083 最上位悪魔
(およそ6,800文字)
若干の性的描写や表現があります。
〈この話の登場人物〉
〇イゼリア…上位悪魔50体のリーダー格。『050 戦争の火種』で登場した人物。
〇リヴェカ…上位悪魔、リーダーであるイゼリアの側近。『070 悪魔の引き渡し②』で登場した人物。
◯ジャコモ、リネド、ウェイロー…悪魔討伐専門のレンジャー。サニードを通して雇われる。
◯ベイリッド・ルデアマー…ルデアマー家の継承権を持つ次男。長男ハイドランドと現在家督を巡り争う。元レンジャーで“ドラゴンスレイヤー”の肩書きと強さを持つ。
「行け! 行け!」
馬に乗り、勢いよく崖を下るガニメデは今にも舌を噛みそうになっていた。
「ベイリッドは距離を置いて避けろ! 狙い打つは悪魔だけだ! これは聖戦であーる!」
自分の指揮で兵たちが動くことに、ガニメデは意気高揚として鼻の穴を大きく拡げる。
「悪魔は殺すなよ! 手脚を斬り落としたら、俺を呼ぶんだぞ! いいな!」
勢いよく飛び出して来たが、ガニメデは自ら悪魔と戦う気はなかった。自軍が攻め、弱って身動きが取れなくなったヤツを弓矢で射ればいいというぐらいに考えていたのだ。
騎乗兵、歩兵、弓兵……ライラード軍は混成部隊だったが、指揮者自ら先陣を切ったことで、もはや隊列は滅茶苦茶になっていた。
そして、ガニメデの横を過ぎる時、ガシャンと何かが落ちる音がする。
「なんだ?」
ガニメデが不審そうに音の方を見やると、そこには兜が落ちていた。
「落としたのか? 官給品だぞ! このマヌケめ…」
そこまで言って、次から次へと、ガシャン、ガシャンと金属音がする。
「な! なにぃ??」
兜だけでなく、胸当てや肩当てもその場に捨てていく。それも1人だけではなく、何人もの兵士がそんなことをしているのだ。
「き、気でも狂ったのか! キサマら…」
「いいえ。ここまで近づけば、正体を明かしても対処しようがありませんカラ」
「え?」
耳元で囁かれ、ガニメデが振り返ると、いつの間にかハンディング帽の下からミディアム金髪をのぞかせた気だるげな美女…ノーリスがいた。
「な、なんだキサマは! いつの間に俺の馬に!」
怒って振り落とそうとしたガニメデだったが、大きな胸を押し付け、真っ白な太腿に臀部を挟まれ、思わず「むほッ!」などという声を上げてしまう。
「いいカラ、いいカラ。まだちょっとこの地を呪うのに“血”が足らないのヨ。このまま先に進みましょうネ」
「何を言って……ヒッ!」
色香に惑わされそうになっていたガニメデだったが、前方から来る強い不穏な殺気に総毛立つ。
「チッ。“ドラゴンスレイヤー”のデバフですネ。厄介な…」
あちこちで馬の嘶き、恐怖に悲鳴を上げ、行軍が止まるのを忌々しそうにノーリスは見やる。
「もういい。耐性のない者はこの場でヤっていいヨ」
ノーリスがそう言うと、鎧兜を脱ぎ捨てた兵士たちは頷き、側にいた恐慌状態の兵の首を掴むと、その場でへし折って殺してしまう。
「な、なんだぁ!?」
ガニメデは涙と鼻水で顔をグシャグシャにして叫ぶ。
仲間が仲間を殺すという異常事態に、ライラード軍は酷く混乱する。
だが、殺した側の男たちは、急に上背が伸び、全身が毛むくじゃらになったかと思いきや、長い角を伸ばし、大きな咆哮を上げた。
「あ、悪魔!? わ、我が軍の中から悪魔だと!?」
「まあ、よくあることですヨ」
「あるか! よ、よくあってたまるかぁ! 動け! この! 動けぇ! なんで走らないんだぁ! この駄馬がァッ!」
ガニメデは馬を走らせようと腹を蹴るが、乗っている馬はまるで彫刻にでもなったかのように微動だにしなかった。
「どうなってるんだぁ!?」
ガニメデは馬から降りようとして、そうはさせまいとノーリスはそのマントを掴む。
「ひ、ヒィィィッ! やめろぉ! 離せぇ!」
「そういうわけにはいきませんネ」
「キサマも悪魔の仲間なのか! 俺を殺す気か! やめてくれ! 金なら払う! ライラードは大国だぞぉ!! 大金持ちだぞぉ!!」
溢れた小水が膝からダラダラと地面に落ちるのを見て、ノーリスは自分の頰に手を当て「あらあら」と嬉しそうに微笑む。
マントを掴んだ手を回して巻き取る。甲冑姿の成人男性を、ノーリスは軽々と片手で持ち上げていた。
女の細腕でどうしてこんなことが可能なのか、そして彼女が人間でないことがより明確になったことで、ガニメデは首根っこを押さえられたネコのようになった。
