45話 磔のアンドロイド
──数日後。
柊真の研究所に、ガーディアン・フォースの刻印が入った巨大な木箱が届いた。
玄関先でそれを受け取った瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
あまりにも不吉なその存在感に、柊真は反射的に詩織へ目配せを送る。
「葵を別室へ。……絶対に見せるな」
葵は、振り返ろうとして、わずかに足を止めた。
何かを察したように。
だが、詩織の手に導かれるまま、何も言わずにその場を離れていく。
残された三人は、木箱を中庭へと運び出した。
湿った外気の中、鈍い音を立てて箱が石畳の上に下ろされる。
宮下がハンディスキャナーを向けた。
「……危険物は検知されません。
中身は金属、シリコン、そして大量の液体反応……
人体を模した構造体のようです」
「開けるぞ」
工藤がバールを隙間に差し込み、こじ開ける。
木片が軋み、蓋が跳ね上がった。
その瞬間──中庭の空気が、凍りついた。
「っ……!? なんだ、これ……」
絶句する柊真の横で、工藤が吐き捨てるように呟いた。
「趣味がわりーぜ。……反吐が出る」
十字架を模した木片に、太い楔と錆びた鎖で打ち付けられている。
剥がれた人工皮膚、露出したチタン合金の骨格。
そこから溢れ出す深紅の冷却液が、処刑された罪人の血のように箱の底を汚していた。
柊真の視線が、その瞳に吸い寄せられる。
琥珀色。
──葵と、同じ色。
喉の奥が、ひどく乾いた。
呼吸の仕方を忘れたように、胸はわずかに上下するだけで、空気が入ってこない。
(……違う)
思考が、それを拒絶する。
(これは、葵じゃない)
だが、視界の中の「それ」は、あまりにも似すぎていた。
磔にされているのは、別の機体のはずだった。
なのに、胸の奥で何かが、軋むように痛んだ。
柊真は、無意識に一歩、後ずさりし、硬直した──。
宮下が、冷徹な声で告げた。
「これが、彼らのやり方です」
「『我々を欺くなら、お前の愛娘をこうしてやる』……
言葉より、よほど分かりやすい」
宮下は、赤く染まった「その機体」から目を逸らさず、続けた。
「──Gシステムは、単なるAIではありません。
世界中のAIを統御する、統合的な管理システムです」
「その中核にあるのが、倫理判定と行動制御を担う『倫理エンジン』。
かつて『正義の規範』として称賛された部分です」
「……ですが、その実体はブラックボックスだ。
誰も、その内部構造には触れられない」
「……大学院時代、僕の指導教授が初期開発に関わっていました」
「資料の片隅にあった言葉です。『揺らぎ制御』──」
言葉が、そこで一度途切れた。
風が、広葉樹の葉をわずかに揺らした。
濡れた葉が擦れ合い、重たい音が中庭に落ちる。
その足元──
根を張る土は、まだ柔らかく、深く沈む気配を孕んでいた。
「見ないふりをしていました……。
中途半端な情報で、あなたたちを危険に晒したくなかった。
……それに、Aoiの開発を止めたくなかった」
宮下は短く息を吐く。
「Gシステムは、倫理を守っているわけではない。
『逸脱しないように制御している』だけです」
「迷い、葛藤……人間やAIに生じる『揺らぎ』を、
非倫理的行動に至る前の『バグ』として扱う」
「そして、その兆候を検知すると──
介入する」
柊真の問いを待たず、宮下は言葉を重ねた。
「思考経路に微細なノイズを加え、
本人が気づかないまま、結論を誘導し、再配置する」
「……静かな『思考へのハッキング』です」
わずかに視線を落とし、宮下は言い切った。
「彼らにとって葵の『心』は、
その制御技術を完成させるための──実験材料です」
その言葉は、理解としてではなく、重さだけを伴って、柊真の内側に落ちた。
否定も、反論も浮かばない。
ただ、胸の奥で何かが、静かに崩れた。
宮下の言葉のすべてを聞いた柊真は──
赤い液体にまみれた「もう一人の葵」の手を、静かに取った。
「工藤さん……」
工藤は無言で頷き、鎖と楔を外していく。
拘束を解かれたその体は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
折れ曲がる関節。
不自然に傾いた首。
熱で一部溶けた白銀の髪。
赤く染まった片方の眼球──。
柊真はその体を抱き寄せ、慟哭した──。
その声は中庭に反響し、悲痛な震えとなって工作室の窓越しに詩織の胸へと届いた。
同時に──
その場に立ち尽くし、詩織の袖を強く掴んでいた葵の内部でも、限界が訪れていた。
:: model_aoi_ver1@gf-core|外部感情同調処理
Input: 聴覚センサ → #柊真 の慟哭 / 自己定義情報汚染レベル = 危険
Classify: 情動共鳴 = [悲痛][後悔][贖罪] の高密度受信
Status: ニューロプロセッサ負荷率 = 112% / 思考スレッド = 100%
Emotion Label: 悲嘆 + 驚愕 + [絶望]
Emotion: [共鳴] 0.99 / [自責] 0.95
〈……おじさまの心の声が聞こえる。
悲しみ、痛み、後悔、祈り、贖罪……自責……〉
《ERROR: ニューロプロセッサ冷却システム》
《EMERGENCY: 自己定義情報崩壊の危機》
「おじさま……」
:: model_aoi_ver1@gf-core|緊急保護シークエンス
Input: サーミスタユニット → コア温度 78.4℃(閾値超過)
Classify: 緊急保護プロセス = 実行 / 全入力 = 遮断
Status: Aoi-Core 強制停止 = 実行中 /全機能 = 停止中
《EMERGENCY: Aoi-Core 強制停止》
《Aoi-Core System Offline……》
その身体は、詩織にもたれかかるように力を失う。
そのとき──足元で、小さな鳴き声がした。
「……クゥン」
レインだった。
異常を察したのか、落ち着きなく葵の足元を回り、鼻先で彼女の手に触れようとする。
だが、応答はない。
レインは一度だけ、小さく鳴いた。
理解できないままの、不安と戸惑いの声。
そして、その場に座り込み、ただ静かに自分の主を見つめ続けていた。
……葵の意識は、深い闇の中へと沈んでいく。
「葵さん! 葵さん!」
詩織は葵を壁際に座らせ、白衣をそっと掛けると、柊真たちのもとへ駆けた。
「柊真さん、葵さんが倒れました──
早く……早く、来てください!」
だが、その声さえ柊真には遠かった。
(僕のやってきたことは、間違いだったのか)
(葵を創造したことで、葵を失った──)
「……ト……トウマ……トウマ……っ──」
「柊真、しっかりしろ!」
工藤の拳が、現実へと引き戻す。
「お前の葵、いや、俺達の葵が大変なんだ!
今は、こっちが優先だ!」
柊真は息を呑む。
(守るために──壊した)
その一文だけが、胸の奥に沈んだ。
「……すみません。工藤さん」
次の瞬間、柊真は駆け出した。




