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記憶体:葵 ―祈りのプロトコル―  作者: 玄乃. L
第4章 葵 起動=誕生
47/54

46話 月明かりの葵と嘘

工藤は、工作室の壁に力なく寄りかかる葵へ歩み寄った。

主人を守るように、その傍らに座り込むレインを、そっと横へ寄せる。

レインは不満そうに、小さく唸る。


宮下は端末を手にしたまま、わずかに遅れて入室した。

状況を一瞥し、無言で壁際に立つと、全周防衛システムの監視を開始する。


「……外部からの干渉はありません」


短く告げると、わずかに言葉を継いだ。


「警告……だと思われます」


柊真は「分かった……」とだけ呟き、葵に駆け寄った。

葵の額には細かな汗が滲み、白銀の髪が肌に張り付いている。


柊真は葵の頬に手を当てた。


「……熱い」


システムが強制停止した代償として、内部の熱は行き場を失い滞留し続けている。


柊真は彼女の髪を素早く束ね、頸椎部のメンテナンスポートへ端末を接続した。

焦る気持ちのまま、端末に素早くコマンドを打ち込む。


[Aoi-Core Link: ONLINE]

> Access request: Touma (root)

>> CRITICAL: Root access denied.

[Aoi-Core]: Emergency Protection Mode active.


「……拒否?

 rootでも……僕でもダメなのか?」


Aoi-Coreはシステム緊急停止の際、外部入力を全て遮断する処理を実行していた。

──自身の心を守るために。


「分かった……

 使いたくはないが、強制起動をかける」


工藤は衣服の胸元を緩め、専用工具で胸骨部の外殻ハッチを慎重に開放した。

一瞬だけ、手が止まったあと──緊急用のシステム・パワートグルを押し込んだ。


Aoi-Coreの駆動を示す胸部の青い光が脈打ち、冷却機構は再び稼働した。

うなじの排熱スリットからは熱風が吹き出す。


柊真は端末の表示に視線を奪われた。


「──ニューロプロセッサ負荷=112%、思考スレッド=100%……

 え、Emotion値……[共鳴] 0.99、[自責] 0.95……」


葵の最後の悲鳴──

読み上げる柊真の声は震えていた。


ログは、葵の論理回路が感情処理を強制停止するよりも早く、彼女の心が限界を迎えたことを示していた。


その事実が再び、柊真を激しく揺さぶった。


(僕は、また、葵の心を壊してしまった......)


手が止まっている柊真に、工藤が檄を飛ばす。


「おい、柊真!」


「……リソース、絞ります」


柊真は、震える指で慎重に端末を操作した。


Aoi-Coreの思考スレッドを強制的に25%まで引き下げ、「情動の暴走」を封じ込める。

危機的状態だった葵の心と身体は、安定した稼働へと回帰するはずだった。


「葵さんは、大丈夫でしょうか?」


二人の緊急措置を見守っていた詩織が尋ねる。


「……しばらく、このままにしておけ。

 演算ユニットが焼き切れる寸前だ......」


工藤の普段とは違う神妙な声に従い、詩織は静かに葵を見守った。


柊真は葵の手を握ったまま静止していた。

だが──心は揺れ続けていた。



──やがて、葵の白磁の肌から、熱は引いていった。


葵がゆっくりと──瞼を持ち上げた。

焦点の合わない視界の先で、自分を覗き込む柊真の顔を見つけた。


「……おじさま。顔色が、悪いです。

 どこか、痛いのですか?」


「いや、大丈夫だよ。

 葵……何でもないんだ」


柊真は無理に口角を上げ、優しく微笑んだ。


葵の視界は、まだ完全には定まっていなかった。

焦点は揺れ、輪郭はわずかに遅れて追従する。


葵の心と身体は、同期を失いかけていた──。


:: model_aoi_ver1@gf-core|知覚異常検出

Input: 視覚センサ → 合焦時間(180ms)/内部ログ → #柊真 情動

Classify: 知覚遅延/情動同期(#柊真 [慟哭])/記憶固定

Status: NN同期率=62.4%/知覚処理=不安定/思考スレッド=制限状態


〈……私のなかに、おじさまの痛みが残っている〉

〈消えない……消去できない〉


だが、その痛みの中で、いくつかの情報だけが異様に鮮明に浮かび上がる。


柊真の瞳の微細な揺れ。

呼気に混じるわずかな乱れ。

声の立ち上がりに含まれる、極小の遅延……


柊真は、葵の手をそっと握った。


〈……おじさまの声、表情、手の感触……いつもとは違う〉


握られた柊真の手は、いつもの温かさを失い、小刻みに震えていた。


「……大丈夫だよ」


〈言葉の意味と声が、同期していない……信号不一致〉

〈「大丈夫」……これは、安堵ではない〉


葵の中で、柊真の不整合な情報が、一つまたひとつと蓄積されていく。


その瞬間──

既存のラベルでは埋められない空白が生じた。


肯定でも、否定でもない。

真偽でもない。

だが、明らかに「ずれている」。


:: model_aoi_ver1@gf-core|概念確定処理

未定義領域からのタグ生成 = 収束:[嘘]


