072 ヴァルディガとイゼリア
(およそ4,200文字)
イゼリアたち50体の悪魔は、ペルシェからだいぶ離れた山の中にある使われていない屋敷にいた。
食料は大型の動物や魔物が無造作に運び入れられた。男悪魔たちは、獲物が人間ではないことに不満を漏らしながらも、久方ぶりに味わえる血の味に抗えるはずもなく、競うようにしてそれを喰らい散らかした。
食事以外は特にやることもなく、広間や廊下を彷徨いたり、好き勝手に床に座ったり横になったりしている。時たま仲間内で小競り合いが生じたが、イゼリアがひとつ睨むだけですぐに収まった。
真っ暗な闇の中、1階の廊下の奥から、厚手の絨毯にノッシノッシと蹄の跡を残しつつ、全身のほとんどが真っ黒な毛で覆われた男悪魔がやって来る。
「邪魔だ。どけ」
通路の入口を塞いで寝ている悪魔を蹴り飛ばした。
「ガッ! 蹴ることねぇだろがッ! このクソボケッ!」
蹴られた方は全身の毛を逆立てて立ち上がったが、相手が自分より大柄で強そうだったので、「次は蹴るなよ」などとブツブツ言いながら柱の陰に隠れる。
蹴った方は一瞥もくれず、エントランスの中央に向かって進む。
エントランスには、中央から左右2つに分かれるように階段が伸びており、室内は照明がなく、分厚いカーテンがすべての窓を覆っていたので薄暗かった。それでも悪魔たちの目には、日中のようによく見えていたのだ。
その男悪魔は、捻れた2本の角を後ろへ傾けるように頭を反らし、上を見上げて分厚い胸をドンとひとつ叩いた。
「もう一度、確認したがやはりダメだ。ボロっちいくせに、入口も裏口も窓も少しの隙間すらない。通気口や下水路まで塞がれてやがったぜ」
暗闇の上の方で、真っ赤な瞳が2つ、金色の瞳が4つ光る。他にも下側で蠢く気配が無数にあった。
「チッ。あのオクルスっていう商人の仕業スか」
左階段の手摺りに腰掛けていたリヴェカが、ガリッと爪を噛んだ。
「結界はそれほど強いものじゃないネ。けど、あのマジックアイテムが効果を高めているワ」
リヴェカの反対側の右階段、その支柱に寄りかかったノーリスが気怠そうに言う。
「どーするスよ? イゼリア姉ェ。このまま本当に人間なんかに従ったままでいーのかよ?」
2階の欄干の中央に脚を組んで座っているイゼリアは、ジロリと階下の悪魔たちを見やった。
「イゼリア様! 俺らは覚悟できてますぜ!」
「お命じ下さい! 命を投げ打ち、誇りを見せろと!」
階下にいた男悪魔たちは、次々と威勢のよい声を上げる。
「腕輪の力は強力。だけれど完璧なものではないネ。一斉に掛かれば必ず綻びが生じるヨ……」
「なら、やるしかねーじゃねぇスか! 上位悪魔が舐められたらお終いっスよ!!」
リヴェカとノーリスが期待を込めた目を向けるが、イゼリアは特に反応を示さなかった。
「どうしちまったんスか? イゼリア姉ェ……」
「姉様。なにか気に掛かるところでも?」
ふたりが問い掛けるのに、イゼリアはようやく2階の欄干から飛び降りて1階に降り立つ。
それを見て、男悪魔たちは後ろに下がって場所を空けた。
リヴェカとノーリスも後に続き、イゼリアの横に当たり前のように並び立つ。
「テメーらは何も変に思わないのか? なんでオレさまたちを“飼う”ような真似をするのか」
大きな胸を張り、イゼリアはフンと鼻を鳴らして全員の顔を見回した。
「人間にはそういう嗜好を持つ者も珍しくはないですよネ?」
「だからと言って50匹もか? それに女型に興味があるってんなら、男型まで必要とする理由が分かんねぇ」
「……単に男にも興味あるってことじゃねえスか?」
リヴェカが八重歯を出して笑い、男悪魔たちを見やると、彼らは複雑そうに互いを見やった。
「そんな感じにゃ思えなかったがな」
自分を見ていたヴァルディガたちの下卑た笑みを思い出し、イゼリアは目を細める。
「なら、ワイらを必要としたのは何か別の目的が……」
「その通りだぜ」
封じられていたはずの玄関の扉が、外側から大きく開かれ、陽光が悪魔たちを照らす。いきなりの光に、暗闇に慣れていた彼らは片手で顔を覆った。
決して陽の光が苦手というわけでもなかったが、イゼリアも不快そうに鼻の頭にシワを寄せる。
入口から堂々と、ヴァルディガがドゥマを伴って入って来る。周囲の悪魔たちは警戒したように腰を落とした。
「あ、アニキィ……」
「黙ってろ。んなにビビるくらいならついて来なくていいと言ったろうが」
腰元にしがみつくドゥマを、ヴァルディガは面倒くさそうに膝蹴りで追い払う。
「ヴァルディガァー。テメー、本当にオレさまたちを支配下に置けたと勘違いしてんじゃねぇよな?」
「勘違いもなにもよ、現にお前らは俺には逆らえねぇだろ?」
手首に巻いたリングをチャラチャラとさせ、ヴァルディガが笑うのに、イゼリアたちは苛立ちを露わにする。
「……オレさまたちに何をさせたい?」