「イケナイ子でちゅネー」
赤ちゃん言葉でそう言い、ノーリスが指をパチンと弾くと、ガニメデの甲冑の丁番が外れて脱げ落ちる。そしてノーリスは下履きをそのまま引きずり下ろす。
「こっちはなかなか“立派なモノ”なのに、今は縮こまって何の役にもたちそうにないことですネ」
何が楽しいのか、ノーリスはクスクスと笑う。
「決めましたヨ。あなたは殺しまセン」
「ほ、本当か?」
生き残る術を見いだし、そんな藁にも縋るような小さな希望にガニメデは子供のように目をキラキラとさせた。
「ええ。あなたを育てることにしまス」
「は? 育てる?」
ノーリスが手を閉じ、再び開くとそこに真っ黒なおしゃぶりが現れる。ガニメデがそれを理解する前に、その口に強引にそれが押し込まれた。
「あなたの人生が終わるその時まで、ワタクシが面倒を見てあげまス。ですから、情けなく、哀れで、その滑稽さを……その生命が果てるまでワタクシに捧げなサイ」
──【魅了】──
ノーリスの全身から濃いピンク色の影が広がっていき、それが被さったガニメデの瞳がピンク色に汚染されていく。
それらの“ピンクの影”は恐慌に陥っていた兵士たちや乗っていた馬の元にも及び、彼らは一様に人形のように棒立ちになった。
「さあ、カワイイ子たち。逝きなサイ!」
ノーリスが指示を出すと、上の空といった顔のまま、指差した方に走り出す。
それは異状行動としか言いようがなかった。人も馬も入れ乱れ、互いにぶつかろうが、目の前に大岩があろうが、まるで関係なしに走るもので、馬に蹴られて腕がひしゃげ、転んで脚が折れようとも、ただ走る事しかできなくなったように、痛みも苦しみも忘れて崖を転げるように下っていく。
「我々も行きましょうネ」
「バブーッ!!」
ガニメデはおしゃぶりを咥えたまま、赤子のように口の端からアブクを吹いて応えた。
ノーリスはガニメデを自分の前に座らせると、自身が乗っている馬を走らせる。
「姉様に、ワタクシのベイビーを早くお見せしたいワ」
ガニメデの薄い癖毛を撫でながら、ノーリスは妖艶に微笑んだのだった。
□■□
ジャコモ、リネド、ウェイローは破竹の勢いで悪魔たちを撃破していく。
その嵐のごとき凄まじさに、ゼリューセ陣営も、ベイリッド陣営も、彼らを遠巻きに見るしかできなかった。
「弱い! コイツも! ソイツも! ドイツも! 弱いぞ!!」
悪魔たちが魔法を使う前に、ジャコモは軽々とその頭を叩き潰し、残った体を投げつけて、もう1体も始末するという荒々しい力技を見せつける。
「もう3桁は倒しましたかなァ。まだいやがるとは、仕事があるちゅーんはいいんですが、同じレベル帯の敵ばかりだと、さすがにマンネリ化してくるねェ〜」
ウェイローは光魔法を杖先から飛ばし、片手間とばかりに悪魔を払いつつ、「どっこらしょ」と手近にあった幹に腰掛けた。
「あー、つまらん!」
「✕✕✕…」
上から飛び降りて来たリネドか何事か呟いたのに、ウェイローが「“同意”って意味ですかねェ〜」と苦笑する。
「しかし、こりゃ召喚された類で出てきてるわけじゃなさそうですなァ。術者の気配がない。ただ暴れてるだけで……おや」
どこからか軽快な歌が聞こえ、リネドがピクッと頭を揺らす。
「ポコポコチンチン〜♪ ポコチンチン♪」
真っ赤なポニーテールを揺らし、スカートがめくれ、下着が見えてしまいそうなくらい大きなスキップをしてこちらに向かってくる少女がいた。
「こっちから臭うぞ〜♪ くっせー♪ くっせー♪ ポコチンチン♪」
可愛い声に合わない、あまりにも下品な歌にウェイローは「あー」と顎髭を撫でる。
「おーっとと! ここだ! ポコチンチン〜♪ 見ぃつけた〜♪」
ポニーテールの少女…リヴェカは、「ガオ~」と爪を立ててケラケラと笑う。
3人はしれっとした顔をしていたが、相手の佇まいや容姿から、それが上位悪魔であることを察していた。
「ポコチン1匹!」
リヴェカは、ジャコモを指さす。
「ポコチン2匹!」
そして続いて、ウェイローを指さす。
「ポコチン……あれ? テメェはポコツチンじゃないじゃねぇスか」
リネドを指さそうとして、リヴェカは眉を寄せる。
「どうでもいい! 貴様は会話できる悪魔だな! キュブロスがどこにいるか知ってるなら教えろ! 知らないなら、すぐに殺す! 知ってるなら、話した後に殺す!」
