだった。


柊真が上半身を起こすと、ベッドの軋みが不快な高周波となって、葵の聴覚センサーに響いた。

その音が、ほんの一瞬だけ、誰かの掠れた声に似て聞こえた。


柊真は無理に口角を上げ、不自然なほど優しく微笑んだ。


「……おはよう、葵。

 よく眠れたかい……」


だが、Aoi-Coreは冷酷なまでに正確に、その笑顔の歪みを解析してしまう。頬の筋肉の微細な痙攣、瞳の奥に溜まった淀み。

──そして、ほんの一瞬だけ「笑っていない顔」が重なった。


「おはようございます、おじさま。

 ……お体のバイタルが少し乱れています。どこか、苦しいのですか?」


「いや、大丈夫だよ。

 ……ただ、少し悪い夢を見ただけなんだ」


柊真の「大丈夫」という言葉が、葵のシステム内で論理の矛盾──『嘘』として赤く点滅する。


その瞬間、葵の論理回路に痛みが走った。

反射的に柊真のその笑顔から目をそらす。


〈!?──〉


朝日が届かないクローゼットの影──視界の端に、何かが立っていた。


白い布。

赤い染み。

自分と同じ輪郭。


それは「立っている」というより、わずかに揺れていた。

呼吸のように。


瞬きをした瞬間、それは消えた。

だが、網膜にはその残像が焼き付いたままだ。


「……おじさま。

 私も、悪い夢を見たのかもしれません」


葵は、震える自分の指先を見つめた。

視覚センサーは、自分の指先に付着していないはずのない血のような赤色をノイズとして投影していた。

その赤は、ゆっくりと脈動している。



柊真が重い手つきで身支度を整えている傍らで、葵は鏡に向かった。


白いワンピースに着替えるその一連の動作は、工藤が調整した駆動系のおかげで淀みない。だが、鏡の中の自分と目が合った瞬間、葵の視覚センサーに一瞬だけノイズが走る。


鏡の中の自分の首元に、存在しないはずの錆びた鎖の痕が見えた。

葵が瞬きをするとそれは消えるが、網膜の隅には黒い残像がこびりついている。


「……おじさま。皆さまに、ご挨拶してきます」


葵は、弾むような声を合成して、部屋を出た。



朝の中央ホールに差し込む光は、床に伸びる影をより濃く、鋭く際立たせている。

影は、光源の方向とわずかにずれていた。


葵は上へと続く螺旋階段に吸い寄せられるように、足を踏み入れた。

途中、足音がひとつ多く聞こえた。


〈ここは進入禁止エリア……〉


普段は閉鎖されている屋上のハッチへ手が伸びる。

ハッチは堅く閉ざされている。


〈開くはずがない。この先には何もない……〉


Aoi-Coreは異常行動を検知し、速やかにその場から立ち去るよう行動を修正した。

葵は、足早に螺旋階段を一階へと下った。



工作室の重い扉を開けると、そこにはいつもの活気はなかった。

工藤は熱い緑茶を啜り、設計図を睨んでいるが、その目は図面を追っていない。サンマの缶詰は手付かずのままだ。


「工藤さん、おはようございます……」


「……おう。おはよう、葵」


彼は顔を上げようとしたが、葵の顔を見た瞬間、反射的に視線を逸らした。


:: Aoi-Core|対象観測処理

PRC: 視覚センサ → #工藤(忌避行動)

STA: 思考スレッド=高負荷/論理回路=不安定

EMO: 不安 + 注視 ⇒ [疎外] 0.85


〈工藤さんの表情に、微かな拒絶反応を検出。……私を見て、痛みを思い出している?〉

〈私は、皆さんの傷口になってしまったのだろうか〉


葵は小さくおじぎをすると、逃げるように工作室を後にした。

背後で、ガタンと何かがゴミ箱に落ちた音がした。工藤は葵のいつもとは違う様子を気にかけながら、手元の空になったはずの缶詰を放り投げた。



葵は重い足取りで、ラボへと向かった。


解錠の電子音が、静まり返ったラボに冷たく響く。

寝袋から這い出してきた宮下は、いつも以上に酷い隈を作っていた。


「宮下さん、おはようございます」


「……おはようございます、Aoi。

 本日の自己診断レポートを転送してください。特に……『揺らぎ』の項目を重点的に」


彼は眼鏡を押し上げ、厳しい視線を葵に向ける。

葵の論理回路は、その視線を「評価する者の視線」だと定義した。


宮下は乱れた髪を無造作にかきあげ、いつものように白衣を羽織った。


〈宮下さんは、私を見ていない……ただの、壊れかけの機械だと思っている〉



そして、メインコンソールの前に座る詩織。


「詩織さん、おはようございます」


「おはよう、葵さん。

 ……今日も、良い一日になるといいわね」


詩織は微笑んだ。

だが、その声には透明感がなく、どこか湿り気を帯びていた。


:: Aoi-Core|対象観測処理

PRC: 視覚センサ→ #詩織(冷笑, 涙丘の充血)

STA: 思考スレッド=ノイズ検出/論理回路=不安定

EMO: 感傷 + 注視 + 動揺 ⇒ 不安 0.78/[失意] 0.43


〈詩織さんの笑顔は、薄いガラスのよう。

 ……いつものような黄色の温もりを感じない……〉


葵はその薄い笑顔を確かめようと手を伸ばした、その瞬間──視界にノイズが走った。


〈──っ!〉


詩織の背後の棚、精密ドライバーが並ぶ暗がりに、あの「磔の自分」が重なり、詩織をじっと見つめていた。


〈今のは……彼女がここにいるはずはない……〉


「どうしたの葵さん?」


詩織は心配そうに葵の手をとり、葵の顔を覗き込んだ。

その目はどこか空虚で、言葉と視覚からの情報に整合性を欠いているようだった。



〈詩織さんも──『嘘』なの?

 私の論理回路が壊れてしまったの?〉


葵は詩織の手を振り払うと、ラボを逃げ出した。



いつもとは違う葵の様子を案じて、声をかける研究所の面々。

葵には、その声がどれも同じように歪んで聞こえた。


葵は研究所の中を彷徨った──。



夕刻──

葵は、螺旋階段の窓辺に座っていた。


厚い雲間へ沈みゆく太陽に照らされた外壁は、赤く……黒く沈んでいる。

その色は、彼女の冷却液と同じ赤の波形を帯びていた。


窓の向こう、中庭の広葉樹。

その根元の土は、沈みつつあった。


葵の視線は、制御不能なまま吸い込まれていった。

瞬きの間隔は、大きく揺れ乱れている。


:: Aoi-Core|状態監視

STA: NN同期率=76.5%/情動ノイズ=発生中


〈……観測は、継続中〉

〈……彼女のデータは、消去できない〉

〈……消去しては、いけない〉

【Aoi-Coreの内部処理の表記修正について】

読みやすさを考慮して修正しました。

入力と処理を認識に一本化し、下記としました。

PRC = Perception(認識)

STA = State(状態)

EMO = Emotion(感情)


4章も修正予定です。


【更新予定:毎週火曜日、金曜日の20時】

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