「そうそう。人間も悪魔も素直が一番だぜ」
剣呑な雰囲気の中、ヴァルディガだけがニヤニヤと笑った。
「契約もなしに悪魔を従えようと考えているのだとしたらおめでたいな」
「そうかい? なにも無理難題を吹っ掛けようってんじゃねぇよ。お前らには力の限り暴れて貰いてぇってなだけさ」
イゼリアは訝しげに腕を組む。その豊満な胸が両腕に押し上げられるのを見て、ヴァルディガが口笛を吹き、ドゥマは頬を赤くして視線を逸した。
「それに、これは命令でもお願いでもない。“提案”だ」
「提案だと?」
リヴェカもノーリスも眉を顰める。
「用が済んだらお前たちは自由の身にしてやる」
悪魔たちは、ヴァルディガの笑みを胡散臭そうに見やった。
「どうだ? 悪い話じゃないだろ」
イゼリアがすぐに返事をしなかったため、リヴェカとノーリスは一瞬だけ心配そうな顔を浮かべる。
しばらく、イゼリアとヴァルディガの互いに探るような視線がぶつかり合う。
「……人間の分際で、それで交渉のつもりか?」
顎を上げ、自分より背の高いヴァルディガを見下したようにし、イゼリアは高級そうな絨毯にベッと唾を吐く。
「俺はお前たちと仲良くしたいだけさ。……ああ、そうだ。その前に聞きたいんだが、お前らの元の持ち主についてだ」
「持ち主?」
「空に浮かんだ巨大な手の魔物だ。あれの正体はなんだ?」
悪魔たちが少し動揺するのを見て、ヴァルディガは目だけで彼らを見回す。
「……それは言えねぇ」
イゼリアは真顔になり、声を潜めてそう答えた。
「なぜだ?」
「そういう契約だからだ」
ヴァルディガは「ほう」と頷く。
「オクルスは害はないと言ってたが本当か?」
「……ああ。この世界に干渉することはできない」
「それは嘘じゃねぇよな?」
「これに関しては嘘もつけねぇ。そういう風になっている。もう聞くな」
「だが、お前らを連れてきたんだろう? それは干渉じゃねぇのか?」
「……限定的なもんだ。あのクソ商人と何か特別な条件でも交わしてるんだろ」
「条件? どんなだ?」
「そんなのオレさまが知るわけねぇだろ」
イゼリアは鋭い歯を剥き出しにした。ヴァルディガは「そんな怒るなよ」と両手を開く。
「……今んとこ、俺の計画通りに物事は進んでるんだけどよ。唯一の例外があのオクルスだ」
ヴァルディガは頭を掻いて言う。
「はぁ? ビビってんのかよ? ダッセェー。そっちのヤツのこと言えねぇな」
リヴェカが、神妙な顔つきをしていたドゥマを指差す。ドゥマは「なにを!」といきり立つが、ヴァルディガは指先をドゥマの胸元に押し付け、彼を黙らせた。
「ああ。そうだな。怖ぇよ。敵の正体を確かめず、報酬に目が眩んで死んだレンジャーは何人も知ってるかんな。だからこそ、情報ならなんでも知りてぇのよ。ここまで生き残ってこれたのも、このチキンな知りたがり癖のおかげさ」
ヴァルディガはそこまで言って、ドゥマに「怯えた時に騒ぐだけじゃ意味がねぇ」と小さく耳打ちした。
「……で、その限定的な条件とやらで、あのバカでかい魔物が出てくるとかはねぇんだよな?」
「……ないね。自由に動けんなら、大好物の人間がいたのにそのまま帰るわけがない」
イゼリアがそう言うと、ドゥマは自分が丸呑みにされる姿を思い浮かべてゴクリと喉を鳴らす。
「……それならいいんだ。信じよう」
「信じる? オレさまたちは悪魔だぞ?」
小馬鹿にしたように笑うイゼリアに、逆に今度はヴァルディガが真面目な顔となる。
「悪魔だからこそ、お前らと契約がしてぇんだよ」
「は? 寝ぼけてんのか?」
ヴァルディガが背中から剣を抜くのに、イゼリアだけでなく全員が臨戦態勢となる。
「あ、アニキ!」
「うるせぇな。黙っていろと言ったろうが」
ヴァルディガは、剣を掲げると、自身の腕輪に剣の柄を力任せに叩き当てる。
ちょうど留め具となっていた飾り台が割れ、嵌められていた宝石が落ち、腕輪は脆くも砕け、床に破片が散らばった。
イゼリア、リヴェカ、ノーリスは目を見開いて、その残骸を見やる。
「……何してやがる? 正気か? これで縛りはなくなったぞ。オレさまが軽く合図するだけで、テメーは一瞬で肉塊になるぞ」
「いいぜ。やってみろよ」
「ヤロウ……。上等じゃねぇか!」
片手を上げようとしたイゼリアを、ヴァルディガが軽く制する。
「その前に、まずは俺の話を聞けよ」
ヴァルディガが一歩前に進み出るのに、イゼリアはわずかにたじろいだ。
「それからでも遅くはねぇだろ? イゼリア」
鼻先まで顔を近づけられ、イゼリアは眉を顰める。
「俺の言いたいこと分かるだろ? な?」
イゼリアの鼻腔がわずかに開く。その“雄”のニオイに、彼女は思わずヴァルディガの股の方を見やって、菱形の瞳孔が大きく拡がる。
「テメー、この状況でかよ……」
ヴァルディガが舌を出して笑うのに、イゼリアも初めて笑みを見せる。
「……面白い。聞くだけは聞いてやるよ。人間」