「キュブロス〜?」
ジャコモの問いかけに、リヴェカは腰に手を当てて考える素振りを見せる。
「あー、はいはい。そういえば、そんなヤツいたっスね〜」
「な……に?」
まさか知っているとは思わなかったジャコモは少しだけ呆気に取られる。
「どこだ!? ヤツはどこにいる!?」
「あ〜、あれはどこだったスかねぇ?」
「勿体ぶるな! さっさと教えろ!」
「えー。ちょっと待って下さいよ〜。ここまで出てきてるんだけどなぁ〜」
リヴェカは自身のこめかみを人差し指でクリクリと押す。
「ああ、確か、西の果ての川を3つ越えた洞窟の〜」
「西! 西にいるのか!?」
「いやぁ、東だったかもぉ〜」
「なに!?」
「とりあえず洞窟の奥の〜ゴブリンの村の隣のぉ〜」
「さては知らないな! ふざけおってからに!」
「ふざけてないっスよ。証拠にほら」
リヴェカは肩をグルっと回すと、いつの間にかその手に大剣を握っていた。
「? いつの間に……ん!? その剣は俺の……!」
そう言って、ジャコモは自分の利き手から“指”がなくなっていることに気づく。
「おお! 俺の…指がァッ!!」
ジャコモはワナワナと震えて膝をつく。
「こいつァ…」
ウェイローのもみあげを冷汗が伝う。
「なんだよぉ。隙だらけだから、ちょっと拝借しただけじゃん。コレも何の意味があるんスか〜?」
リヴェカは大剣とは反対の手に、白い包帯の束を抱える。
「△◎▼◆¥※◆♆Ω!!」
リネドが叫ぶのに、ウェイローは目を見開く。
彼……いや、“彼女”の皮膚を覆っていた包帯がすべて剥ぎ取られ、まだあどけない色白の少女は顔を赤らめ、露わになった乳房を両手で隠した。
「やっぱ女じゃねぇスかぁ〜。隠して何の得になんだかぁ?」
「タハハ…。コイツはヤベェーですなァ。逃げの一手と行きたいところですがァ…」
「逃がすわけねぇーじゃん。そろそろ“発動”するっスよ」
リヴェカは残酷に笑うと、空を指差した──
□■□
「……本当に100体だけなのか?」
悪魔を斬り伏せ、ベイリッドは訝しそうにする。
数えていたわけではないが、数十体は少なくとも倒している。他の者たちが倒しただけでも、相当な数になるだろう。
しかし、いくら倒しても数が減るどころか、むしろ増えているのではないかとさえ感じるのだ。
またどこかで悲鳴が上がる。
「ディバーから離れてしまうな。だが、致し方あるまい」
ベイリッドは少し深く踏み込んだと思った瞬間、その場に足跡だけを残して姿がなくなった。
「うわぁ! よ、寄るなぁ! こっちに来るな!」
「ケヒヒヒッ!」
ディバー側の若い兵士は、折れてしまった剣を振り回すが、悪魔たちは赤い舌を出して小馬鹿にして笑う。
彼らにとって人間は玩具か何かに過ぎず、力量差が顕著であればあるほど、その嗜虐心を増し、追い詰めてから殺すという悪趣味な行動を取った。
「命を軽んずる者に、一切の情けはかけん」
どこからか静かな声がしたかと思うと、笑っていた悪魔たちの下顎から上がスッパリと切れ、その場に倒れてから青黒い血飛沫を撒き散らす。
「へ…? あ!」
さっきまで悪魔たちのいた場所に、背の高い男がいるのを見て、兵士は救われたという安堵の笑みを浮かべたが、それも一瞬のことで、男の額にある3本傷を見て、天国から真っ逆さまに地獄に落ちてしまったような顔をした。
「べ、ベイリッド・ルデアマー!」
悪魔に襲われた時よりも大きな声を上げたのに、ベイリッドは「まったく」と笑う。
「争う気はない。もはやこれは戦争どころの話ではないだろう」
「なんだと? お前が悪魔をけしかけて…」
「けしかけた私が、その悪魔を殺したと言うのか? おかしいとは思わないのかね?」
理性的に聞かれ、兵士は「確かに」という顔で死んだ悪魔を見やる。
「……私が間違っていた。そうだ。兄と話すのに、武力や策謀など必要なかったんだ」
ベイリッドは深くため息をつく。
「ディバーに戻れ。そして兄…ハイドランドに伝えてくれ。“ベイリッドが降伏を申し出ている”とな」
「降伏だって?」
兵士は驚く。言われたままに戦うだけの末端の彼は、戦況を正確には把握していなかったが、それでもベイリッド側が負けてるような感じはしていなかったからだ。
「さあ、行くがいい」
──左からです。ベイリッド──
ベイリッドはハッとして左を振り向いた時、氷の礫が無数に飛んでくる!