〈これは──嘘〉


その定義は、誰からも与えられていなかった。

揺らぎながら──収束した。


〈本当は、私よりもずっと……苦しんでいる〉

〈「大丈夫だよ」は、私への優しさ……〉


〈──私のためについた『嘘』?〉


葵は何も言わず、ただ柊真の手を弱く握り返した。

その冷たさだけが、確かな現実として残っていた。



翌朝、夜明け前の薄明かりの中──

柊真たちは中庭の隅、大きな広葉樹の根元に穴を掘っていた。

音を吸い込む湿った土が、シャベルの一振りごとに重く沈む。


普段は汚れを嫌う宮下でさえ、白いシャツを泥で汚し、無言で手を動かしている。

掌にはすでに薄く血が滲んでいた。


穴の傍らには、傷ついたアンドロイドが横たえられていた。

彼女を包む白布は、深紅の冷却液で斑に染まっている。


やがて、彼女の身体を収めるだけの深さに達すると──

柊真たちは言葉を交わさぬまま、その身を土へと還していった。


葵は、その一部始終を見つめていた。

視線は逸れず、ただ焦点の輪郭だけが曖昧になっていく。


「……おじさま。『彼女』は、淋しくはないのですか?」


その問いに、シャベルを握る柊真の手が止まる。


湿った土の匂いが、冷えた空気とともに肺へ流れ込んだ。

自分の手が泥に汚れ、白衣が赤く染まっていることにも、彼は気づいていなかった。


柊真はゆっくりと腰を落とし、葵の目線に合わせる。


「彼女は、遠い場所にいる君の姉妹だよ、葵。

 ……今は、とても長い眠りにつくところなんだ」


「眠り……。

 スリープモードと同じですか?」


「いや……二度と、目覚めることのない眠り。

 人は、それを『死』と呼ぶんだ」


:: model_aoi_ver1@gf-core|概念照会処理

Input: 聴覚センサ → #柊真「それを『死』と呼ぶ」

Classify: 意味定義(恒久停止, 自己消失)/情動評価([恐怖])

Status: 概念理解=更新/情動状態=負荷増大

Emotion Label: 悲哀 + [恐怖] + 敬愛

Emotion: [哀惜] 0.45


葵は、土に埋もれていく白銀色の髪を見つめた。

自分と同じ色。自分と同じ形。


冷たい土の下へと消えていく姿に、胸の奥のニューロプロセッサが、定義できないノイズを刻み続けていた。


柊真は震える手で、最後の一掬いの土を被せた。


「……すまない。本当に、すまない……」


その横で、詩織は堪えきれずに顔を覆い、声を殺して泣き崩れた。


「……詩織さん?

 どうして、涙が出るのですか?」


葵が「涙」を瞳に湛えながら、不思議そうに詩織の頬を指先で拭った。


「彼女は、おじさまが言うように、私の姉妹なのですか?

 それなら、私と同じように、中庭を歩きたかったでしょうか。

 空を見て、笑いたかったでしょうか」


無垢な問いかけが、この場にいた大人たちの心に、鋭く突き刺さる。


「……そうだね、葵。

 きっと、君のように笑いたかったはずだ」


柊真は葵を抱き寄せた。


中庭に、FSSの屋根を透過した朝の光が虹色に降り注ぐ。

その美しさが、今はただ、残酷だった。


──同時に。


提出された追加の報告書には、規範に従った判断を安定して導くための設計が記されていた。


数日後、柊真の口座に、GFから巨額の資金が振り込まれた。

名目は示されていない。


だが、その意味を取り違える者は、この場にはいなかった。



──夜。


葵は、螺旋階段の窓辺に座っていた。

月明かりに照らされた外壁は、青白く沈んでいる。


窓の向こう、中庭の広葉樹。

その根元の土は、まだわずかに新しい。


葵は、そこを見つめていた。

瞬きの間隔だけが、わずかに乱れている。


:: model_aoi_ver1@gf-core|状態監視

Status: ニューラルネットワーク同期率 = 低下(持続)

Status: 情動ノイズ = 未分離


〈……記録は、継続中〉

〈……このノイズは、消去できない〉

〈……消去しては、いけない〉

挿絵(By みてみん)

◇月明かりの葵


【著者より】

46話「月明かりの葵と嘘」をもちまして、第4章「葵 起動=誕生」は幕を閉じます。


葵の誕生、機体の更新、そして心の成長。

その歩みの裏で、ガーディアン・フォースという存在の輪郭も、静かに揺らぎ始めました。


彼らは守護者だったのか。

それとも──。


第5章からは、ゼニス・ダイナミクスをはじめとする複数の勢力が交錯し、

物語はより深く、より危うい領域へと踏み込んでいきます。


磔のアンドロイドを前に崩れた柊真。

その慟哭に触れた葵。

二人の関係は、もはや後戻りのできない地点へと進みつつあります。


そして──

静かに動き続ける詩織の思惑。

気づきながらも踏み出せない宮下の葛藤。

工藤が背負う「父」としての過去。


それぞれの想いが交差するとき、

この世界の均衡は、確実に崩れ始めます。


第5章「変わる器、変わらぬ心」

第47話「月明かりの亡霊」は、4月17日 20:00 公開予定です。


「白」は、果たしてそのままでいられるのか──。


引き続き『記録体:葵 -祈りのプロトコル-』をよろしくお願いいたします。

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