098 離散する者たち
(およそ4,000文字)
「オクルス…」
サニードが心配そうに見つめる中、オクルスは背を向けたまま前にと進んで行く。
「武器も持たないでいいのかよ? 大剣、錫杖……なんでも使っていいんだぜェ?」
そう言って、リヴェカはどこからか巨大な剣、金属の輪の沢山ついた杖を次々と持ち替えて見せる。
「あ!」
それに見覚えのあったサニードは、思わず声を上げてしまった。
「おやぁ? 知ってるヤツの武器だったッスか?」
「ジャコモ……リネド……」
サニードは震える指で口元を抑える。悪魔専属のレンジャーが敗れたのだと察したのだ。
「3人を……どうしたの?」
「ア〜ン? そんなの決まってんだろ〜。ワイは悪魔だぜェ?」
リヴェカはそう言って、鋭い歯を剥き出しにした。
その間にもオクルスは進み続け、口をわずかに開くとハーと小さく息を吐き出す。
リヴェカの小さな鼻がピクッと動く。
「眠り香か? つまんねぇ小細工だなぁ。こっちは耐性持ちだぜ」
オクルスが手刀を振り下ろそうとするのに、リヴェカは「遅えよ!」と腹部にボディブローを叩き込む。
「オクルス!」
オクルスの身体がくの字に曲がり、リヴェカはそのまま地面に叩きつけようとして……
「な? なんだこりゃ?」
「無意味です」
リヴェカの拳は、オクルスの胴体に絡め取られるように埋もれていく。
「テメェ! 人間じゃねぇのか?!」
「いまさら気づきましたか。悪魔ともあろう方がッ」
オクルスは口の端を笑わせると、全身の無数の目が蠢き出す。
「うえっ!」「ば、化け物!」
レアムや騎士たちは驚き、痛みに呻いているシャルドレですら脂汗を流しながら目を見開いている。
「魔物だったか! チッ! よく気づかれず、上手いこと擬態してたじゃねぇか! どうりでポコチン臭も曖昧なわけだ!」
──離散する者たち──
オクルスの身体は、何匹もの黒い蛇が絡まって蠢いているようで、両手を大きく開いたことでその目玉のついた蛇たちが一斉にリヴェカに襲いかかる。
(コイツは何の魔物だ? 蛇面醜姫か?)
リヴェカは蛇の波に呑まれぬように跳躍し、残ったオクルスの本体と思わしき胴体に蹴り入れるが、その残された部位も分離して地面に離散する。
「キメェな! 指揮者がどっかにいんだろ?!」
──いたとして、応えるとでも?──
無数の目玉がリヴェカを捉えていた。彼女は手当たり次第に攻撃を繰り返すが、寄せては引く波のような群体となったオクルスには手応えがない。
そのうち、リヴェカの頰に何か液体のようなものが掛かった。
「っ! 酸か?」
それは強酸だったが、リヴェカがそれを払うと何事もなかったかのように頬が元の状態に戻る。
目玉のついた蛇のような分身体……サクリフィシオは、それぞれの特性を発揮する。それは“斬撃”、“毒”や“酸”、“電撃”、“衝撃波”といった波状攻撃を仕掛ける。
「ウジ虫が! そんなら全部叩き潰してやんよ!」
リヴェカは自身にまとわりつく、手の届く範囲の地面にいるサクリフィシオを手当たり次第に殴りつける。だが、無数に分かれたオクルスは動きを止める気配はなかった。
「こ、これなら勝てるんじゃないのか……」
レアムは「あんなのと戦おうとしてたのか……」とショックを受けながらも、今は味方として動くオクルスを見て言う。
「ダメだよ。負けちゃう……」
サニードは魔眼を開いて、オクルスとリヴェカの魔力の動きを見てそう言った。
彼女の目には、リヴェカの魔力量は殆ど変わらないのに、無数に分かれたオクルスが少しずつ数を減らし、その魔力の量もかなりの勢いで落ちているのが視えていたのだ。
戦況は一見してオクルスが優勢に思われたが、サニードが指摘したように、実際にオクルス自身にも余裕など少しもなかったのだ。手下を分離して戦うのは、“本体”にとっても弱点を晒す行為であるし、手下たちの持つスキルでリヴェカを倒す術はなかったからだ。
「大丈夫ですよ。サニード・エヴァン」
いつの間にか、メディーナがサニードの側に来ていた。
シャルレドがどうなったのかと見ると、彼女は義足のある足の方を押さえて、息も絶え絶えという感じであった。
「“定着”するのに少し時間を要します。その間に……」
メディーナは、サニードやレア厶だけでなく、グリンや他の騎士たちの傷まで癒していく。
最初、「お前も魔物なのか?」と警戒していたレアムだったが、メディーナの敵意のない柔らかな物腰に流され、彼女が触れた場所が魔法を使ったように痛みが消えるのに驚く。
「メディーナ? 大丈夫って?」
「見ての通り、オクルス様は“単独”で戦っているわけではありません。私を分離したのも、“勝算”あってのこと……」
「あ! おい!」
折れた剣にメディーナが触れるのにレアムは慌てるが、「これでは戦えぬでしょう」と微笑む。
その抗いにくい雰囲気に呑まれ、レアムは折れた剣を渡してしまう。メディーナはしげしげとしばらく物珍しそうにそれを見やっていたが、折れた断面に細い指先を当てた。