「これは…ッ!」
ベイリッドはマントでそれらを払う。
「あぐッ…!」
側にいた兵士のヘルムをグシャグシャに叩き潰し、彼は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
「上級魔法…だと?」
とても下位悪魔が使う魔法ではなかった。自分が油断していた事で、若者を1人亡くしてしまったことをベイリッドは深く悔やむ。
──上位クラスの悪魔です──
「なんだと?」
ベイリッドは驚く間もなく、次から次へと魔法が放たれる。
「チッ!」
ベイリッドは魔法を手刀やマントで払い飛ばす。
そして繁みの奥から、下位悪魔とは違う存在…上背があり、筋肉隆々としたいかにも獰猛そうな半人半獣の者たちが姿を現した。
「いったい、どこから湧いて出てきた? 気配は感じなかったぞ」
「そりゃ、オレさまたちの擬態魔法が完璧だからさ」
「お前は…」
上位悪魔たちが、神輿のように持ち手のついた王座を抱えてやって来る。
そこに脚を組んで座っていたのは、黒いツインテールをした薄着で妖艶な女性だった。しかし頭には立派な羊角があり、彼女も上位の悪魔なのだとベイリッドは即座に理解する。
「はじめまして。“ドラゴンスレイヤー”。…なんて名乗る礼儀もねぇが、名乗ってやるよ。感謝しな。オレさまはイゼリアだ」
「イゼリア…」
「以前、地上に居た頃は“悪意の歌姫”なんて呼ばれてたこともあった。もう誰も知らねぇとは思うけどな」
「それが私に何の用だと?」
「そんなの聞かなきゃわからねぇほどアホなのか?」
殺気に満ちた上位悪魔たちを示し、イゼリアは喉の奥底で笑う。
「“トカゲ”どもはたくさん殺してきたんだろ? だがぁよ、ホンモノの悪魔はそう簡単にはいかねぇぜぇ。さあ、気持ちよく遊ぼうぜ。ベイリッド・ルデアマーよぉ」
「遊ぶ…だと?」
「ああ。“腕輪”による制御も心配なくなったしな」
「何の話だ?」
イゼリアは空を見上げ、「こっちの話さ」と手を振る。
「そろそろ、“術”が発動できるわけだ。これにも、準備に相当な手間暇が掛かるからさぁ」
イゼリアが大きく息を吸い込むと、口をすぼませてブツブツと何事かを口ずさむ。
──【血呪大魔鎖牢】──
イゼリアが大きく手を上げる。この場にはいなかったが、大魔法を使う時の感覚を共有していたため、ノーリスやリヴェカも同じように動き詠唱しているのをイゼリアは感じ取っていた。
地中に染み付いた怨嗟の血が赤黒い鎖となり、樹木のように空に向かって生え出て合わさり、束となって上空で交差して辺り一帯を覆う。
──強力な封印魔法です──
「封印魔法?」
ベイリッドは、自身の身体が途端に重くなる感覚を覚える。
──彼女は単なる上位悪魔ではありません──
大魔法を使い終えたイゼリアは、舌を大きく出す。同じようにノーリスもリヴェカも舌を出していた。
彼女たちの舌には、複雑な幾何学模様の魔法陣が描かれている。
「「「オレさま(ワイ)(ワタクシ)たちは爵位持ち、最上位悪魔(だゼ)(デス)!」」」




