085 大きな悪
(およそ3,000文字)
〈この話の登場人物〉
〇セフィラネ…“欠如なき魔商”。オクルスの師に当たる人物。
〇スクィク…“底浚いの商人”。セフィラネの持つ何かを求めて、エヴァン郷のエルフたちと協力している。
空中城塞エアプレイス。
今はサルダンのゲランド高地の遥か上空に留まっていた。
その中の都市部中央にある研究塔では、白衣を着た学者たちが慌ただしく走り回っている。
「間違いありません! 外界からの干渉を遮る妨害系の大魔法です!」
部屋の中央には、大小さまざまな鏡が乱雑に並んでいた。その1つを見ていた若い男が叫ぶ。
その中にあって一際大きい鏡には、戦場を大きく覆う真っ黒なドーム状のものが映っていた。
「なんだと! そんなもの使えるレベル帯の魔物はいなかったはずだ!」
年配の現場責任者は、手元の水晶に表示された魔力の値を見て首を横に振る。
「特殊限定魔法の一種なのでは?」
「これだけの規模で発動するものは聞いたこともないぞ!」
「なら、我々も知らないような古代魔法ということに……」
「だから! そんなものを上位悪魔程度が使えるはずがなかろうが!」
「少し落ち着け。騒ぐでない」
部屋に入る階段の上から低い声が響き、学者たちはビクッと肩を震わせた。
「え、エィギル王!」
長身の偉丈夫、王冠と豪奢なマントをつけたエアプレイスを統べる帝王の登場に誰しもが驚く。
「陛下、御身みずからこのような場所に……しかも、ドラグナル戦士長まで」
責任者は明らかに気後れしたような顔を浮かべる。
エィギルの後ろに、彼と同じぐらい上背があり、それでいて横幅は倍はありそうな筋骨隆々とした男が控えていたのだ。
エィギルは一番巨大な鏡に映る光景を見やり、太く逞しい腕を組む。
「どう見る? ドラグナル」
「我ら飛竜隊でも、あのバリアを突破するのは容易ではありませんな。エアプレイスの魔力吸収からも守られているようです」
「ならば、これは“脅威”か?」
「ええ。そう判断しますが……」
「そう分かっていながら、どうして早く軍を派遣しないんですか!?」
後ろから怒声が浴びせられ、エィギルとドラグナルは振り返る。
そこには褐色肌をした、まだ10代前半と思しき少年が、剣を握り締めて正義の怒りをその目に宿していた。
「陛下の御前だぞ」
ドラグナルはエィギルを見て肩を竦める。本人も言葉で言うほど敬意を払っているようには見えなかった。
「ええ! 失礼を承知で申し上げております! 父上! 我らがエアプレイス飛竜戦士隊は、こういう地上の怪しい者たちに対処するために存在するんでしょう!?」
「グランバよ。“蒼き門番”の役割とは、そう簡単なものではないのだぞ」
ドラグナルが困ったように言うと、エィギルは軽く笑う。
「勇敢な子だ。エアプレイスの未来は安泰か」
「あまり褒めないでやってください。陛下」
ドラグナルは何とも気恥ずかしそうに頭を掻いた。
相手が格上だと知っていても、なお揺るがぬ真っ直ぐな視線を向けてくるグランバに、エィギルは頷くことで応える。
「いま我らが警戒しているのは、より“大きな悪”が生まれてしまうことだ」
「大きな悪?」
「そうだ。未だに姿は見えぬ。が、我らはそれを防ぐため、“天帝竜”と協力することにした」
グランバの視線が、戦場を映している鏡を向く。
「“ドラゴンスレイヤー”……ですか」
グランバがそう言うのに、エィギルは「そうだ」と頷いた。
「あそこでは今、“地上で最も強い男”が戦っているのだぞ」
ドラグナルは口元をニヤリとさせる。
「父上よりも、ですか?」
神妙そうにグランバが尋ねるのに、ドラグナルは目を瞬く。