「あ!」
メディーナは指先で摘むように引っ張ると、折れた部位から溶けた飴でも引っ張るようにして引き延ばし、最初は薄ピンク色だった接着剤のような粘質物が、徐々に根元の方から元の鋼の色へと変わっていく。
「嘘だろ。剣が直った……」
受け取ったレアムは信じられないとばかりに首を横に振る。
「メディーナは剣まで直せるの?」
「簡単な造形のものでしたら。足りない部分は“私の一部”で補いました。斬れ味は劣りますが、耐久度や耐腐食性では上だと思います」
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして」
オクルスが直ぐ側で戦っているのに、まるで町での何気ない日常会話なことをしているのが、サニードにもレアムにもチグハグに感じられてならない。
「先ほど大丈夫と言ったのは、オクルス様は多くの“味方”がいるからですよ」
メディーナは微笑んで、レアムとサニードの背中に優しく触れる。
「ウチは……オクルスなんか」「俺は味方なんかじゃない」
戸惑う両者を見て、メディーナは優しくその背を撫で続けた。
「オクルス様は、人間を利害で動くものとお考えです。しかし、あなたたちがそうでないことを私はよく知っています」
メディーナはふと空を見上げると、指先と指先を合わせて考えるような仕草をした。
「さて、この後はどう致しましょう。治療は終えました。お食事はいかが?」
「え?」「は?」
オクルスとリヴェカの戦闘音、シャルレドの苦悶の声の中、メディーナはそんな呑気なことを言う。
「じょ、状況わかってる? メディーナ?」
「ええ。もちろん理解しております。ですが、私にできることはそう多くはありません。今のうちに食事をすませて備えるというのが最適解かと思います」
「い、いや、戦闘中に食い物なんか喉を通らないよ」
レアムが怪訝そうに言うと、メディーナは小首を傾げる。
「それならお茶をお淹れしましょうか?」
「え?」「は?」
どこまでも空気が読めないメディーナに戸惑っていると、サクリフィシオが波のようにサニードの足元に集まり、「げ!」と驚いている間に、集まったサクリフィシオが人間の上半身を形作った。
「……“共感力”は高くとも、メディーナはおおよそ常識というものを持ち合わせてはいません」
オクルスは半ば黒い渦となっていて、半人型となったその中で双眼が開かれる。
メディーナは表情ひとつ変えず、何も言わずにオクルスやサクリフィシオの傷を癒していく。
「なんで?」
サニードは少しムッとした顔で尋ねる。
「他生物とのコミュニケーションを必要としないからです。私の命令にさえ従えばいい」
「そんなのおかしいよ!」
サニードの抗議に、オクルスは一瞥しただけで応えなかった。そんな余裕などないという雰囲気だ。
「……高レベル帯の上位悪魔にしてはやけに強い。こんな短時間で、総数の3割も削られるとは」
オクルス自身は、相手が上位悪魔であったとしても、単体で戦うなら互角以上に渡り合えると考えていた。
「全体魔法を警戒し、耐魔法力に優れたサクリフィシオを温存していたというのに……」
「悪魔だから魔法攻撃が得手と思わないで欲しいっスねぇ。ワイは自分を強化させるのに特化した個体なんでぇ〜」
リヴェカは手をブラブラとさせ、指を握り締める時に、魔力が集中して鋼のように硬化させて見せる。
「しっかし、オマエ、なんの魔物なんスか? 蛇竜にしては、個体スキルがバラバラすぎるし」
「そんな情報を無償で提供するとでも思いますか?」
「どっちでもいいッスよ。全部叩き潰すだけっしょ」
リヴェガがベーと舌を出した事で、そこに紋様が見え、オクルスは「まさか」と目を細める。
「爵位……最上位悪魔だと?」
リヴェカは残酷に笑い、サニードは「え?」と驚いた顔を浮かべる。
「……モーグ公も“いらぬサービス”をしてくれたものです」
「お、オクルス! 確か“爵位持ち”には、セフィラネが気をつけろって……」
「その通りです。彼女たちは私よりも遥かに強い」
「ようやくわかったんスか? 降参するなら今のうちっスね。ま、かといって許しはしねぇけどなぁ!」
「降参? シヒヒッ!!!」
オクルスは口元を笑わせ、その姿が大きく広がり巨大な蠢く渦と化ける。数多くのうねる目が赤く光り、“巨大な怪異”と化した。
「オクルス……」
恐怖に顔を引きつらせて後ずさるサニードに、オクルスの赤い目の1つがそれを捉える。
──サニード。そうです。その“反応”こそが、人間として正しい。私の本質は魔物です。恐怖、嫌悪、忌避なさい。理解などとは程遠い──
サニードにはそれが言葉として聞こえたのかよく理解はできなかったが、どうしてか一瞬だけオクルスが寂しそうに「失礼」と言った気がした。
「オクルス様……」
メディーナがそう呟くが、オクルスはそれは応えずに、リヴェカとの戦いを再開したのであった──。