「……さて、どうだろうか。一度、本気で手合わせしたいものだがな」
「止めておけ。地上を巻き添えに滅ぼすつもりか」
真顔のエィギルに叱責され、ドラグナルは「軽率でした」と頭を下げる。
「……陛下。ここは、ベイリッド・ルデアマーに任せるべきだと思います」
「そうだな。ここで飛竜戦士隊まで出張れば、地上に大きな被害をもたらすやも知れぬ」
ドラグナルの進言を受け、まるでグランバを説得するかのようにエィギルは告げた。
「“過ぎたる力”を持つ者は、その“力の扱い方”において慎重でなければならない。分かるな? グランバ・ラマハイムよ」
「……はい」
納得はできないという顔だったが、それでもグランバは頷く。
ドラグナルはもう一度、鏡の方を見やり、そこで起きている熾烈な戦いに思いを馳せる。
「“友”よ。信じているぞ。お前ならば必ず勝てるとな」
□■□
セフィラネは気怠そうに、水晶玉を通してゲランド高地の戦況を見遣っていた。
「あれだけ、爵位持ち悪魔には気をつけろと言ったのにネェ。……ま、オクルス自身もそこまで気付いてなかったんだろうけどォ」
ため息をつくと、投げやりに魔力を切って映っていたものを消す。
「……それでェ、アナタがここまで来たってことは、セージはやられちゃったわけねェ」
扉の外を見やると、張り付いたような笑顔を浮かべたスクィクが立っていた。
「なかなか手ごわかったニェ。護衛だったエルフ3人も失いましたからニェ〜」
「ふ〜ん」
セフィラネは興味なさげに頬杖をつく。
「お初にお目に掛かるニェ。“欠如なき魔商”セフィラネ。お噂はかねがね……」
スクィクのおべっかにも、セフィラネは特に反応を示さない。
「……サルダンでチョロチョロしてたのは知ってたけど、ここまで来て何が目的なわけェ?」
そう問われ、スクィクの目が怪しげな三日月の形に細められる。
「……“魔剣アンチマジック”」
その言葉を聞いて、セフィラネはスクィクの顔を初めて見やった。
「へー。それ知ってるわけ。“退魔の剣”……魔物の分際でそんなものを欲しがるとはねェ」
「ヒーッヒッヒ!」
「……持ってないと言ったら?」
「そんなワケはないでショ。“気配”……この部屋の周囲にビンビンに感じ取れるニェ」
「アナタ、何者?」
「ワタクシは“底浚い……」
「んなわけねぇーだろが」
セフィラネは、地の底を震わすようなドスの利いた声を響かす。
彼女の瞳はキュッと小さくなり、背中から深い黒い魔力を放ちながら立ち上がった。
「舐めるんじゃねぇぞ、“三下”ァ。テメェごときに、セージが殺られるわけねぇだろうが……」
額からオリックスのような角が生え伸び、肌が青黒いものへと変わっていく。
「……さすがの魔力量ニェ。時代が時代なら、“魔王”と呼ばれてもおかしくはない」
スクィクは数歩だけ後退るが、怯えた様子はなかった。
「“魔王”だ? 古くせぇ、恥ずかしくもみっともねぇ、時代錯誤の遺物だな。テメェらみてぇなのが好き好んでやってた、“権力闘争”には飽き飽きしてんだよ」
「それでそんな“過去の遺物”を抱え込んで、こんな人知れぬ地に隠棲してるのかニェ? セフィラネ・ノクターナル」
スクィクはニヤニヤと笑いながら言うが、セフィラネは「気軽に名前を呼ぶんじゃねぇ」と吐き捨てる。
「少なくともなぁ、テメェみたいな“交渉ができないクソ馬鹿”を相手にし続けるよかマシだろうが」
「まあ、それも今日で終わりニェー」
スクィクが両手を開き、そこに魔力が集まるのを見て、セフィラネは「魔道具か……」と舌打ちした。
セフィラネとスクィクの視線が交差した直後、どちらからとも言えず放たれた膨大な魔力が周辺を吹き飛ばした──




